虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

楽しくやろう!俵津農業!―その2

山が笑っている。 鳥は歓声を上げて歌っている。蝶も一斉に咲き始めた花から花へと鱗粉をまき散らせながら舞っている。 与作もよひょうも正助もゴンも、野良に出て鍬打ちをはじめた。女房たちは弁当づくりに腕まくり。子供たちはおっとうやおっかあの周りで…

夢の「核融合」技術に挑む子供たちはいないか?!

夢を見た。 人類の夢の科学技術・「核融合発電」の完成を志した少年少女たちが、この町にいた!そして、10年後・2032年。彼らはついに、その実用機を完成させた。彼らは特許のことなど眼中になく、技術(設計図)を全世界に公開し普及促進を図ったので…

老人会長の嘆き・・・!

今日は、俵津老人クラブの「総会」の日でした。待ちに待ったこの日でしたが、今年もまたにっくき「コロナ」のために出来ませんでした。通常なら、わたしも公民館の舞台に立って酔いに任せてヘタな歌をうたっているはずでしたが(!)・・・。 今日は、役員会…

「俵津スポーツ村」村長夫妻という存在

市川和子先生の訃報に接しました(「広報 せいよ」4月号の「おくやみ」欄)。享年93歳。 先生は、わたしが俵津小学校2年生の時の担任でした。わたしはいたずらしてはよく先生に叱られていました。はるかな昔の懐かしい話です。 先生と、先に亡くなられた…

NO WAR

ロシアが、ウクライナ侵略戦争を始めました。もう三週間になります。この暴挙に強く抗議します。ロシアは直ちに戦闘を止め、軍隊を引き揚げよ。 わたしは、21世紀は人類が「戦争」を廃棄する世紀だと思っています。二度と再び「ヒトラー」と「スターリン」を…

空き家と廃園は、「コモン」に

「俵津を“永遠”にするために」を、つづけましょう。 とてもいいことが、昨年から今年にかけて、ありました。 わが家がミカンをつくらせていただいている農地を、二人の地主さんから、いただいたのです。こんな嬉しいこと、ありがたいこと、素晴らしいことが…

俵津を、「永遠」にするために

大好きな高知出身の歌手・三山ひろしに新曲がでました。『花恋歌~はなれんか~』(作詞・かず翼、作曲・弦哲也、編曲・伊戸のりお)。軽快で明るいミラクル・ボイス炸裂のライト演歌です。みかん山で剪定をしながら練習してます。 ♪ (1番出だし)「惚れた…

西村仁さん追悼文集  8

仁ちゃん早過ぎるぞ 岡山・金光 藤井(旧姓宮田)喜代秀 西村仁氏の死は、令和三年十二月十七日であった。七十六歳である。亡くなった翌日、私は、寒くなったから、身体に気を付けてと言うつもりで電話して、彼の妻初美さんから前日の死を知らされた。数日前…

西村仁さん追悼文集  7

ひとっちゃん(西村 仁)の追悼文 岡崎 駒次郎 西村 仁(仁ちゃん)のことは、以前から、岡崎憲一郎より「仁ちゃんは最近体調が悪く、みんなで見舞に行こう」という話があったが、コロナウイルスのこともあるので大勢で押しかけるよりは少人数でということに…

「九段の母」と「故郷」と

「ひと筋入った 横丁で/昭和を覗いて みませんか/男の背中にゃ 色気(いろ)があり/女の背中にゃ 艶がある/そんな時代が ここにある/居酒屋「昭和」の/居酒屋「昭和」の 出会い酒」 (唄:八代亜紀; 作詞:中山正好/八代、作曲:大谷明裕/八代) わたしの…

西村仁さん追悼文集  6

特別の人 原田義徳 時の過ぎていく早さを感じます。同時に何も出来ない自分に苛立ちを感じています。君からの手紙をもらい、何かを書かなくてはと思いながら半月が過ぎました。西村仁さんは、私にとっても特別の人でした。君が、早速、みんなに追悼の言葉を…

西村仁さん追悼文集  5

西村仁君のこと 永山福重 西村仁のあだ名は「段取り仁」である。困ったことがあると、彼に相談すると解決を図ってくれるのである。頼もしい限りではあるが私が段取りに取り込まれて、とんでもない立場に追い込まれたのは再々である。「周りを見廻して誰も居…

西村仁さん追悼文集  4

仁チャン 坂本甚松 仁チャン! いろいろと夢をあたえてくれてありがとう。 そして希望をくれてありがとう。 又いろいろと「だんどり」(指導)をしてくれてありがとう。 私ごとですけど、42年前の選挙には、大変お世話になりありがとう。 そして「故」田中…

謹賀新年!

