虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

楽しくやろう!俵津農業!―その2

 山が笑っている。

 鳥は歓声を上げて歌っている。蝶も一斉に咲き始めた花から花へと鱗粉をまき散らせながら舞っている。

 与作もよひょうも正助もゴンも、野良に出て鍬打ちをはじめた。女房たちは弁当づくりに腕まくり。子供たちはおっとうやおっかあの周りで大はしゃぎ。村は喜びの輝く輪のなかだ。     

 わたしは前に同じタイトルで書いたことがある(2020・6・11)。その時は、今の若者たちが見せるわたしたちの時代とは異なった新しい息吹を取り出してみた。今回は別の視点から書いてみよう。

 この表題にふさわしい「楽しくやっている」そのものたちは、やはり何といっても「天晴農園」の面々だ。彼らは最初から「俺たちは誰が何と言おうと楽しくやるぜ!」と宣言しているようなやり方でことを始めている。最初に打ち出した“ゲストハウスの建設”ということ自体がそれを語っている。それはわたしたちの度肝を抜くような新しいやり方に違いない。

 無茶々園だってゲストハウス(研修センター)を建てたのは、経営が安定してからのずっと後からのことだった。無茶々園にとっては、常識的な世界の異物としての無農薬の「汚いミカン」をどうやって売るかということが、当初の最大の課題だったからだ。

 ところが天晴農園の彼らはもういきなりだ。素晴らしいことだ。農業と人生は、それこそが目指すべきもの、いや、もうそれそのものでなければならぬ、ということが彼らには体で分かられている、そんな印象を受ける。タワラズにニューエイジが出現した!

 農業の楽しさのなかには、もちろん自然の中で作物(ミカン)をつくることの楽しさがあるが、ひととの交流の中にも大きな部分があることを彼らは本能的・本質的につかんでいる。

 ブルーやライトグレーのツナギのユニフォームもいい。ホームページを創って情報発信する姿勢もいい。メンバーの一人上甲信輔くんなどは、自宅前で5棟のハウスを建て新しいことをやり始めた。こういうチャレンジ精神もいい。

 できあがったゲストハウスで盛大な交流開所式をやるそうだ。“もちまき”までやるとか聞いている。青年男女の素敵な出会いの場にもなることだろう。

 この俵津の天地で思いっきり暴れまわってほしいものだ。

※ 天晴農園の諸君に提案です!

  今の所が手狭になったら、空き家になっている故市川綱太郎・和子ご夫妻の家をお借りしたらいかがでしょうか!あの家なら広いし、改造しなくてもそのまますぐに使えます。広い倉庫もあります。共同での選果・箱詰作業にはもってこいです。また倉庫には、グランドピアノもありますので、ピアノが弾けるゲストが訪れた時などにはコンサートなどもやれます。その他さまざま発想して楽しいことをやったらいかがでしょうか!ご夫妻は、若者たちが集ってくれるのを本当に心から喜んでおりましたので、きっと幸せなトポスをつくれることでしょう。

 むかし、わたしたちの青春の頃までは、農業のイメージはハッキリ言って悪かった。3K(キツイ・キタナイ・キケン)の象徴のような職業。カッコ悪い、ダサい仕事。加えて、農村のイメージも悪かった。貧しい、封建的、ボス支配、女性蔑視社会・・・。

 このイメージを変えようとすることも、わたしたちの課題だった。無茶々園の活動はそのことに大きな貢献をしたと思う。無茶々園は農業をステキな憧れの職業にした。そして都会の優秀な青年たちが就活先に選ぶような職場をつくった。

 わたしも、楽しく農業をやるために、ごく卑近なことではあったが当時考えていたことがあった。

●自分の農園に「名前」をつけること。わたしは自園を「レインボー農場」命名した。トラックに緑色でRAINBOW FARMと描いたりした。あの頃はみんな家の姓を冠した〇〇農園と黒で描いていたものだった。斎藤達文くんが「ポコロコ農園」、川越文憲くんが「ドリーム農園」、などといったところがおもしろい。

●農場化。とりあえず、自園の入り口に看板を建てること。園の中に木のテーブルや椅子を置き、家族や仲間たちと語らう場所をつくること。昔のテレビドラマにあった「ララミー牧場」なんかが頭にあったんでしょうか。(これ結局やれませんでした)

●ファッション化。農作業をカッコイイ衣装に身を包んでカッコよくやろう!(私自身がオトコマエでなかったので、気恥ずかしくてやりませんでしたが)。

 かつて、わたしが所属した組織(グループ)で、仲間たちみんなが楽しくやったことも書いておこう。

 「俵津農業後継者協議会」でみんながやったこと。

●ユニフォームをつくること。まさしく天晴農園の面々が着ているような青のツナギのユニフォームをつくったのだった!

