虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

なんかシャン・かんかシャン

 「なんかシャン・かんかシャン」というのは狩江弁です。俵津弁だと「なんか・かんか」「なんや・かんや」「あれや・これや」というところになるんでしょうか。これに関しては狩江弁のほうが面白いのでタイトルこれにしました。でも不思議ですね、山一つ越えただけで言葉が変わっていくなんて。

 わたしの日常の中の「あれや・これや」を綴っていきます。

 西村仁さんが、独身者の誰彼なくをつかまえて、「嫁をもらえよ」と言っております。「のう、〇〇くん(ちゃん)よ。嫁をもらえよお。病気や事故やなんかあったとき、一人じゃ、どげもこげもならんぞ。この世に嫁さんほどありがたいもんはないぞお」。

 西村さんは、やはり名前の通り「仁」の人です。こんなこと誰まりが言ったら、反発を買うでしょう。言われた者が神妙に聞いているのは、彼の人徳以外のものではないでしょう。面白いのは年齢に関係なくこの言葉が発せられることです。75歳の同級生や70前後の者に対しても発せられるのです!「えっ?!」と思いますが、そこが西村さんの面目躍如としているところです。

 わたしなども、女房殿がいないとすぐに路頭に迷う人間なので、彼の言うことはとてもよくわかります。

 老後不安は厳然としてあります。コロナ危機も続いています。自然災害の心配もあります。何があるかわからない時代、何があってもおかしくない時代。・・・さまざまな危機と不安の中でのこれからのわたしたちのくらし。最大の安全保障は、良きパートナーの存在です。「一人では暮らせないが、二人ならやっていける」という言葉もあります。

 「家庭(家族)」と、そして「地域共同体」、この二つがこれからますます大事になってくることは論を待たないでしょう。

 ところで、奥さん連中、女性たちは、いかが思っているのでしょうか?!

 この間、我が家の床の間の壁が剥がれたので、酒井工務店さんにお願いして、左官さんを世話していただきました。来ていただいたのは三間の方でわたしより一つ下の人でした。10時休みにお茶を飲みながら話をしていたら、業界の現状に触れてくれました。

 もう、左官絶滅危惧種になっているとか。土壁を塗る際の竹を張る工事をする人もいなくなっているということでした。理由は、そういう人たちの高齢化だけでなく、いま家を建てる人がそういうものを使わない建築様式を採用していることにある、といいます。これは驚きでした。そういえば、西洋風の建物が多くなりました。

 時代はいろいろのところで変わって行っていますが、こういうのは必ずしもいいことではないような気がします。高温多湿の夏を抱える風土の日本では、やはり木や紙や土を使ったエコロジカルな建築が一番適しているように思います。「温暖化問題」を解決する手段としてもエアコンを使わなくていいような(維持コストのかからないような)構造をもつ家の開発は必要なことなのでは、と私などはおもいます。日本建築を支える人たちの暮らしを支えるためにも、地方の自立のためにもまた。

 日本の農家の平均年齢も70歳とか。農業も農家も絶滅危惧種?!

 最近、俵津を軽トラで走っていたら、ところどころでみかん畑の荒廃園が、草を刈られ、雑木を伐り倒され、開かれているのを目にするようになりました。若い農家のひとたちも多くなっているように感じます。

 俵津の農地が、若い人たちや現役をリタイアした人たちに利用されて(新しい視線で開発されて)、末永く維持されていくようになったらいいなと思います。うれしい発見をしている今日この頃です。

 11月18日、「あけはまーれ」で、無茶々園第一世代の仲間たちが3年ぶりに集まって一杯やりました。集まったのは6人。門田喜与嗣さん・西野知さん・斎藤達文さん・中山源綱くん・片山元治くん・わたし。高山・田之浜・狩江・俵津、明浜全域にわたる無茶々園の最初期に苦楽を共にした仲間たちです。何でも話せる気持ちのいい仲間たちです。話が弾みました。コロナの感染者が激減している第六波前(!)の束の間を利用しての飲み会でした。

 席上、「ムラ作りの運動家」・片山元治くんが静かに気炎をあげました。「われわれの故郷が永遠であるように、最後の人生を、老害をまき散らしながら、コンドルクラブを立ち上げ、自分の考えを実践していきたい!」。ベトナムでの15年を切り上げて、帰ってきた元治くん。無茶々園を立ち上げた頃とちっとも変っていない。ほんとうにスゴイなあ、と思います。

 11月19日。俵津老人クラブの役員会がありました。

 この会合の席で、またまた、アイディア・ウーマン=春ちゃんこと片岡春江さんの素敵な提案がありました!仮装大会というか、みんなで面白い仮装をして行列をしよう、というのです!俵津版ハロウィン?だれかが言うと、会場がドッとわきます。春ちゃんの構想では、4~5人がグループになって一つのテーマの仮装をしあって、公民館周りを練り歩こうというのです。

 突拍子もないことを考える人です!永山会長が応援します。「ほんと楽しいこと、やろうじゃないか。おら思うんじゃけんど、むかし八千代座の桟敷の席で、弁当持ちこんで、飲んだり食うたりしながら、芝居を観たのう。あんなふうにやっちみたいもんじゃのう」。

 いいですねえ。賛成です!わたしは「じじばば」の時にそれやろ!と提案しましたが、別に大げさに考える必要はないなと後で思いました。役員会の飲み会の席でも、忘年会・新年会の席でも、そういうふうに面白くやったらいいのですよね。俵津公民館には、カラオケ・音響機器もありますしね。ホールも、広い和室もあります。使い切りましょうよ。

 ああ、そうです。4月3日の「花見」を復活させて、その日に、車庫前から公民館前までの俵津メインストリートを練り歩くようにしたらいいかもしれません。そして、片岡聖也くんや高岡健司君たち若いもんにも加わっていただいたら、素敵な新しい「俵津まつり」が誕生するかもしれません。

 11月25日。長崎東海研究会。久しぶりの会合です。

 冨永さんの年毎の日誌解読が続けられています。この日は、大正2年がまとめられました。氏の大変なご尽力のおかげで、東海日誌が誰にも分るものに変貌を遂げています。本当にありがたいことだと思います。

 冨永さんは、この日、ご自身とお仲間たちが取り組んでおられる「前進座公演(山本周五郎原作・「ひとごろし 喜劇一幕」)」の宇和文化会館公演の話もされました。来年3月13日にやるからヨロシクとのこと。皆さんもぜひ見に行ってください。

 昔のわたしたちがやった「わらび座公演」のことを思い出しました。俵津小学校のPTAの仲間が体育館でやったあれです(演目は「ブナがくれた贈りもの」)。冨永さんの話を聞きながら、俵津のような小さなところでよくもやれたものだなあ、と感慨ひとしおです。当時のPTAの仲間たち、本当に熱かった!!

                      (2021・12・1)