虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

あんなこと こんなこと

 2024年(令和6年)は、「辰年はゆれる」と言われるその言葉通りに大激震から始まった。元日の能登半島地震、2日の羽田空港の航空機事故。まさかこんなことが・・・。

 厳寒の能登地震は悲惨だ。一瞬にして人命と暮らし(衣・食・住・仕事・・)を奪われた能登の人たち。その辛さ・苦しさは、いかばかりだろう。あの日から1カ月になろうとしているが復興支援の手は充分に届いているのだろうか。わたしの目には、石川県も政府もなぜか、どこか、対応が鈍いように映る。

 政治家も「裏金作り」に勤しむ暇があったら、身一つで能登へ出かけたらどうか、とさへ思う。

 そして、わたしが切実に思ったのは、「これは他人ごとではない。これは明日のわたしたち自身の身の上だ。」ということだ。南海トラフ地震が起これば、全く同じことが起こる。山は崩れ、道路は寸断され、家屋は倒壊し、津波に跡形もなくもっていかれ、・・・。俵津は孤立するだろう。間違いなくそうなる。さらに、伊方原発が被害を受ければ、事態はこの上なく深刻なものになるに違いない。あの原発「避難計画」などはまさしく「絵に描いた餅」になることが明確化した。

 よりいっそう少子高齢化・人口減少が進んだ将来では、もはや支援の手も届かなくなっているかもしれない。

 能登半島地震は、わたしたちに、この国の恐ろしい現実と未来の姿を突きつけた。

 

※ もし、お暇でしたら、わたしの以前の記事読んでいただけませんか(2020・04・01「俵津は、滅びない!」)。

 大地動乱の時代の南海・東南海・東海・首都直下の広域にわたる大地震の予測と対策について、地震学者の石橋克彦氏が描かれた雑誌記事を抜粋したものです。この「対策」を日本がとれば、過疎や消滅危機に苦しむ地域は滅びないし、日本も新しいステージに飛躍できると思って取り上げたのでした。

 今回の政府や石川県の地震対応を見ている限り、政府には「政策」を変える気は全くないことが分かります。能登は見捨てられるのではないか?そんな気さえわたしにはします。つまるところそれは、全国の俵津のような津々浦々の小さな町も、ということでしょう。わたしたちは今こそ、深く考えなければ、と思います。

 ずいぶん長いご無沙汰でした。申し訳ありません。

 後期高齢者になったわたしには、昨夏からの半年間は身も心もなかなかに “たいへん” な期間でした。夏の「沸騰」する猛暑(しかも少雨)。母の終末期の看取りと葬儀。まったく経験したことのない秋の(「大」の字をを付けてもいいような)旱魃(秋ひでり)。カン水作業に追われる毎日(クーラーのない園地の柑橘樹は枯死寸前でした)。さすがのわたしも体調不良をおこしてしまいました。体力・気力の減退・・ヒロウコンパイです。そして、迎えた収穫の季節。ホント忙しかったです。(まだポンカンの収穫が終わってないようなテイタラクです。)

 トシには勝てませんなあ。体調はすっかり良くなりました。またボツボツ、ブログ再稼働します。おつきあいください。

 俵津の「まちおこし」に動きがありました。以前このブログで紹介しておりました「ゆめさく」の “夢起こし” がいよいよ始まったのです!(2022・12・13に書いた「“ゆめさく”の夢よ、咲け!」をご覧ください。)

 まずは、昨秋、彼女たちが書き、全戸配布した文書から読んでください。

 

                                                                                ゆめさくからのお知らせVol.1

俵津地区の皆様へ

 現在、旧JA明浜支所を皆様が集まれる場所に改築しています。

 一階にお年寄りが身体を動かせるジム、そして喫茶店。二階に大人のジム、そして子供達の遊びを通して体力を作るジム。街の人達が気軽に品物を出せるミニ道の駅。

 そんな人と人が交流できる場所に今、生まれ変わらせようとしています。

 何もない俵津にこんな場所が出来たら少しでも楽しくなるのではないか?そして、体力を付ける事が健康で長生きをサポートし、病気にもなりにくい、病院代もかからない、子供たちにもこれから先、生き抜く力を養わせたい、そんな思いを皆んなで持ちました。そして今に至っています。来年にはオープンする予定です。

