2023-01-01から1年間の記事一覧
10月8日に行った「じじばばスーパー演芸会・2023」について書いておきます。プログラムを見ながら、順を追って。 ◆ ❤「来賓祝辞」。今年は「公民館」が「地域づくり活動センター」になった記念の年です。センター長の濱田直浩氏にお願いしました。 ❤…
10月8日の「じじばばスーパー演芸会・2023」、あけはま座「朗読劇」・プロジェクター紙芝居の2年目には、『長崎東海・俵津ものがたり』をやっていただきました。紙芝居製作が成った今年、俵津の人たちに東海先生を知っていただく絶好の機会だと思っ…
10月8日(日)、俵津地域づくり活動センター・大ホールにて、「じじばばスーパー演芸会・2023」を開催しました。 この日は、まことに残念ながら、雨。しかも、冬が来たかのように寒かった。「秋日照り」かのような天気がずっと続いていたのに、なんと…
地域が見える「東海日誌」 冨永 泰行 “明浜の赤ひげ”こと長崎東海先生について10回にわたり述べてきた。1901(明治34)年から昭和初期までの「東海日誌」が残されていたおかげである。日記資料というのは個人の記録であり主観的なものであるが、その人の…
政治家・長崎東海先生 冨永 泰行 中国の故事に「小医は病を医(いや)し、中医は人を医し、大医は国を医す」と。現代においても医師でありながら、政治家になり「世直し」をめざす人は少なくない。長崎東海先生は「中医」「大医」をめざしたのだろうか。 土…
「貧病人は銭取らず」 冨永 泰行 山本周五郎の「赤ひげ診療譚」では新出去定(にいできょじょう)先生は、大名や富豪からは高い医療費を取り、貧乏人からは取らなかった。 “明浜の赤ひげ” 東海先生はどんな対応をしていたのか。「南予案内」(1910年刊)…
東海先生の外科的治療 冨長 泰行 医療技術の進歩の歴史は一般的には記されても、ある地域・ある時代の住民が実際にどんな医療を受けられたのかは、あまり語られてこなかった。 明浜の赤ひげと言われた長崎東海先生は、愛媛に来る前の土佐時代から乳がん手術…
東海先生のあくなき分院構想 冨長 泰行 明浜への野福峠のトンネルを抜けると宇和海が一望できて心が洗われる思いだ。春にはつづら折りの道沿いに見事な桜が咲き誇る。遠くに戸島、日振島が一望できる。俵津から法華津湾岸を西に行けば、高山と大崎鼻には元ハ…
伝染病と対峙する東海先生 冨長 泰行 明治期、コレラ・赤痢等伝染病の隔離のために県内に避病舎(隔離病舎)を500以上設置したことは先述した。いかに運営していたか疑問であったが、東海日誌でその疑問は解けた。 1911(明治44)年9月18日早朝、往…
いつでもどこでも往診 冨永 泰行 “俵津の赤ひげ” 長崎東海先生の医療活動で一番驚かされるのはいつでもどこでも往診を請われれば出かける姿勢だ。 往診の範囲は、俵津から法華津湾岸を西に、渡江、狩浜、高山、田之浜、そして大崎鼻を回り北上すれば三瓶方面…
「人間とは、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)である」 (ヨハン・ホイジンガ) ♥ 13日の日曜日は「盆踊り」の日でした。朝から、わが老人クラブ役員大奮闘です。会場中央に立てる竹の切り出しから始まって、そこに短冊等を括り付け、華やかに装い、設置しました…
東海先生、愛媛に移転開業 冨長泰行 郷里の土佐・窪川周辺で医療活動をしていた長崎東海先生は1902(明治35)年5月愛媛・俵津村に移転開業した。 この年2月東海先生は「宇和島地方開業探検」の旅に出た。長い船旅が興味深い。 14日午前6時半愛馬「叢…
土佐時代の東海先生 冨長泰行 “明浜の赤ひげ” といわれた長崎東海先生は土佐の出身。高岡郡松葉川村(現四万十町)七里(ななさと)に生まれ、1884年高知県立医学校を卒業し、90年に地元で開業した。その前後には東京の北里研究所等でも修行。 明治初期…
7月9日、老人クラブの「1日遠足」で高知へ行ってきました。NHKの朝ドラ「らんまん」ブームで人気の牧野植物園目当てです。他に桂浜の坂本龍馬記念館と大豊町の国の特別天然記念物・樹齢3000年の日本一の大杉を見てきました。 龍馬記念館で展示品を見ている…
愛媛新聞に「四季録」というコーナーというかコラムというか、大学教授など愛媛の識者の方々が書かれる欄があります。 そこに、わたしたち「長崎東海研究会」のメンバーになっていただいている愛媛近代史文庫会長の冨長泰行さんの、長崎東海さんについての記…
