虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

久しぶりです!中川寛泰さん!

狩江の中川寛泰さんの投稿記事を、4日の朝日新聞「声」欄(読者投稿ページ)で見つけた。ほんとうに久しぶり。お、載ってる載ってるという感じ。待ってました。中川さん、復活ですね。 伊方原発と地震 備えなければ 農業 中川寛泰 (愛媛県 80) 2月に2回、…

【寄稿】

劇団「ぽっくり一座」を!(「じじばばー」2.0へ!) 胡瓜 光陰矢の如しとは言うものの知らぬ間に、歳を取ってしまった。思えば浦島太郎にでもなったような気分である。そうかといってタイやヒラメの舞い踊りを、見たこともなければうつつを抜かしたこともな…

彼らに、言って聞かせる言葉はないか。

自民党国会議員に、言って聞かせる言葉は、あるだろうか? ある。山ほどある。星の数ほどある。鳥取砂丘の砂の粒ほどもある。国民の8割が怒っている、その怒りの言葉が、それだ。怒っていない(と思われる)残りの自民党支持者たちの中にも(声に出しては言…

なんぼなんでもこれはもうあかんやろ。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思えば (藤原道長) 「世にもすぐれた人よ、君は知力でも武力でも優れた評判の高い偉大な人でありながら、ただ金銭をできるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気を使っていて、恥ず…

ウクライナが、心配だ

ロシアの侵略によって始まったロシアーウクライナ戦争が2年になる。ウクライナにとって芳しくない戦況が報じられるようになっている。ウクライナが負ければこの世から正義が滅びる。人類の数少ない希望の一つが失われる。 以下は、現状を理解するために、わ…

こんなこと、あんなこと

2月10日と11日は、俵津地区産業文化祭でした。 例年のごとく、老人クラブも一室をいただき、スペースをつくりました。今年は従来1階和室の一部屋からもう一部屋使っていいということになり倍の空間が得られました。これは大きな意味をもちました。 まず、展…

これは「ジェノサイド」ではないか。

これはまさしく「ジェノサイド」だ、と思った。パレスチナ自治区・ガザを攻撃するイスラエルの行為に対してだ。第二次世界大戦時、アウシュヴィッツで600万人(その内100万人は子ども)のユダヤ人を殺害したナチスの行為(ホロコースト)とどこが違う…

わたしの初夢

公民館に隣接する空き家と空き地が、老人会に無償提供された。どうも、漏れ聞くところによると、わたしのブログの以前の記事(2022・02・19「空き家と廃園は「コモン」に」)が影響を与えたらしい。 老人会では、早速会議を開き、これをありがたく拝受するこ…

あんなこと こんなこと

2024年(令和6年)は、「辰年はゆれる」と言われるその言葉通りに大激震から始まった。元日の能登半島地震、2日の羽田空港の航空機事故。まさかこんなことが・・・。 厳寒の能登の地震は悲惨だ。一瞬にして人命と暮らし(衣・食・住・仕事・・)を奪わ…

80のばあちゃんが娘になった!今年の「じじばばー」は—

10月8日に行った「じじばばスーパー演芸会・2023」について書いておきます。プログラムを見ながら、順を追って。 ◆ ❤「来賓祝辞」。今年は「公民館」が「地域づくり活動センター」になった記念の年です。センター長の濱田直浩氏にお願いしました。 ❤…

「じじばばー」に東海先生登場!

10月8日の「じじばばスーパー演芸会・2023」、あけはま座「朗読劇」・プロジェクター紙芝居の2年目には、『長崎東海・俵津ものがたり』をやっていただきました。紙芝居製作が成った今年、俵津の人たちに東海先生を知っていただく絶好の機会だと思っ…

今年もやったぜ!われらの「じじばばー」!

10月8日(日)、俵津地域づくり活動センター・大ホールにて、「じじばばスーパー演芸会・2023」を開催しました。 この日は、まことに残念ながら、雨。しかも、冬が来たかのように寒かった。「秋日照り」かのような天気がずっと続いていたのに、なんと…

冨長さんの東海記(10)

地域が見える「東海日誌」 冨永 泰行 “明浜の赤ひげ”こと長崎東海先生について10回にわたり述べてきた。1901(明治34)年から昭和初期までの「東海日誌」が残されていたおかげである。日記資料というのは個人の記録であり主観的なものであるが、その人の…

冨長さんの東海記(9)

政治家・長崎東海先生 冨永 泰行 中国の故事に「小医は病を医(いや)し、中医は人を医し、大医は国を医す」と。現代においても医師でありながら、政治家になり「世直し」をめざす人は少なくない。長崎東海先生は「中医」「大医」をめざしたのだろうか。 土…

冨長さんの東海記(8)

「貧病人は銭取らず」 冨永 泰行 山本周五郎の「赤ひげ診療譚」では新出去定(にいできょじょう)先生は、大名や富豪からは高い医療費を取り、貧乏人からは取らなかった。 “明浜の赤ひげ” 東海先生はどんな対応をしていたのか。「南予案内」(1910年刊)…

冨永さんの東海記(7)