明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願い申し上げます。 水面をのんびりと泳ぐアヒルを思わせるわたしの好きな数字・2が三つも入っている2022年が始まりました。いい年になってほしいものです! 「コロナ禍」で身動きがとれなくなって始…

西村仁さん追悼文集  3

追悼の文 片山元治 思い出多き友が死ぬと思い出は悲しみに代わる。我々も死と直面する年頃となりました。 老いて何もせず、迫りくる死を漠然として待つだけでは空しくないか。 仁ちゃん!お呼びをかけてくれるのは一寸だけ待ってくだされ。 世界の空は一つ屋…

西村仁さん追悼文集  2

ひとっちゃんへ 宇都宮道有 「おーい どがいぞ」 水道検針用の道具を下げて、あのニコニコ笑顔でひょこっと現れそうな気がしてならない。 ひとっちゃんとのまともな付き合いは、青年団からだった。よく深夜まであれやこれや話をしたが、例のちょっと唇を尖ら…

「人生の楽園」を夢見つづけて― 西村仁さんのこと。

1。 わたしが西村仁さんの顔をはじめて見たのは、仁さんが二年間の「派米研修」を終えて俵津へ帰った頃、同級生の坂本甚松さんが音頭を取って開いた「西村仁・派米研修報告会」の席だった。 そこには、変わった“顔”があった。変わった、と言ってもへんな意…

西村仁さん追悼文集  1

西村仁さん追悼文寄稿。 三好幹二 (前西予市長) 何か行動を起こすと、新たな出会いや縁が出来るものです。 私と仁さんとはそのようなものでした。 5町合併で西予市が誕生すると同時に市長選挙があり、私もその出馬決意せざるを得なくなりました。行政で私…

西村仁さんに贈る追悼のことばを!

みなさまに!おねがい! わたしのブログに、ひとっちゃん(西村仁さん)の追悼文をお寄せください! 西村仁さんが、12月17日午後7時18分、亡くなりました・・・。享年75歳。突然の、あまりに早い旅立ちに愕然・呆然・・としております。残念です。無念です…

無茶々園に、三つの提案。

それぞれのフィールドを耕して、百姓を目指そう。 農業をする人は溝堀り、大工、森づくり、漁師、何でもするから百姓。どんな仕事でも根も枝も広げれば百姓になれる。 (加藤登紀子の「ひらり一言」。朝日新聞2021・12・5) ◆ この歳になって、あらためてこ…

なんかシャン・かんかシャン

「なんかシャン・かんかシャン」というのは狩江弁です。俵津弁だと「なんか・かんか」「なんや・かんや」「あれや・これや」というところになるんでしょうか。これに関しては狩江弁のほうが面白いのでタイトルこれにしました。でも不思議ですね、山一つ越え…

「天声人語」に物申す!

ミカンの収穫に忙しくしています。我が家では早生温州が終わり、中生(なかて)の南柑20号に取り掛かっているところです。毎年生産にかかわるなんらかの事象が発生しますが、今年はカメムシの異常大発生が特筆されるでしょう。夏場から宇和の稲に大発生した…

「総選挙」の結果から・・・

第49回だそうな「総選挙」が終わりました。 わたしが望んだ「政権交代」も「与野党伯仲」も、起こりませんでした。切なく願った「投票率」アップも、起きませんでした。いつも選挙に行く人が、いつものように今回も選挙に行って、いつも入れる候補者と政党…

村上さん!やはり、「下野」しかないのではありませんか?!

村上誠一郎さんのことが、気になっておりました。 言わずと知れた愛媛2区選出の自民党衆議院議員で、党の重鎮です。ではあるのですが、わたしは村上さんのことをあまり知りません。でも、時々テレビのニュース番組でチラッと出ては、骨のある・信念のある発…

わたしは「政権交代」を望みます!―総選挙に思う。(シン・二ホンへ!⑦)

家も親もからだも顔も才能も何一つ選ぶことができない私たち。「選べなかった自分」の大変さを背負って生きている。 田中美津 「なんで私の頭の上にだけ石が落ちて来たの?」という思い。誰もが自分では選べ ないことで苦しむという不条理。が、なぜ私だけが…

「西予・世界農業高校」を夢見る!

西予市の広報誌・『広報せいよ』の10月号に、「特集 私が行きたい場所」というページがあって、西予市内にある「高校」が問題として取り上げられています。 「西予市の誕生から17年。合併時から人口減少が続いています。14歳以下の若年層の人口も合併当…

農業の時代が、来るかもしれない。(シン・二ホンへ!⑥)

♪ 赤い花なら 曼珠沙華 オランダ屋敷に 雨が降る 濡れて泣いてる ジャガタラお春~ 子供のころ、ラジオから流れていて覚えたこんな歌が口をついて出ます。曼珠沙華・彼岸花が咲き誇っています。川の土手・農道の両脇・みかん畑の中、今年ほどの広がりと量は…

地方は、そろそろ「自民党」から“離脱”する秋(とき)ではないだろうか?!(シン・二ホンへ!⑤)ーつづき

さあ、話を続けましょう。ネットを見ていたら、こんなツイートを見つけました。 「日本と時を同じくして、ドイツの首相も交代する。ヨーロッパ最大の国を16年間に渡って率いた女性物理学者・メルケル首相。華美な生活を嫌って、国のトップとしては質素な生活…

地方は、そろそろ「自民党」から“離脱”する秋(とき)ではないだろうか?!(シン・二ホンへ!⑤)

私は本書を書き始める際、冒頭、 「まことに小さな国が、滅びの時をむかえようとしている」 としようかと考えていた。しかし、気を取り直して、それを「衰退期」と書き換えた。 希望を持ちたいと思った。いや、六尺の病床から死の間際まで俳句、短歌の革新に…

自民党の選挙戦略に思う。(シン・二ホンへ!➃)

さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっきと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。 一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。 もう一つは、もはや、この国…