虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

「シンポジウム」、やりませんか

 4月になりました。俵津公民館が、「俵津地域づくり活動センター」に生まれ変わりました(正面玄関上の看板文字もかけ変わりました)。その記念すべき出発の月です。

 センターの陣容も整いました。各民主団体も役員が一新されました。俵津まちづくりの中心的役割を担う「俵津スマイル」の会長には、わたしの友人で同級生でもある西田初敏くんがなりました。同会はこれまで山下重政くん、日越三雄くんと発足時からずっと私の同級生が会長をしてきました。この俵津でまことに稀有なことです。

 どうでしょう。これを機会に一度(はじめてのことになりますが)「俵津まちづくり・シンポジウム」をやってみたら、と思うのです。人も組織も一新した時が、その好機です。

 俵津のみんなが、この町をどう思っているのか。この町をこれからどうしたいのか。本音を語る会を持ったらとてもいいことが起こりそうな気がするのです。

 やわらかなあたたかい光がふりそそぎやさしい風がそよぐ5月の連休明けの頃がいいですね。今だったら「コロナ」が小休止していますし、7月になったらまた新しい波がくるかも。すべての行事、コロナの隙間をぬって果敢に実行する知恵を身につけなければ。

 10人くらいのパネラーが、まず本音の問題提起をやって、それから大激論を展開する、そういう運びにしませんか。宇都宮幸博くん、宇都宮凡平くん、宇都宮由美子さん、酒井宇之吉さん、小島里世さん、川崎美里さん、清家真知子さん、片岡星矢くん、中山友哉くん、・・・俵津には話を聞いてみたい人がたくさんいます。とにもかくにも俵津市民みんなの共有できる「目的」を見つけ出すのがこのシンポジウムの目指すところです。

 前提条件が、あります。「物言えば唇寒し」にしないことです。誰かの発言を攻撃したり、「そんなこと言うなら、お前やってみよ」などとは絶対言わないことです。個々人の責任は度外視してとにかく自由にどんなことでも言える場にしなくては意味がありません。荒唐無稽、支離滅裂、論理的合理性無視、誇大妄想、ホラ、突飛なこと、千ミッツ、・・とにかく何でもいい。むかし、「南予のトッポ話」という言葉がありました。それです!それを言わなきゃいけません。わたしたちを取り巻く状況は、まともなちまちましたような発想・言葉ではどうにも打開できないところまできております。みんなのこころをざわつかせる思い切った発言が期待されます。主催者は、最初にそのことをぜひ言ってください。

 ということで、もし仮にわたしがパネラーの一人に選ばれたとしたら(そういうことはないでしょうが)、どんなことを言おうか、と考えてみました。

 

                   ❤

“365”の衝撃から立ち上がる!

 みなさんコンニチワ、○○です。ヨタヨタガタガタのみかんつくりの爺です。

 昨年の4月、地域づくり活動センター検討委員会の「アンケート」が回って来た時、ショックを受けました。なんと俵津の人口、30年後には365人になる、と書いてあるではありませんか。とすると、そこから類推すれば50年後にはこの俵津から人がいなくなる。若いころには永遠と思えたこの俵津が滅びる。これがショックでなくて何でしょう。

 検討委員会の諸氏は、この冷厳な事実を俵津市民に突きつけることで、大河ドラマの『どうする家康』じゃありませんが、「どうする?俵津市民!」と問いたかったのではないでしょうか。

 俵津が始まったのは、およそ1300年ほど前。大浦の10戸・40人ほどからでした。わたしたちは、ご先祖様もともに、この美しい里で喜びも悲しみも、愛も憎しみも、戦争も平和も、農林漁業の振興も衰退も・・・人生のすべて、歴史のすべてをくりひろげてきました。それが、なくなるのです。

 どうしたらいいのでしょう?

