虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

湾岸道路を軽トラで走りながら思うこと

 湾岸道路を走るのは気持ちがいい。わたしは大浦のみかん山へ行くとき、今は葉桜となった宮崎川土手の桜道をまっすぐに下って共選場の所から、この道に出る。展望が一気に広がる。この快適な道路を行き来しながら思ったことを、記したい。

 

1♥ 俵津湾に「鯉のぼり」を泳がそう!

 ゴールデンウイークの期間中に俵津湾上に「鯉のぼり」を泳がせたら、と思った。藤本義男くんの家の向かいの山から伊井旅館の上の山に鉄塔を建て、ワイヤーを張って、みんなから寄贈を募って集まった鯉のぼりをつらくって、空に泳がせるのだ。今では鯉のぼりをあげる家は数件しかなくなったが、各家庭にはタンスの奥にしまわれて眠っている鯉のぼりが、まだ沢山あるのではなかろうか。明浜や西予市にも呼びかけて、寄贈してもらうようにもしよう。きっと、俵津の新しい名物になるだろう。人の賑わいをつくることができるだろう。

2♥ 浜に街路樹を植えよう!

 湾岸道路をつくる際に新しくできた船着き場の広場がとてもいい。旧道から50メートルも沖へ出たせいで、格好の魚釣り場になった。普段でも数人が釣りをしているのを見かけるが、休日ともなると大きなワンボックスカーでやって来た家族連れなどで20~30人になる時がある。(去年の夏だったか、俵津湾にイルカの大群がやって来た時には、もっと多い人で賑わった。)予期せぬ釣り公園・憩いの場が出来たような感じだ。

 ここにベンチなどを据え付け、街路樹を植えてさらに居心地のいい場所づくりをしたらどうだろう。というか、近くの魚市場跡地に出来た広場や、住宅地側にもできている空き地にも街路樹を植えて、この辺りを全体的にとらえて公園化・美観地区化してはどうだろう。きっと、俵津の新しい夢空間がうまれるにちがいない。

 街路樹の樹種などはみんなで考えればいい。桜の町だから桜でもいいが、落葉樹でない方がいいかもしれない。垢ぬけのしたもっと素敵な木があるかもしれない。あれがいい・これがいいとみんなで考えるプロセス自体も楽しもう。

3♥ 農協の建物を使おう!

 軽トラで走っていて「もったいないなあ」といつも思うのは、人影の消えた空き家の俵津一の大きな建物=農協だ。ここにいろいろなテナントが入ったら、俵津はもっと生き生きした町になるのになあ、と。学習塾・フィットネスクラブ・スーパー・カラオケ喫茶・司法書士事務所・鍼灸整骨院・整体・パン屋・カフェ・・・等々。

 農協は、やはりいまでも、地域おこしの中核団体の位置に屹立してあることに変わりはない。儲けばかりを考えていては、逆に衰退していくだろうと、わたしなどは思うばかりだ。

4♥ 千葉から、みかんづくりを志して、若者が移住してきたそうだ!

 俵津スマイル会長の日越三雄くん(同級生)によると、西予市のホームページの「移住サイト(地域おこし協力隊募集)」を見て、移住を希望して俵津へやって来た若者がいるそうだ。スマイルが全面的にバックアップして面倒を見ると言う。2年間ほどはヘルパー組合で研修して技術を身につけることになっていて、将来の経営園地も募集中とか。早速、新田の稲生豊次郎さんが五反田の園地を貸してやると申し出ているという話だ。希望の光が少しだが、射し始めたような気がしている。

 「俵津公民館だより」5月号でも一面トップで取り上げられているから、もうみんな知っているだろう。山下恭平くん(29歳)というそうな。家は3区の中村さんの所を借りて住んでいるとか(あの家は囲炉裏も切ってあって、都会の人には好みかもしれない。また、3区は海も近く生きて行くにはとてもいい所だ)。写真も大きく出ていてなかなか逞しそうで根性ありそうな顔をされている。「どんな困難をも乗り越えていきます」という本人の決意表明のような「あいさつ」も載っている。どうかこの俵津を気に入ってくれて定着してくれるように祈りたい。

 けれども、定着するのは、とても大変なこと。農家を始め俵津住民のあたたかい協力が必要だと思う。特に、わたしが言いたいのは、いい園地を構えてやることが大切ということだ。できたら、国道・県道・農道の上下の仕事がしやすくてまとまっている園地を提供してやりたいものだ。そこが荒廃園なら、みんなで総出で出歩して再開墾して苗木を植えてやるくらいのことをしなければとても無理だと思う。そのときは、わたしも老骨に鞭うって、草刈りくらいの手伝いをしたいと思っている。

5♥ 砂防ダムが完成した!

