虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

西村仁さん追悼文集  2

           ひとっちゃんへ

                         宇都宮道有

 

 「おーい どがいぞ」 水道検針用の道具を下げて、あのニコニコ笑顔でひょこっと現れそうな気がしてならない。

 ひとっちゃんとのまともな付き合いは、青年団からだった。よく深夜まであれやこれや話をしたが、例のちょっと唇を尖らす独特の口調で熱弁を振るい、我々にはない柔らかい発想や視点から話をリードしてくれ、ずいぶん教えられた。何度も酒は飲んだけど、意外に弱く激論の末大の字で豪快に寝る姿も忘れられない。

 町連青主催の駅伝大会には何度も元気に疾走をして、ある大会で『かーぼ行くぞ!』と和久君をケンケンで抜いてやった。とお茶目な一面も見せてくれた。

 先駆者として津島町に山林を開墾しみかんを栽培したりキウイ栽培をして私も何回かお手伝いさせてもらう中で、いつも夢や希望を追いかける輝く瞳のひとっちゃんを見た。とてもうらやましく、負けてはいられんなと励まされた。

 果樹同志会でも、高接ぎ事業で接ぎ師として袋を下げナイフで台木を割り穂木を差し込む意外に真剣な眼差しに新しいひとっちゃんを見つけた。

 グループで資金が必要な時、大谷伊予柑の穂木を集め販売することで貴重な軍資金を作ってもらったりした。『だんどり仁』ぶりを発揮してもらった時である。

 海外派遣協会も設立してもらった。設立総会での未来を見つめる生き生きとした眼差しと、はつらつとした挨拶も忘れられない。

 何よりも、ひとっちゃんの本領を発揮してもらったのは選挙だったと思う。恒ちゃんの選挙、首長選挙、議員選挙。いつも参謀として的確に情勢をつかみ、我々に的確な指示を出してくれ選挙戦を有利に戦わせてくれた。どの選挙でもいるといないとでは大違いだったと思う。その姿は将棋盤に向かう姿と重なる。

 ある町長選挙で区長として「好むと好まざるとに関わらず・・・」とあいさつをした車庫前の風景は今も鮮明だ。柔軟で大胆に、それでいて細かく分析し先を読む姿と行動力は並外れていた。

 たださすがに選挙違反容疑で拘留中に面会に行った時のちょっととまどったようなはにかんだような顔も思い出される。ご苦労かけたなと思っている。

 PTA役員が決まらなくてどうしようもない時に、親分肌を発揮して助けてもらったこともあった。感謝、感謝である。

 

 最後に言い訳。

 容態が悪いことは知っていました。コロナ禍もあり、私の体調もありしばらく疎遠になっていて、突然見舞ったら「こいつ別れのあいさつに来たな」と思われそうで、そのことでひとっちゃんの命を縮めてもいけんなとか考えてしまい、なかなか勇気が出ずにとうとうお別れに行きそびれてしまいました。申し訳ありません。

 行き詰ったとき「ひとっちゃんならどうするやろ?どう考えるやろ?」と考えることがよくあります。これからもそうしながら残りの人生を歩いていこうと思います。

 

 本当にお世話になりました。ご苦労さんでした。ゆっくりお休みください。

                    (2021・12・28)