虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

地方は、そろそろ「自民党」から“離脱”する秋(とき)ではないだろうか?!(シン・二ホンへ!⑤)

 私は本書を書き始める際、冒頭、

「まことに小さな国が、滅びの時をむかえようとしている」

 としようかと考えていた。しかし、気を取り直して、それを「衰退期」と書き換えた。

希望を持ちたいと思った。いや、六尺の病床から死の間際まで俳句、短歌の革新に向かって闘った子規を思えば、絶望などしている暇はないだろうと反省をした。

 子規が見た、あるいは秋山兄弟の見た坂の上の雲は、あくまで澄み切った抜けるような青空にぽかりと白く浮かんでいたことだろう。

 しかし、そろそろと下る坂道から見た夕焼雲も、他の味わいがきっとある。夕暮れの寂しさに歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。

    ―(平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』、講談社現代新書、2016)

 

「日本の繁栄は、自民党がつくったのだから、自民党を批判してはいけない」

 もう40年も前・1980年ころのことでした。時の明浜町長は、わたしたち町の若者(みんな20代後半から30代でした)との懇談会の席でそう言いました。だれかが批判がましいことを言ったのでしょうか。もうその語られた文脈は覚えていませんが、わたしたちの多くは権力や政党政派やイデオロギーなどからは、距離を置きたい、自由でいたい、そういうものを相対化したい、と思っていました。

 一方で、町長の言うこともよくわかってはいたのです。このような弱小といわれるような町が、まして、三割自治・一割自治といわれているような現実の中では、議会を総与党化し、地方の自民党国会議員を通じて、政権とのただでさえ細いパイプを押し広げて太くしていくしかないというのは、ある意味仕方ないことでもあると思っていました。

 当時の明浜町は、まだ、学校や公民館などの公共施設を建てたり、道路を整備したり、企業誘致を考えたりと、インフラ整備に懸命になっているときでしたが、わたしたちは少しづつ、別のことを考え始めていました。有吉佐和子の『複合汚染』(1975年)に刺激されたこともありましたが、これからは環境問題が世界の重要課題になる。農業も有機農業を中心にして、都市の消費者と交流しながら、地域をつくっていく道を進みたい。あるいは、まちづくりの「人材」をつくるために、「明浜町青年海外派遣協会」をたちあげたい。そうしたいわば「内発的」な発展の道を探っていたのでした。それは、地域の「コモンズ」(森林・漁場・海と山などの共同利用地や地域人材)を活かした・立脚したまちづくりでした。

 あれから40年あまり。やはり、自民党に依拠しつつも、自民党(政権)を正しく批判できる「地方」をつくっていたほうが、そういう「国民力」を養っていたほうが、この国のためにはよかったのではないか、そんなことを思わされる時代になったようです。

(ちなみに、念のため言っておきますが、日本の繁栄は、自民党の力もあるでしょうが、なんといっても国民が頑張ったからですよね。)

 確かに、自民党は偉大でした。国民と国民生活を隅々までよくフォローしてくれました。一億の国民をどうやって食わすか、ということを真剣に考えていました。内田樹さんの本(『街場の憂国論』、文春文庫、2018)で教えてもらったのですが、池田内閣の高度経済成長政策を立案したエコノミストの下村治さんはかつて「国民経済」という言葉をこう定義してみせたそうです。

 「本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きていくかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。

 その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」

(下村治『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』、文春文庫、二〇〇九年、九十五頁)

 わたしはこれを読んでうなりました。すごいな。本気で国民のこと考えていたんだ。ところが、内田さんは言います。「現在の自民党政権はかつての五十五年体制のときの自民党と(党名が同じだけで)もはや全くの別物であると私は見ている。」「いまの安倍自民党の議員たちの過半はこの国民経済定義にはもはや同意しないだろう。」

 ここでこれ以上深入りはしませんが、わたしも内田さんの言う通りだと思います。自民党は、すっかり変わってしまいました。

 いつからこうなったのでしょうか。わたしは中曾根康弘首相のころからだと思います。彼が、「新自由主義」政策をとり始めたレーガンサッチャーと付き合い始めて以降でしょう。サッチャー首相などは「社会などというものはない」などと言って、イギリスの伝統的な政策であった「ゆりかごから墓場まで」の手厚い福祉政策を破壊してしまいました。これはまだ記憶に新しいところです。それから、やはり決定的に事態を進めたのは小泉純一郎首相だったでしょう。この頃から日本は急な坂道を転がるように目に見えて悪くなっていきました。そして、極めつけは現在の安倍=菅体制です。この路線は自民党政権である限り今後も続くと思います。

 「平家にあらざれば人にあらず」、かつて日本史にそういう時代がありました。いまの自民党の世も、まさにそのような時代に似ているなと思えてなりません。もう傍若無人、勝手のし放題、倫理も道徳も人の道も正義も礼節も公正も何もかも、ありません。その世界ではあらゆるものが「私物化」されます。国有地・予算(税金)・公務員・憲法・三権・・・。もうみんな知っていることですから、屋上屋を重ねるようなことはいいませんが、これはちょっとだけでもどうにかしないと、日本と日本人への誇りが消えてしまいそうです。わたしも70年あまり生きてきましたから、この世がきれいごとばかりではないことを知っていますし、人間も聖人君子ばかりではないことも知っています。

 でも、たとえば司馬遼太郎藤沢周平葉室麟などの時代小説を読んで、わたしたちが感動するのは、そこに凛とした清々しい人間がえがかれているからです。そうした人物たちを、この汚濁にまみれた世であっても、心のよりどころとして生きたいと思っているからです。

 論語や武士道や聖書やコーランなどが生まれたのも、万人が万人に対して闘争状態にある人間の世に統一と平和をもたらすためだったでしょう。心というすぐに暴走するものに規範を与えたかったからでしょう。

 安倍前首相は、国会で118回嘘の答弁をしたそうですが、ウソを言うなとは言いませんが、これはちょっとひどすぎるのではないでしょうか。

 「シン・二ホンへ!」の道は、まず、倫理や道徳や人の道や正義や礼節や公正などをとりもどすことから始めないと、動かない、どうにもならない、ように思えてなりません。景気や経済の前に、まずそれだ、と思えてなりません。

 「驕れるものは久しからず」、という言葉も微かに聞こえてはきますが、少しの風のざわつきにでも消えていくようなはかなさです。

                          (この稿つづく)

                     (2021・9・12)