虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

なんぼなんでもこれはもうあかんやろ。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思えば

                            (藤原道長

「世にもすぐれた人よ、君は知力でも武力でも優れた評判の高い偉大な人でありながら、ただ金銭をできるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気を使っていて、恥ずかしくないのか。評判や地位の事は気にしても、思慮や真実には気をかけず、精神をできるだけ優れたものにするということにも気を遣わず、心配もしていないというのは。」

プラトンソクラテスの弁明』、水谷千秋『教養の人類史 ヒトは何を考えてきたか?』文春新書より)

「社会の強さは、最も豊かな人たちが持つ富の多さではなく、最も脆弱な立場の人たちの幸福によって測られます。誰もが快適で、尊厳のある人生を送る機会があるかどうかを問わなければなりません」

(サンナ・マリン首相、堀内都喜子『フィンランド 幸せのメソッド』集英社新書より)

 おっ、この人は!と目をみはって仰ぎ見るような人間はいないか。司馬遼太郎がその小説で取り上げたような魅力的な「漢(おとこ)」はいないか。愛と希望を語ることのできる政治家はいないか。フィンランドのマリン首相のような「志」を持った政治家はいないか。

 いない。一人も。あゝ、自民党。あゝ、そこの政治家。

 政界がゆれている。自民党が揺れている。大激震だ。「自民党とカネ問題」。

 マスコミは、これを「キックバック」「裏金」「還付金」などの言葉を使って報道していて、どこも “集団犯罪” として取り上げようとはしていないが、これはまさしく自民党議員の総辞職、自民党の解体、を問題とすべき重大な犯罪問題であるとわたしは思う。

 政治資金規正法違反(収支報告書不記載)、所得税法違反(脱税)、公職選挙法違反(買収。不適切な地盤培養行為など)、憲法違反(納税義務、99条の遵守義務)。同時多発的にこれほどの大規模な法律違反を起こしたということは共謀罪法にも触れるかもしれない。

 孔子は、「まず名を正せ」と言った。

「日本人はアジア太平洋戦争の際に、侵略を「聖戦」と呼び、侵略軍を「皇軍」と呼び、退却を「転進」と呼び、全滅を「玉砕」と呼び、自爆攻撃を「特攻」と呼び、自分の国のことを「神国」と呼んだ。このような歪んだ名を与えて思考すると、何が起きるかは明らかであろう。これが「名を正す」ということの意味である。」(安冨歩『生きるための論語ちくま新書

 「犯罪」(それも極めて深刻な)として扱わなければ、やがて事態はまたうやむやにされてしまうだろう。そして、腐敗政権がこの国で永遠に続くことになる。

 日本が沈んでいる。

 名目GDPはドイツに抜かれて4位になった。国民の豊かさの指標である一人当たりGDPは32位。男性の平均賃金は韓国に抜かれ、ベトナムにも抜かれそうな低賃金国になった。労働生産性OECD38カ国中30位。正社員の男女賃金格差は35位。ジェンダーギャップ指数は125位。エネルギー転換は、世界の潮流から遅れ原発回帰へと舵を切っている。異次元の少子化対策と言いながら、一向に好転しない対策ばかりが続けられ、人口減少に歯止めがかからない。株価4万円越えでも、物価高で国民は青息吐息。・・・挙げだしたらきりがない凋落ぶりだ。

 現在の日本の「国民負担率」は47・8パーセントだったか。「5公5民」だ。これもさらに上げるという。やがては「7公3民」になるだろうという人もいる。

 こういう国の現状で、自分たちは税金を納めず(というか国家予算をいかに自分たちの懐に入れるかばかりに腐心する)、やりたい放題、自分たちの事だけしか考えない自民党議員と自民党。「藤原道長の世」以上のもの、かもしれない。

 政権をあずかる自民党議員にはとにかく「カネ」がいるらしい。その使途について田中真紀子さんがこう語っている。

①2世・3世・4世議員ともなると、自分たちの上級階級維持のための衣食住費・交際費などとにかく莫大なカネがかかる。

②選挙地盤維持培養のための費用もまた莫大なものがいる。都道府県議員・市町村議員・その他支持者をつなぎ留めておくためには、買収や飲食供与など日常的に湯水のようにカネが要る。父・田中角栄が病床に伏しているときでも彼らはやって来て「カネをくれ」とせびったという。

 ここから想像するに、これは単に自民党国会議員だけの問題だけではないのだなと、わたしは思った。日本全土にわたる途轍もない腐敗構造のピラミッドができているのだと言わざるを得ない。これで日本が良くなるわけが、ない・・・。

③個々の自民党議員にはまた党や派閥の領袖への貢納金が要るのだという。これも半端な額ではないだろう。

 思うに、こういうことばかりやっていて、彼らはいつ勉強するんだろう。今は(彼ら「選良たち」が)命を懸けるくらいにして勉強しなければ、凋落する日本を救うことはできない。派閥を解消して政策研究会をつくるなどと言っているが、今頃そんなことを言ってどうなるものか。視察研修と称してパリへ公費で観光旅行に行った自民党女性局の面々。自民党青年局の面々の過激ダンスショー。Oh My God・・・