 3年前の西日本豪雨で破壊され、廃業のやむなきに至った農協マーケットの上、網干譲治氏宅の上に、大きな砂防ダムができた。右上には今でも痛々しくむき出しのままの崩落地が見えていて被害の大きさをものがたっているが、これでひとまずは安心だ。

 ただ、このダムの上は広大な荒廃園になっていて、しかも急傾斜地だから、視覚的には俵津の美観は著しくそがれている。ここに桜が植えられたら!・・とわたしは夢想しているが・・・。

6♥ 開発進む「ボラ小屋」が見渡せるが・・・

 湾岸道路から、スマイルが、雑木を伐ったり、桜の植樹などをしているボラ小屋・根崎が見渡せるが(なかなかスッキリしてきている。好感度の高い景観になりつつある。)、どうも、県の方から、注意というのか、わたしにはなんだかよくわからないことが入って、活動が中断されているという話を聞いた。大したことでなければいいのだが。

 わたしたちの子供時代は、まだボラ小屋の海水浴場があってそこへ降りる道も(幅は狭かったが)しっかりとあった。あの頃より幅の広いちゃんとした道がつくということだが、それが何かに(規制に)引っかかったのでもあろうか。

 俵津の湾岸はいま、確かに何かになろうとしているのだから、一日も早い解決を見てスマイルの活動が進展を見せるようになることを願いたいものだ。

7♥ 風車は俵津の風景として定まった!

 俵津の後背地、宇和・三瓶との町境の山に聳え立つ7基の白い風力発電用風車は、湾岸道路から見ると、とても美しい。もうすっかり俵津の新風景となって定着している。軽トラで走りながら、そのことを感じる。

 心配していた(佐田岬半島の風車にはあるという)低周波公害もない。むしろわたしは、唸りなどあげることのない休んでばかりの風車が心配だ。あれで、発電できるのだろうか。あれで、収益があがるのだろうか。と。でも、羽の形がはっきり見える今の風車が、わたしはとても好きだ。

8♥ あのヨットを、活かせないか!

 ひとつ忘れていた!俵津湾には素敵なヨットが一艘停泊している!これも重要な俵津の風景になっている。これがあるだけで、俵津がなんとなく引き立って見えるから不思議だ。このヨットを運用できないものだろうか。俵津まちおこしに一役買ってもらえないだろうか。

 持ち主をわたしは知らないが、俵津の誰かが運用を任せてもらって、営業していくことはできないものだろうか。「俵津湾・法花津湾巡り」「田之浜まで行く宇和海めぐり」「別府まで行くコース」などと「コース」を設定し、料金を取って運営するのだ。夢物語だろうか?!

 これは余談だが、1980年代初め頃だったか、明浜にヨットハーバーを作るという話があった。いつの間にか立ち消えにはなったが、宇和海と言うのはそれほどに魅力的な所なのに違いない。神奈川の油壷というヨットハーバーで有名な所へ行ったことがあるが、明浜も地形的には負けないが、ただ都市から遠いのだけがマイナスなのだろう。80年代はバブルだったから、こういう話もたとえ噂であれ起こったのだろう。

9♥ まちづくりの「テキスト」がいる!

 わたしは、俵津のまちづくりのためには、みんなが「共有できるヴィジョン」を導くことができる手順を教えてくれる「テキスト」がいると思う。俵津にはまちづくりの団体として「スマイル」はじめ「桜保存会」「老人会」「婦人会」「青年会」「農業後継者の会」「青果同志会」「PTA」「区長会」などがある。まちづくりのスタートのある時点まで考え方・方法を共有できるものがあったら、ムダな試行錯誤を省けるし、スムーズな進行ができる。

 最近これがいいのではないかと思えるものに出会った。枝廣淳子『好循環のまちづくり』(岩波新書、2021、税込み880円)だ。ここには、まちづくりの「ホップ」「ステップ」「ジャンプ」がやさしく書かれていてとても有意義だ。たとえば、枝廣さんは「ホップ」の章で、アイディアが出やすくなるコツとして、「理想像のありたいまち」と「現状のまち」を比べたときに、「増えてほしいもの」は何か、「減って欲しいもの」は何か、「変わらずにあってほしいもの」は何か?を考えて見たらどうか、と言っている。なるほど、これなら導入部の話し合いに好ましい結果を生み出せる。

 上に挙げた団体はぜひこの本をメンバー全員に配って、読んでもらうようにしてはどうだろうか。あるいは老人会と婦人会と区長会にその使用権が任されている「葬祭組合」の積立金(300万円の残金がある)を使って、100冊くらい買って配布するというのはどうだろう。ぜひ、検討してみてください!!

                        (2021・6・3)