 残念ながら、どうすることもできません。総務省の推計によれば、日本自体も今世紀末には現在1億2千5百万人の人口が5千万人を切ります。年間90万人の減少ペースです。その時残るのは、首都圏、大阪・名古屋圏、福岡圏域などわずかの地域だけです。日本には1700余りの市町村がありますが、そのほとんどは消滅します。

 方法が、一つだけあります。

 それは、政府が「東京一極集中政策」「コンパクトシティ政策」やめて、全人口を地方にばらける。日本人が全国土に分散して住むようにするということ、だけです。幕末・明治維新の頃は、300藩3000万人が全国にばらけて住んでいました。しかし現在、それは虚しい願望に過ぎません。

 では、わたしたちは、どうしたらよいのか?わたしたちに方法はあるのか?ありません。このまま朽ちるだけです。

 問題は、その朽ち方、です。方法はないにしても、それでもなお何かをやりたい!と、今残っている1000人のひとたちが望む時だけ、かすかな“希望”(のようなもの)が生まれるかもしれません。

 それは何か?

 このこれからの50年、(わたしたち年寄りは間もなくお迎えが来ますが)この俵津を舞台に、わたしたちが、楽しく心豊かに生きることです。そのための環境を創り出すことです。厳しい現実に抗って、少しでも光の届かない闇の部分に光を当てようと力を尽くすことです。それしかできません。

 かすかなかすかな希望のようなものはあります。地方移住を考えている都市部の人たちの数が増えつつある、ということです。

 でも、彼らがこの俵津を移住先に選んでくれる保証はまったくありません。千葉から来た山下恭平君夫妻のように、ここを気に入ってくれて「どんな苦難にも耐えてここに定住する」と言ってくれる人は稀有のことです。

 大阪の友人が、こんなことを提案してくれました。「俵津は、年金暮らしの年寄りを受け入れたらどがいぞ。空き家も有り余るくらいあろうが。」と。

 なるほど、それなら企業誘致のような働き口を構える必要もありません。年寄りが大勢移住してくれれば、親を訪ねて子や孫も友人たちも来るようになるでしょう。その中には自分もここに住みたいという人も出るかもしれません。生活必需品の消費は増えます。何軒かの商店も成り立ちます。介護施設の増設も可能です。さらに彼らが一緒にまちづくりに取り組んでいただければ、その経験と知識は俵津の大きな発展をもたらしてくれるでしょう。

 じゃあ、その人たちがこの俵津を選んでくれるにはどうしたらいいか、そこに発想を飛ばしましょう。「魅力あるタワラヅ」を創らなくてはなりません。彼らに迎合せよ、というのではありません。先ほども言ったように、わたしたち自身が楽しく心豊かに暮らしながら、「いらっしゃい!一緒にやっていきませんか!」というだけのことです。

① 俵津人の「意識革命」が、必要です。ひとの悪口を言わない。他人の噂話に明け暮れない。ひとの足を引っ張らない。ひとを誉める。他所から来た人たちをこころから歓迎できる、一緒にやっていける人間性を育む。国際人になる。

② 農地の荒廃園や空き家を、所有者は無償で貸すという覚悟・決意・理解をもってください。そしてその使用の権利をスマイルなどに委託してください。

③ 俵津の大きな魅力の最大は、「サクラ」です。桜を1万本植えましょう。そうすれば、全国有数の名所をつくれます。毎年テレビが取り上げる場所にしましょう。

④ 俵津の農地の荒廃園。これ、西予市はじめ近隣の非農家の方たちに貸し出しませんか。俵津でみかんづくりを楽しみながら、魚釣りなどをしながら、休日を過ごすライフスタイルを提案しませんか。

⑤ 俵津を「演芸のまち」にしましょう!昨年、俵津老人クラブは「じじばばスーパー演芸会」をやりました。俵津公民館始まって以来の観客が集まりました。老人だけの演芸会だけでなく、子どもから年寄りまで全住民が参加する「俵津ふるさとまつり」もやりましょう。若い人たちのロックコンサートもやりましょう。劇団も作りましょう。演芸を通して、人々のこころの高ぶり・喜びを創り出しましょう。1000人の俵津市民の皆さん!一人一芸を持ってぜひぜひ参加してください(もちろん何芸でも可です!)。

⑥ 西予市に「俵津の生き方・行き方」への協力を求めましょう。全国に向けて発信していただきましょう。わたしたちも「俵津ホームページ」その他でおおいに意欲的に発信していきましょう!

 

 最後になりますが、今一番大切なことは何でしょう。

 みんながセンターに集まることです!そこで話し合うことです!全ては、そこから始まります!そこからしか、始まりません!

 これで終わります。ご清聴ありがとうございました。

                        (2023・4・7)