 反社会的集団=統一教会との骨の髄までともいうべき癒着の問題。さらに、創価学会神道連盟、「日本会議」などとの関係を思う時、自民党自体が内部で複雑な化学反応を起こして巨大な反社カルト集団になったのではないのか、と思う時がある。それが言いすぎなら、極めて寛容性を持たない、国民に向けて開かれていない閉鎖集団だとは言っていいのではないか。国民にとって迷惑極まることだ。多くの人が賛成している「選択的夫婦別姓制度」のようなことさえ実現できず、政策の自由度・幅が限定されてしまうからだ。

 しかし、自民党は、この国で、永遠である。

 それらに守られた上に、政官財とメディアの強力な鉄の結合がある。そして、小選挙区制という選挙制度。さらに、政治に関心を示さない国民、がいる(投票率50%の世界)。支持率が20パーセントもあれば十分なのだ。盤石なのだ。そしてさらに、これほど何でも言うことをきいてくれる傀儡をなんとしても手放さないアメリカに守られている(今思えば鳩山由紀夫さんはその桎梏から抜け出ようとした人なのだったな、と評価の気持ちにわたしは傾いている)。

 国民は、膨大なツケを払わされている。これからも、払わされ続けるだろう。

 わたしは、絶望している。ここから抜け出る道はない。しかし、そう思わせることが彼らのしてやったりの思惑なら、絶望してもいられないのではないか。希望を探さなくてはならない。

 村上誠一郎さんが、その微かな希望の一つかもしれない。あの人の存在は、愛媛の誇りかもしれない。村上さんには、かつて新自由クラブを立ち上げて自民党を脱党した河野洋平氏のように、脱党して欲しい。村上さんは誤解している。自民党にはもはや自浄能力はない。自民党の解体こそが最大の希望である段階に、日本は来ているのだ、ということをわかってほしい。石橋湛山を目標に若手議員を鍛えると言っているがそんなことができるとはとても思えない。

 今回の、派閥の会計責任者や秘書たちに罪を着せて訴追を免れた安倍派五人衆を始めとする自民党政治家たちが、国会議場で満面の笑みを浮かべている姿を見た時、わたしはもうこの国は終わりだと思った。あまりのおぞましさに愕然とした。あまりの悲しさにこころが震えた。

 山本太郎さん(と大石あきこさんはじめれいわ新選組の人たち)も希望だ。こんな人たちに政権を任せたい。愛と希望を語れるのは、今の政界で彼らだけだ。

 政党や政治家ではないが、希望を感じさせる優秀な企業も日本にはまだまだある。「世界の革新的企業100社」には38社も選ばれている(その中には徳島の東亜化学工業があると報道されていた)。それらの企業を大きく支援すればこの停滞から脱却できるかもしれない。熊本県菊池郡菊陽町の台湾半導体企業・TSMC(台湾積体電路製造)誘致が話題になっているが、この38社をアメリカのシリコンバレーのように四国のどこかに集積させて、10兆円規模の援助をして育成するような政策をとったらどうだろう(m-RNAワクチンより安全なDNAワクチンを開発する企業もぜひ加えていただきたい)。だが、3300億円の献金をする三菱重工業に1兆円を超える武器開発を受注させるような自民党政権では、もう無理なことは明々白々。

 わたしたちがこの濁世をなんとか生きてゆけるのは、釈迦やソクラテス孔子やイエスやガンディーやマザーテレサや竜馬や田中正造親鸞宮沢賢治・・・やがいたからである。実在の人物ばかりに限らない。赤毛のアンやグスコーブドリやイワンや風の谷のナウシカモンテ・クリスト伯杉下右京葉室麟の小説の主人公たちや、・・・いっぱいいる。またあの人がいるから生きて行ける、希望が持てるというのは何も聖人や物語の主人公に限ったことではない。どの地域にもどの職場にもきっとそういう人はいる。

 けれどもそういう人は、自民党の中にはいない(だろう)。

「現代の日本社会が、企業といわず、政府といわず、大学といわず、民間組織といわず、ありとあらゆる組織において、耐え難いほどの閉塞感に苦しんでいるのはなぜか。それは制度の問題でも、仕組みの問題でも、法律の問題でも、慣習の問題でも、文化の問題でも、グローバリゼーションの問題でも、途上国の台頭の問題でも、少子高齢化の問題でも、なんでもない、と私には思えるのである。それはひとえに我々の社会が君子を欠いており、経営者が小人によって占められているからであり「和」が失われて「同」と「盗」とに覆いつくされているからではないだろうか。」

 「なぜ君子が欠乏しているのか。第一の理由は、人材の登用がおかしいことである。(中略)第二の理由は、君子がそもそも稀なことである。(中略)かくして孝弟は姿を消し、それゆえに仁者は現れず、道は廃れ、義は失われ、礼楽は衰え、和は崩れて同となり、盗がはびこる。そうして必然的に、「民の手足を措く所なし」という事態に至る。」(安冨歩、前掲書)

 わたしたちは今、よほど考えなければならないときに来ている。そう思う。

                         (2024・3・12)