虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

【寄稿】

    劇団「ぽっくり一座」を!(「じじばばー」2.0へ!)

                           胡瓜

 

 

 光陰矢の如しとは言うものの知らぬ間に、歳を取ってしまった。思えば浦島太郎にでもなったような気分である。そうかといってタイやヒラメの舞い踊りを、見たこともなければうつつを抜かしたこともない。そんな何でもない平凡な人生だとはいえ当たり前に終わりは近づいてくるもので、それを裏付けるように最近ではよく棺桶が早足で迫ってくる、夢を見るようになった。気持ちは青年だといっても身体は確実に衰え膝や腰をいくら励ましても、そっぽを向かれるだけである。

 とは言えそんな私に限らずジジとババと呼ばれる高齢者たちの胸の内は、幾戦練磨の過酷な状況を乗り越えてきただけに、やわではなかった。観客のいる前で喉もさけんばかりに歌ってみたいという煮えたぎる思いを、誰もが持っていたのだろう。そんな熱情に火をつけるのは造作もないことで、あった。一言「出てみんかな」というだけであった。

 その一言を発したのは、誤解されてはいけないのでここでは名前を伏せておく。それは私が浜の諸葛孔明と尊敬する、三才年上の先輩である。彼は左派系であり私は右派系である。互いに意見の相違対立することはあっても、目指す頂きは同じところを目指していて、付き合いの中で煩わしさを感じることもなく、私のよき理解者でもある。

 そんな彼からジジババ祭りの今後の運営について、意見を求められた。運営主体の老人会の中で運営方針をめぐり、意見の対立があるらしい。しかしそんな対立を解決できるような、妙案は私にはない。まして新人会員の私などが出しゃばったことなど、言外である。田舎社会は究極の序列社会で目下の者が目上の者に意見など、憚られる社会である。それは生まれた時から築きあげられたもので、容易には変わらないことである。

 妙案といえるかどうか最後に一つ。ジジババ祭りも二回開催され誰がどのような芸を持っているか又どのようなことがしたいのかおぼろげながらにも、分かってきているのではないかと、思う。そこで有志を募り(仮称)ぽっくり一座なる劇団を、作ってみたらどうか。そこで他地域の芝居好きの方との交流を深め、「ぽっくりを見てから死のう」を合言葉に、老人会活動を活発化させては、どうであろう。

                             (2024/4/3 記)