虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

地方は、そろそろ「自民党」から“離脱”する秋(とき)ではないだろうか?!(シン・二ホンへ!⑤)ーつづき

 さあ、話を続けましょう。ネットを見ていたら、こんなツイートを見つけました。

「日本と時を同じくして、ドイツの首相も交代する。ヨーロッパ最大の国を16年間に渡って率いた女性物理学者・メルケル首相。華美な生活を嫌って、国のトップとしては質素な生活を続け、身の回りのことは全て夫婦で行い、一度も親族に採用等の便宜を図ることもなかった。」(kenji  shiraishiさん)

 彼我のあまりの違いに絶望的になるのは、わたしだけでしょうか。「信なくば立たず」「権腐十年」「粗にして野だが卑ではない」・・・いろいろな言葉が頭の中をよぎっていきます。

 「コロナ」のことです。

 これをどうにかしてねじ伏せて収束(終息)させないと、「地方」は崩壊します(もちろん日本も、世界も、なのですが・・)。その経済も社会も文化も人々の心も・・・。自民党政権にそれを終わらせることができるでしょうか。無理なのでは・・・。

 それは、2019年末にオリジナル・コロナが発生してから今日までの政府の対応の無為・無策・無能ぶりを見れば、明らかでしょう。菅首相が何とかの一つ覚えのように言い続けてきた現状使われている「ワクチン」の接種も、万能でない(というより、ほとんど意味のない?!)ことがはっきりし出してきております。対策を根本から見直し、直ちに手を打たなければ、今冬の“第六波”以降はさらに大変なことになるとわたしは思います。

 先日、行きつけの整体で主人が、「これはあのノストラダムスの大予言の天から降りてくるといわれた大魔王なんじゃないのかな。20年遅れであの予言は当たるんじゃないか。人類は滅びるかもしれんな」と言ったのが、みょうにリアルに感じられてきています。

 何をしなければいけないのでしょうか?

 以前に登場していただいた中村祐輔博士がこんなことを言っているそうです。「鳥インフルエンザが発生したら、どうしますか。その鶏舎のニワトリの全てを殺処分するでしょう。コロナも同じです。人間は殺すわけにはいきませんので、PCR検査と隔離です。これが対策の基本中の基本です。」

 国民全員にいつでもどこでも検査ができる(しかも何回でも、無料で)体制を整えるべきだと思います。今なら20秒で結果が出る検査機がイギリスでできているそうです(日本のものでも5分もあれば結果が出るそうです)。「陰性証明」さえあれば、わたしたちにはすべての活動ができるのですから、これほどの明快な対策というものもないでしょう。

 隔離は、国立病院・JCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)・労災病院などをコロナ専門病院化して行う。俵津にも昔、「避病舎」というのがありました。赤痢など感染症患者を隔離する施設でした。あれです!

 こういう根本的対策を阻んでいるのが、厚生労働省国立感染症研究所や300人いるといわれている政策中枢を牛耳る医系技官(監)たち、それに保健所、だといいます。この期に及んでなお、省益や自己保身を考えている部署や人間(政治家・官僚)たちがいるというのは、まったくの驚きです。

 戦後70年余りで凝固してしまったこの国のしくみを壊すところから始めないといけないなんて、めまいがしそうです。

 トリクルダウン(余滴)のことです。

 待てど暮らせど、どうにも、滴り落ちて来ません。地方は寂れる一方。・・・

 安倍前首相は、その「選択と集中」政策で、残り少ない日本の人的・物的資源を自分たち(政官財学メディア等のお仲間)権力に集中させ、東京一極集中を加速させれば、日本は長引く不況・デフレから脱却できて、いつか地方にもおこぼれが回っていくだろう、と「アベノミクス」なるものをとなえました。

 そして、「三本の矢」が登場してくるのですが、(「世界」10月号の寺島実郎さんの分析によりますが)、第一の矢の「異次元金融緩和」では産業現場の資金需要は増えず、余ったお金がマジックマネーとなって株式市場をはじめとするマネーゲームにむかいました。第二の矢の「財政出動」では、結果として先進国では例のない債務大国化を招き、孫子の代に膨大なつけを回してしまうことになってしまいました。第三の矢は飛ばず、実体経済の中核たる国民に恩恵は向かいませんでした。「二〇一二年から二〇二〇年の八年間で、全産業の現金給与総額(サラリーマンの収入)は、わずか〇・九七%しか増えなかった。年間二%の物価上昇目標(デフレからの脱却)は達成されなかったが、消費者物価は八年間で五・六%も上昇しており、生活者には重くのしかかったといえる。それ故に、全世帯の消費支出は、八年前より二・八%減少しており、国民の経済生活はむしろ縮小したのである。」ということです。

 「新自由主義」というのは、わたしの勝手流の理解では、要するに大企業や多国籍企業が「おれたちが勝手にやるから、一切の規制を取り払って自由にやらせてくれ。不採算部門は全部政府でみてくれ。法人税も下げよ。それで格差が拡大しても全部自己責任だ」というものではないでしょうか。フリードマンが言い出してから、今日までの結果を見れば、わたしの単純な理解もあながち間違いではないでしょう。なにより、世界の金持ちの上位8人の資産が、下位36億人の合計と同じというのが、この主義・政策の本質を表しているでしょう。

 こういう主義も政策も、もういらないですよね。地方は、わたしたちは、そこから“離脱”しなければならない、と思うのですが・・。

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 米中対立が激しくなってきています。

 このとき、日本はあくまでアメリカ一辺倒で行くのでしょうか。それは極めて危険な道ではないでしょうか。もちろん、中国につけ、などという話ではありません。アメリカ一辺倒という答えしかもっていない日本の在り方が危なっかしい、と言っているのです。第三の道はないのでしょうか?

 いつだったか、誰だったか、ドイツの首相が日本の首相に、「日本は隣の国に友達がいませんね」といったことがあるのを記憶しています。韓国やアセアンの国々とEUのような「東アジア共同体」をつくることはできないのでしょうか。

 このことも、わたしたちが考慮に入れておきたいことです。

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」がおもしろいですね。とくに、前半の幕末編で主役級の活躍をした徳川慶喜役のスマップ草彅剛がいいですね。あんな素晴らしい演技をするなんて驚きです。

 歴史の話です。江戸幕府は(慶喜は)なんであんなにすんなりと「大政奉還」ができたのでしょうか、したのでしょうか。お家第一・幕府ファーストなはずなのに、です。司馬遼太郎がその謎を解いてくれました。

 

 日本人の「公」について考えてみる。ここでは、「公」を、狭く法人という概念とそのまわりでのべたい。結論からいうと、江戸末期に日本にはすでに法人意識が成立していたのではないか、ということである。とくに幕末の長州藩においてそのことが顕著だった。(中略)。長州藩ほどでないにせよ、江戸末期にはすでに各藩とも藩をもって公器と見、法人とみる気分が濃くなっていた。さらには、最後の将軍である徳川慶喜からしてそうだった。かれらは天下は天下のもので、徳川家の私物でないという思想をもっていたからこそ、肩の荷物をおろすようなあっけなさで、一回の評定で大政奉還をしたのである。(『この国のかたち 一』、文春文庫)

 

 なるほど。それにしても、やっぱり徳川慶喜えらかったなあ。それで、はたして自民党政権に、そのような「公」意識があるでしょうか。現代版大政奉還ができるだけの度量と覚悟があるでしょうか。わたしには、江戸幕府自民党幕府(!)に重なって見えるのですが。

                     (2021・9・17)