東海先生の外科的治療 冨長 泰行 医療技術の進歩の歴史は一般的には記されても、ある地域・ある時代の住民が実際にどんな医療を受けられたのかは、あまり語られてこなかった。 明浜の赤ひげと言われた長崎東海先生は、愛媛に来る前の土佐時代から乳がん手術…

冨長さんの東海記(6)

東海先生のあくなき分院構想 冨長 泰行 明浜への野福峠のトンネルを抜けると宇和海が一望できて心が洗われる思いだ。春にはつづら折りの道沿いに見事な桜が咲き誇る。遠くに戸島、日振島が一望できる。俵津から法華津湾岸を西に行けば、高山と大崎鼻には元ハ…

冨長さんの東海記(5)

伝染病と対峙する東海先生 冨長 泰行 明治期、コレラ・赤痢等伝染病の隔離のために県内に避病舎(隔離病舎)を500以上設置したことは先述した。いかに運営していたか疑問であったが、東海日誌でその疑問は解けた。 1911(明治44)年9月18日早朝、往…

冨長さんの東海記(4)

いつでもどこでも往診 冨永 泰行 “俵津の赤ひげ” 長崎東海先生の医療活動で一番驚かされるのはいつでもどこでも往診を請われれば出かける姿勢だ。 往診の範囲は、俵津から法華津湾岸を西に、渡江、狩浜、高山、田之浜、そして大崎鼻を回り北上すれば三瓶方面…

俵津を遊ぶ!—移住者のみなさまへ

「人間とは、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)である」 (ヨハン・ホイジンガ) ♥ 13日の日曜日は「盆踊り」の日でした。朝から、わが老人クラブ役員大奮闘です。会場中央に立てる竹の切り出しから始まって、そこに短冊等を括り付け、華やかに装い、設置しました…

冨長さんの東海記(3)

東海先生、愛媛に移転開業 冨長泰行 郷里の土佐・窪川周辺で医療活動をしていた長崎東海先生は1902(明治35)年5月愛媛・俵津村に移転開業した。 この年2月東海先生は「宇和島地方開業探検」の旅に出た。長い船旅が興味深い。 14日午前6時半愛馬「叢…

冨長さんの東海記(2)

土佐時代の東海先生 冨長泰行 “明浜の赤ひげ” といわれた長崎東海先生は土佐の出身。高岡郡松葉川村(現四万十町)七里(ななさと)に生まれ、1884年高知県立医学校を卒業し、90年に地元で開業した。その前後には東京の北里研究所等でも修行。 明治初期…

【話し合い資料】内田樹さんの「人口減少社会の病弊」

7月9日、老人クラブの「1日遠足」で高知へ行ってきました。NHKの朝ドラ「らんまん」ブームで人気の牧野植物園目当てです。他に桂浜の坂本龍馬記念館と大豊町の国の特別天然記念物・樹齢3000年の日本一の大杉を見てきました。 龍馬記念館で展示品を見ている…

冨長さんの東海記(1)

愛媛新聞に「四季録」というコーナーというかコラムというか、大学教授など愛媛の識者の方々が書かれる欄があります。 そこに、わたしたち「長崎東海研究会」のメンバーになっていただいている愛媛近代史文庫会長の冨長泰行さんの、長崎東海さんについての記…

まぼろしの俵津開発計画―俵津人の見た夢

ウソかホントかわからない。だれが起案し、どんな経過をたどり、そして潰えたのか、わからない。が、このわれらの俵津にはかつて以下のような計画や構想があったという。(このような話は、一住民のわたしなどのところにはリアルタイムでは届かない。) ❶俵…

提言メールが、来た!

「私の映画案内」というブログをやっている大阪の友人から、前回の記事に対して、「ジジババスーパー演芸会・2023への提言」という件名がつけられたメールが届いた。しかも二度も。本人の了解を得たので、以下掲載する。 ❤第1信(6月15日) ジジババスー…

今年もやろうぜ!「じじばばー」!

Sくんが、自身のメルマガで「じじばばー」に言及してくれている(「田舎暮らし 過疎の波」5/30日配信)。右リンク欄のトップ「田舎暮らしを楽しもう」から入って、目次の右端「田舎便り」をクリックしてご覧いただきたい。 「昨年十月老人会の肝いりで、演芸…

まず、移住者20人(組)を目標に、頑張ってみないか・・・

日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願にて候。 (坂本龍馬、宮地佐一郎『龍馬の手紙』講談社学術文庫) 子曰く、鳳鳥至らず、河、図を出さず。吾れ已んぬるかな。 「『幸運をもたらすというホウオウという巨大な鳥も、良いことが起こる前兆…

老人クラブ・「カラオケ会」、やりませんか!

今日は「こどもの日」。ゴールデンウイークたけなわです。コロナで巣ごもりしてい たひとたちが一斉に飛び出したかのように列島は人ひとヒトです。 俵津老人クラブも一日の神社掃除を皮切りに新年度の活動にとびだしました。といっても7月の「一日遠足」ま…

近々況々

四月三日、六ちゃんが死んだ。あまりに突然の死。俵津に衝撃が走った。ついこの間まで本当に元気だった。傍目にそう見えただけであったのかもしれないが、この正月明けの頃にはわが家の風呂のリフォーム工事を手伝ってもらった。元気そのものだった。 六ちゃ…