狩江の中川寛泰さんの投稿記事を、4日の朝日新聞「声」欄(読者投稿ページ)で見つけた。ほんとうに久しぶり。お、載ってる載ってるという感じ。待ってました。中川さん、復活ですね。
伊方原発と地震 備えなければ
農業 中川寛泰
(愛媛県 80)
2月に2回、地震を感じた。2回目は四国電力伊方原発がある南予が震源で、マグニチュード5・1。相当気色が悪かった。
「地震など来ない」とタカをくくって、まさかの時の備えを全くしていない。茶の間の茶だんすの転倒防止もしていない。大揺れが来た時にどこにもぐるか、断水時の備えや、避難時の持ち出し品などの準備を最小限やっておかなくてはと思った。
しかし、原発に万が一のことがあれば、有機栽培を原点に据え、家族でかんきつ栽培を頑張っている当方の被害は未曽有であろう。瀬戸内の産業は壊滅である。
次世代のことを考えたら、原発を早くストップさせてほしい、と強く思う。電力は再エネを推進すれば間に合うのではないだろうか。
防衛のために莫大な予算をつぎ込むより先に、原発の稼働をストップするほうが、安全保障への第一歩だと思うのだが。
狩江には論客が多い。酒井烈さん、宇都宮利治さん、酒井義人さん、西野知さん、佐藤健さん、斎藤達文さん、西村助広さん、原田義徳さん、片山元治くん、大津清二くん、・・・。故人にも多くいた。立花和雄さん、山下佐賢さん、幸地久志さん、佐藤正巳さん、佐藤茂雄さん・・・。中でも、中川さんは積極的に新聞等に投稿することで有名だった。ずっと以前から朝日新聞では常連の投稿者だった。
ここ5~6年ほどは全く記事が載らなかったので(わたしの見落としかもしれないが)心配していた。去年だったかおと年だったか、(生前の)母をたんぽぽ診療所につれて行ったときに、(風邪をひいたとかで来ていた中川さんと)出会ったので「どうしたのですか。また記事書いてくださいよ」とお願いしたことがあった。それを覚えていてくださったのだろうか。
わたしが中川さんを知ったのは、青年団の頃。中川さんはすでに退団されていて、直接ではなかったが、青年団資料の中に健筆を振るう中川さんを見つけた。当時わたしは優れた活動を持続している狩江青年団のことが知りたくて、公民館主事をしていた原田さんにお願いして、大狩浜集会所の資料室で過去の狩江青年団資料を閲覧させていただいたことがあった。
中川さんの書かれたものは、確かな政治・経済・社会状況の分析があり、文章も理路整然として格調も高く、わたしは資料室で一人で唸っていた。同時に、「教育」を大事にして厚い人材網を形成している狩江の風土に対しても敬意を持つようになったのだった。
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発言する同じ町の人の「発言」に触れることができるのは、ほんとうに嬉しくありがたいことだ。勇気をもらえる。安心する。ここでの生き方を学べる。ものの見方を教えていただける。
俵津でも、三好昌徳さん(故人)という愛媛新聞に投稿をよくする方がおられた。他の新聞(読売・産経・日経等)に投稿している方もおられるかもしれない。新聞に限らない。他の雑誌等やSNS等にも発言されている方はきっといるに違いない。情報をいただければありがたい。
(2024・4・7)