新聞の投稿欄に、わたしと同年生まれの方の投稿が載っていました。こんなのです。
「非国民」の時代 再び来ぬように
無職 中村澤三 (京都府 75)
憲法と共に年齢を重ね、ついに後期高齢者と呼ばれる歳となりました。戦争を知らない団塊の世代として、先輩たちから見れば傍若無人と映ったかもしれない振る舞いも、親世代の失敗を繰り返さないとの思いから出たものでした。これまで国土が戦火に見舞われる事態を招くことなく来られたのは幸いでした。
ところが近年、急激に私たちに対する風当たりが強くなっているように感じます。長生きすることが「国難」でもあるかのように難じられ、若い人のために身を削るべきだとの声が聞こえます。そう言えば、憲法もまた似たような境遇に置かれています。昨今の安全保障をめぐる議論では、「憲法を守る」「国民の生命財産を守る」との決まり文句を口にしながら、正反対の議論や施策が行われています。
さらに心配なのは、そうした動きを追認する声が社会に多いように感じられることです。憲法を守るために声をあげてきた私たちには、もうあまり体力は残されていません。無理して行動しても白眼視されるのではと腰が引けてしまいます。異を唱える者が非国民と非難される時が再び来ぬことを祈るばかりです。
(朝日新聞「声」欄、2023・3・1)
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この感慨、わかります。“団塊”として生まれようとして生まれたわけではないのですが、やっぱり「団塊」なんですね。
俵津にいると「団塊なんて知らないよ」といって生きていけます。ただわたしたちが多かったのだけは実感あります。村立俵津小学校に入学した時、全校児童数が600人近くいました。とにかくこのせまい俵津に子供がうじゃうじゃいてわたしたちだけが特別という感じはしませんでしたが。110人もいて、星・月・花と3組(クラス)あったのはわたしたちだけでした(中学校はA・B・Cの3組)。狩江と統合された明浜東中学校の第一期生でしたが、人数が多すぎて俵津校舎に入りきらないので狩江は分校としてそのままでした。今でも、俵津とその周辺地区に一番残っているのはわたしたちかもしれません。全国的に見れば、突出した大きな“かたまり”だったのは間違いないのでしょうね。堺屋太一氏は見事にそれを「団塊の世代」(注1)と名付けました。
今年度の出生数は、戦後初めて80万人を切るそうです。日本の“終わり感”“落ち目感”、感じますね。
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「私たちに対する風当たりが強くなって」きましたね。
あの成田悠輔イエール大学助教授(経済学)の悪意に満ちたとんでもない発言が最たるものです。「高齢者は自決せよ(切腹せよ)」ですか。あの人、どんな人なんでしょうね。ホントにそんなこと考えているんでしょうか。おそろしく品位がない。あの人の話に同調する子供たちも多いそうですから、これは困ったものです。
テレビなどに出て油を売っている暇があったら、この日本で1億3千万人が、自由で楽しく豊かに暮らしていく方法を考えたらどうでしょうか。人類80億人を一人残らず取りこぼさず救う経済学理論構築のために研鑽したらどうでしょう。自分の頭の良さを誇っているようなので言いますが、(わたしは名前だけしか知りませんが)マルクスやJS・ミルやケインズやアマルティア・センや宇沢弘文のような人たちを目指したらどうでしょう。
「団塊」は「戦争」が生み出したものです。そこを深刻に考えましょう。人口にこういう塊をつくっちゃダメなんです。そこをしっかり考えましょう。
「社会の総体的変革」という課題の中で考え抜く姿勢を貫いてください。
「2025年問題」(注2)に苦慮する政府のお先棒を担ぐような役割に甘んじるような人生では、まことにモッタイナイ。ツマラナイ。
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個人的な人生を振り返っても、団塊、よくやって来たんじゃないでしょうか。
オリンピックのメダルじゃないですが、金・銀・銅の「たまご(卵)」として低賃金で文句も言わず働き、経済復興・高度成長の基幹労働者になりました(わたしの初任給は14,000円でした!)。電気釜や白黒テレビや自動洗濯機をはじめとして様々な商品の旺盛な消費者にもなりました。「第二次ベビーブーム」(注3)で“団塊ジュニア”を生み出しもしました。現役時代には、年金の保険料もしっかりと収めてきました。
戦争は知りませんが、人生の後期高齢者になって、戦争を知るかもしれない(!)世代にもなりつつあります。
「生まれた所で、このまま死ぬまで生きることが、そんなにいけないことですか」―そんなことを言っていた年寄りがこの間新聞に出ていました。地方や田舎に生きることさえ、罪悪感を持たなければならないような世の中になりつつあります。
高齢者が追い詰められていく社会は、若者や子供たちにとっても生きにくい社会だと思うのですが、違うんでしょうか。
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むかし、ラジオで南海放送の若い女性アナウンサーが、団塊を「だんこん(団魂?!)」と読み間違えたことがありました。ミカン取りをしながら聞いていて、思わず大笑いしたことでした。でも今、「団魂か!それイイね!!」(くれぐれも言っておきますが、もう一つのダンコンじゃありませんよ。団魂です、団魂!コンはタマシイです!)と思っているのです。
800万の団魂となって、化けて出てやろうじゃありませんか。地方や年寄りをスケープゴートにし、亡き者にしようとしている者どもに呪いの言葉を浴びせてやろうじゃありませんか。コワいゾー・・。「ノーマクサンボーダイ、はんにゃはらみった、あのくたらさんみゃく、ウントコ・ドッコイ、キエええええええーっ!!」・・・
もう一つ。2年後の衆参同時選挙。団魂も団塊も、一人残らず選挙に行って、自・公・維の候補を一人残らず落としましょう!!それが最後です。それで自公政権が圧勝するようならば、この国は終わりです。「大日本帝国」に逆戻りです。
おゝ、団魂。キバラッシャイ!!
最後にひとこと。「敬老会」「敬老の日」、亡くなるかもしれませんね。
◆ネット検索による〈注〉(Bing)
※注1 「団塊の世代」
1947~49年生まれの戦後のベビーブーム世代。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。高度経済成長の真っ只中に社会人となり、バブル経済期の頃は40歳前後の働き盛りで、日本の「右肩上がり」を実感した。
※注2 「2025年問題」
2025年、いわゆる「団塊の世代」800万全員が75歳以上、つまり後期高齢者となります。2025問題とは、超高齢社会が訪れることで生じる様々な影響のことを言います。
団塊の世代は、第一次ベビーブームの時期に生まれ、さまざまな分野で日本の成長を牽引してきました。この世代が75歳以上を迎えることで、総人口1億2257万人のうち、後期高齢者の人口が2180万人に達します。2025年問題の社会的影響の一つが、医療費や介護費(社会保障費)の増大、またそれに伴う現役世代の負担の増大です。
※注3 「第二次ベビーブーム」
1971年から1974年までの出生数200万人を超える時期をさすことが多く、1973年の出生数209万1983人がピークとなった。ちなみに、団塊の最多は、1949(昭和24)年の269万6638人。
(2023・3・10)