●共同農場をつくった。活動資金を潤沢にするために、仲間たちのキズナを深めるために、共同労働の楽しさを味わうために。酒井吉郎くん(現長山建設会長)が、所有の甘夏園50アールを提供してくれた。完全無農薬の甘夏は、無茶々園が引き取ってくれた。

●婚活交流会。故田中幸恵夫人のお世話で、八幡浜の酒六の女性たちと。これが縁で結ばれた者も。

 「無茶々園俵津支部でみんながやったこと。

●共同農場。佐藤深志さん(昨年逝去)から、ダバの甘夏園30アールを借りた。もちろん、完全無農薬で無茶々園出荷。共同農場には、甘夏が一番むいている。温州みかん伊予柑・ポンカンなど他の品種と収穫作業が競合しない。完全無農薬で作れる唯一の品種で管理が楽。

●「甘夏つくってハワイへ行こう!」運動。もちろん大山町の「梅栗つくってー」にならったのだ(楽しいこと、いいことはどんどんマネしていい!)。憧れのハワイは面白かったなあ!!!楽しかったなあ!

※ わたしたちは、園作業でも、旅行でも、お客でも、すべて夫婦一緒でした。

 「新田こせがれ会」でみんながやったこと。

●共同農場。アカダキの中村権さんの田んぼだった所。(中村さんは、「ワシの山、全部おまえらにやる。好きなように使ってくれ。なんならチリメン事業もやってもいいぞ。」と言っていた!)ここでは芋(紅あずま)づくりをやった。甘く美味しいわたしたちの芋は評判がよく、飛ぶように売れた。

●「新田ふるさとまつり」。ご先祖様の日(旧暦2月9日)に新田集会所で。昔、この日に行われた総会に出席できない青年や主婦たちは、さへやのはまで演芸会をやっていた。そのDNAがわたしたちの体にも残っていた。それを復活させたのだった。百姓というのは山での仕事だけではないのだ。地域に営む暮らしそのものも関わりをもつものなのだ。地域を面白くしなければ、百姓もほんとうには面白くならない。みんなで燃え狂った宴の時は、チョー楽しかった!

●「ロッジせせらぎ」の建設。クラインガルテン開設。

●視察研修、他所での交流会、勉強会、などなど様々やった!面白かったねえ!!

 宮沢賢治は、言った!

「……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……」

「芸術をもてあの灰いろの労働を燃せ」

 現代ではもう農業の労働は、そんなに「灰色」ではなくなった。とくに米つくりなどはすべて機械化されサラリーマンでも片手間で遊びごとのようにしてやれるようになった。われらのミカンとても、モノラックができ、選果機があり、フォークリフト、軽トラがあり、クーラーができ、電動剪定バサミ・電動小型チェーンソーが開発され・・でずいぶんと楽になった。近々モビルスーツまで実用化される段階に来た。販売方法も多様化している。いい時代になった。楽しくやれる農業の時代はすでにきている。

 ダイキやコメリなどのホームセンターへ行けば、それはもう星の数ほどの農作業を快適にするアイテム・ツールが陳列されている。それらを上手に使って「心に愛を!唇に歌を!」でやっていこう!!

 賢治のいう芸術や趣味をそれぞれが培いながら、この俵津(明浜・西予)の天地で楽しくやっていこう!!

 さまざまなこの町の課題もきっと解決できるだろう。

 

 俵津地域づくり活動センター検討委員会が、「アンケート調査」を始めている。いよいよ俵津も、地域ぐるみで動きだそうとし始めた。農家の数は往時の3分の一にはなっているが、楽しくやる百姓が果たす役割は決して小さくはないはずだ。

                       (2022・4・24)