虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

また、あのイヤな展開が、始まった・・・

1、

 「核のごみ(原発から出る高レベル放射性廃棄物)」の最終処分場をめぐり、北海道の寿都町神恵内村が、国の選定プロセスへの応募を表明した。

 選定プロセスは三段階あり、①文献調査(2年間。交付金最大20億円)②概要調査(4年間。交付金最大70億円)③精密調査(14年間。交付金額未定)を経て、建設地を選定するというものである。まずは①の「文献調査」への応募表明ということになる。国(経産省)は今回、「同時多発で批判を分散させる」狙いで、複数の自治体が応募する環境づくりに腐心し、現在80団体以上が関心を示しているというから、今後も名乗りを上げる自治体が出そうである。

 このニュースに接してわたしは、ああ、また、「原発」をめぐって日本中で繰り広げられたあのイヤなことの数々が、この国で展開されるのか、と暗い気持ちになった。賛成派と反対派に分かれての血みどろの戦い、保障金を貰った者と貰わなかった者との間に生まれるわだかまり、反対派へのさまざまの切り崩しや分断工作・権力の介入、親戚や家族や友人間でも反目が現れる悲惨な状態、「人間」が壊れていくような哀しいことの数々を見なければならないやりきれなさ・・・。

2、

 それで、思い出したことがある。もう40年も前のことになるが、仲間何人かで当時の明浜町の議員たちと話し合ったことがあった。

 その時、一人の議員が、「明浜町のような過疎の町が発展していくためには、伊方のように原発を受け入れるか、“原子力船むつ“の母港にでもするしかない」と言っていたのだ。こうした発想は、日本中の過疎の市町村に連綿として生きつづけてきているのだな、とあらためておもった。

 この議員氏に対しては、無茶々園を創った片山元治くんは、次のような根本的な考えの基準を示して、反対の論陣を張った。

・我々は、自然という最大の財産を持って生きている

明浜町においては、畑と山と海が有機的に結合されてはじめて、明浜町という地域社会の社会的価値が定まるのである

・多くの仲間と共に、良きパートナーと共に、この町で「生きる」ことを、しっかり感じながら生きていきたい

 今や無茶々園は、200人の生産者と100人を超える雇用を生み出している大きな存在になっているから、彼の論は、はるかな「現在」を見通していた。

3、

 仕方のないことかも知れないが、自治体の理事者や職員や議員たちは、どうしても、国→都道府県→市町村という行政の流れの中で施策を考える。しかしながら、それでも今回のような、立ち止まって考えざるを得ないような「政策」がやって来た時、どうするか。

 それはやはり、(住民が)片山のように、この町でこうやって生きたい!、これをしたい!というアイデア・プランを持っていることが、とても重要になる。一人一人が(まちづくりに対する)自分なりの夢や構想を持つことが、とても大事だ。それを日頃から表明しておくことが、とても大事だ。

 住民(市民)の「パフォーマンス」が上がる“まちづくり”をしなくてはならない。市民のモチベーションやインセンティブが下がり落ちる生き方を強制する行政にしてはならない。たった一度の人生を、おもしろく楽しく生きることのできる町、をつくらなくてはならない。

 2015年の国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)ー誰一人見捨てない社会を目指さなくてはいけない。そういう理想を掲げることがとても大事で必要な時代になっている。

                      (2020・10・17)