 皆様にも色々ご協力願うと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。

 PS、また写真が撮れましたら掲載させて頂きます。

                         ゆめさく屋

 

 すでに、屋根の防水工事を終え、内装工事も着々進展しています。「年寄り向けのジム」には、「ヘルストロン治療器」を10台ほど置くそうです。あの宇和の「気さくなスーパー木村チェーン」前の以前激安酒店だった所にある評判のあれです。現在俵津からもかなりの人が毎日通っておりますので、出来たあかつきには結構人が集まりそうです。彼女たち、なかなかいい所に目を付けたなと思います。

 海側の駐車場だった所は様相一変、公園になっております。スマイルとの共同事業です。花畑の囲いのブロックには小中学生と市民が描いた絵が華やかに彩られています。人を寄せる工夫がすみずみまで計算されています。

 ここを起点に、俵津がすこしでも発展する事を祈ります。

 12月22日、今冬最初の雪(けっこう大雪といっていい雪でした)のあと、車が通れるようになった時、友人二人と宇和の市役所横に新しくできた「ゆるりあん」へ行って来ました。二階の飲食店で“ブリの照り焼き定食”を食べ、城川郷の銘酒“尾根越えて”を飲みながら(両方とも格別の味でした)語り合いました。そこを出た後は隣のカフェでコーヒーを注文し、テーブルと椅子がたくさん置かれた憩いのスペースで話の続きです。師走のひととき、都合3時間ほどほっこりと気持ちのいい心豊かな時間を過ごしました。

 「ゆるりあん」はわたしはじめての体験。いい所が出来たな、と思いました。何年か前、東京練馬の区役所を訪れたことがありましたが、そこはまことに区民のための楽園の様なところでした。一階はホールになっていてグランドピアノが置かれ、区民が演奏会をやっておりました。障がいを持つ人たちが経営するカフェ(軽食堂)があり、会議室がいくつもある、もちろん最上階には展望のいい食堂がありました。今、公共建築の設計思想はこのようになっているんだなといたく感心させられたことでした。西予市もその流れに乗った(規模は小さくても)施設をつくったのだなと了解したのでした。

 12月20日、藤本義男くんが亡くなりました。わたしより一つ下で、享年74。無茶々園俵津支部の仲間でした。ハワイも一緒に行きました。寂しい限りです。こころから冥福を祈ります。

 1月7日。俵津老人クラブの新年会が宮崎旅館で行われました。コロナの第10波は広がっていますが、みんなもう恐れなくなりました。やはり仲間と飲む酒はいいものです。二次会には「うきな」へ行きました。そこで、前会長の永山福重さんが「四月の総会の余興で〈カラオケ会〉をやろうじゃないか!」と言い出しました。趣旨はこうです。

・今まで総会の余興は、文化協会(俵津支部)にお願いしていたが、協会が著しい人数減少でやれなくなったので、老人クラブが自前でやらざるをえなくなった。

・誰かに何かをやってもらって、それを見て楽しむという旧来の老人(クラブ)のありかたを見直す時期に来ているのではないか。今の老人は若く元気で自分でやって自ら楽しむ能力を十分持っている。老人自ら舞台に上がって自分で楽しむスタイルをつくろうじゃないか。

・自分が会長の二期4年間は、コロナで総会がやれなかった。今年は何としてもやってもらいたい!盛り上げるための起爆剤をつくろう!また、年々総会参加者が減っている中で、一人でも多く参加者を増やす手立てもいる。それがこの「カラオケ会」だ。

・そして、もっともっと楽しい老人クラブをつくろう!もっともっと役員や会員同士が仲良くなろう!

 熱い前会長の言葉にみんな感動したのでした。うららの春、面白いことが起こりそうです。たわらづライフ、ますます楽しくなりそうです。

 

 そういうわけで、今年もよろしく。

                      (2024・1・24)