ウソかホントかわからない。だれが起案し、どんな経過をたどり、そして潰えたのか、わからない。が、このわれらの俵津にはかつて以下のような計画や構想があったという。(このような話は、一住民のわたしなどのところにはリアルタイムでは届かない。) ❶俵…
「私の映画案内」というブログをやっている大阪の友人から、前回の記事に対して、「ジジババスーパー演芸会・2023への提言」という件名がつけられたメールが届いた。しかも二度も。本人の了解を得たので、以下掲載する。 ❤第1信(6月15日) ジジババスー…
Sくんが、自身のメルマガで「じじばばー」に言及してくれている(「田舎暮らし 過疎の波」5/30日配信)。右リンク欄のトップ「田舎暮らしを楽しもう」から入って、目次の右端「田舎便り」をクリックしてご覧いただきたい。 「昨年十月老人会の肝いりで、演芸…
日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願にて候。 (坂本龍馬、宮地佐一郎『龍馬の手紙』講談社学術文庫) 子曰く、鳳鳥至らず、河、図を出さず。吾れ已んぬるかな。 「『幸運をもたらすというホウオウという巨大な鳥も、良いことが起こる前兆…
今日は「こどもの日」。ゴールデンウイークたけなわです。コロナで巣ごもりしてい たひとたちが一斉に飛び出したかのように列島は人ひとヒトです。 俵津老人クラブも一日の神社掃除を皮切りに新年度の活動にとびだしました。といっても7月の「一日遠足」ま…
四月三日、六ちゃんが死んだ。あまりに突然の死。俵津に衝撃が走った。ついこの間まで本当に元気だった。傍目にそう見えただけであったのかもしれないが、この正月明けの頃にはわが家の風呂のリフォーム工事を手伝ってもらった。元気そのものだった。 六ちゃ…
4月になりました。俵津公民館が、「俵津地域づくり活動センター」に生まれ変わりました(正面玄関上の看板文字もかけ変わりました)。その記念すべき出発の月です。 センターの陣容も整いました。各民主団体も役員が一新されました。俵津まちづくりの中心的…
外交官と言えば、わたしは学校で習ったあの日露戦争後の「ポーツマス条約の小村寿太郎」くらいしか知りません。最近、雑誌と新聞で田中均という元外交官だった人のインタビュー記事を偶然ですが読む機会があって、「おっ、こんな人が日本にいたのか!」と驚…
新聞の投稿欄に、わたしと同年生まれの方の投稿が載っていました。こんなのです。 「非国民」の時代 再び来ぬように 無職 中村澤三 (京都府 75) 憲法と共に年齢を重ね、ついに後期高齢者と呼ばれる歳となりました。戦争を知らない団塊の世代として、先輩た…
ロシアーウクライナ戦争が始まって間もなく1年になろうとしています。終りが見えません。どうしたら、この戦争は終わるのでしょうか。 わたしが尊敬する内田樹さん(合気道家、思想家)がそのブログで標記のタイトルでそれを書かれています。ぜひみなさんに…
コーイン矢の如し。ついこの間年が明けたと思ったら、もう二月。立春も過ぎ、すこし春の気配がし始めました。ミカン園の改植をするのか、木を伐採するチェーンソーの音があちこちで聞こえる季節になってきました。若いひとたちが頑張っていると思うと年寄り…
今回は、「NO WAR」(2022・3・15)、「日本て戦争できるの?やって勝てるの?」(2022・7・5)や、昨年7月の参院選前後に書いた「ああ参院選」シリーズ(!)のつづきです。 1 ■ぶっそうな時代になってきました。 ・タモリが、昨年12月の「徹子の部屋」…
湾岸道路ができてからというもの、共選から旧農協本所までの旧道はめったに通らなくなりました。この間、久しぶりに通ってみたら“発見”が、ありました。とうの昔に閉店していたはずの「浜田酒店」が、何やら外装リフォームを施されていて、店の看板が感じの…
教えてください 藤井喜代秀 皆さんこんにちは、藤井喜代秀(旧姓宮田)と申します。宇都宮氏康さんの知人で俵津の出身者ですが、現在は岡山県金光町の「金光教本部」に在籍し、本部の裏山に千本のツツジの植栽をしたり、この地域の「まちおこし」やその他様…
あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。わたしのブログ、4年目に入りました。拙文をあたたかい気持ちで読んでくださっている皆様の気配(!)を感じながら、今年も心に浮かぶよしなしごとを書き綴っていこうと思っております。 昨…