虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

西田孝志・未掲載エッセイの掲載について

 「俵津ホームページ(THP)」に15回掲載され、たいへん好評だった「西田孝志・連載エッセイ『私の映画案内』」(初掲載は平成30年1月15日)http://tawarazu.net。その未掲載の原稿が、わたしの手元に10篇あります。それをここに随時掲載していきます。コロナ禍で巣ごもり状態の皆様、彼の映画評を味わいながら、取り上げられた映画をTSUTAYAで借りてきてご覧いただけたらと思います。

 それにつけても、大洲シネマサンシャインがなくなったのが残念でなりません。宇和島辺りでやってもらえませんかねえ。それはともあれ、映画というのはやはり人類の素晴らしい文化ですね。

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西田孝志・連載エッセイ「私の映画案内」⑬

韓国映画から見る韓国人            西田孝志

 私は韓国映画のファンである。理由は、とにかく見て面白い。ストーリーの展開に無理や無駄がないし、必ず見る側の心を揺さぶる様な見せ場を作っている。しかし、昨今の日・韓の関係を見た時、私は少なからず、何故だろう、と思う事があるのだ。そこで新めて韓国映画から見える韓国人について少し書きたいと思う。断っておくがあくまで映画の中に映し出された人々であって、実在の韓国人全てがそうだ、と言う訳ではない。

 韓国映画と日本映画とでは、どこがどう違うのだろうか。以前にも書いたことだが、韓国の映画は金大中大統領の時代に大きく発展した。新しい産業の一つとして国が予算を投じ、人材を発掘し一大産業に育てあげたのだ。今ではハリウッドでも通用する、世界的な監督を何名も輩出さえしている。つまり新しいと言う事なのだ。古い伝統や因習がない、だから日本映画とも違ってくる。といっても日本映画が古いと言っている訳ではない。両国の映画の大きな違いの一つは、リアルさである。韓国映画は特にリアルであり、多分に現実主義的であると言うことだ。例えば古い伝統を持つ日本映画には様式の美と言うものが存在した。立ち回りを例にとると、一時代前の日本映画では主役のリアルな立ち回りより、体の動きや流れの美しさを見せる。さらに死ぬ事さえも美しく美学として捉える。高倉健さんのヤクザ映画がその一例だ。余談だがこれを決定的に変えたのが「仁義なき戦い」と言う映画なのだ。様式美を取りさり、リアルさを追求したこの映画によりヤクザ映画は変わってしまった。この例から見ても韓国映画が先進的である事が分かる。韓国のリアルさは徹底している。映画の中の行動も感情表現も全てリアルである事がもとめられ、そこに中途半端はない。ファンタジーでさえリアルさを求められる、偶然は排除され選択の結果が突きつけられるのだ。好きなら、好き、嫌いなら嫌い、中途半端は嫌われる。それゆえに韓国映画では、人の道を行く者は善、道を外す者は悪となる。人の道とは、儒教的倫理感に依る所がとても大きい、すなわち、長幼の別、上下の定め、血縁と地縁の絆などだ。この事がある意味韓国映画の特色とも言える。

 韓国の前大統領が罷免されたが、韓国国民が怒ったのは、文書の漏洩や権力の乱用についてではないと思う。彼らが本当に怒ったのは、大統領側近の政府高官が一介の女占師に顎で使われる姿がネットで流出したからだと私は思っている。つまり彼や彼女は人の道に外れたのだ。だから彼らは必然的に悪となるのだ。しかし私は思う。前大統領にも彼女自身の孤独な立場があっただろう。あまりにも感情的に過ぎないだろうか、と。これは韓国映画にとても多いのだ。法をもって人を裁き、法によって人を罰するのは法治であり、人の理性である。しかし、映画の中での彼や彼女達はそれを許さない。彼らの恨みはたとえ相手が亡くなっても文字通り何代に渡っても晴らされないのだ。もし仮に私が相手を深く傷つけたとしょう、私は裁かれ、仮に無罪となる、法に於ける責任はすんだことになるがそれでも私は慰謝料を払おうとする、しかしその行為が再び彼らを傷つけるのだ。法で裁けぬ相手から、慰謝料を払えばいいだろう、水に流せよ、と言われる事は金で恨みを治めろと言う事なのだ。余計に憎しみや恨みがつのる事になる。

 17世紀の哲学者「スピノザ」は人の感情は発するものではなく、受けて生ずるものである、と言った。彼の考えでは感情は能動的なものではなく受動であり、人はそれに依って変容する存在なのだ。彼はこう書いている「人間は受動という感情に捉われる限り相互に対立的である」。この対立を解消する方はないのだろうか。残念ながら私の見た韓国映画の中に良い方法はあまりない。多くは復讐の刃を向けられるか、一方的に非を認め涙を流して謝罪するかで終わる事が多い。スピノザはこう言っている「我々が感情をよりよく認識するに従って感情はそれだけ多く我々の中に在り、また精神から働きを受ける事がそれだけ少なくなる」。恨みや憎しみはあって当然なのだ、人間だから。それを前提にして、過ぎた事ではなく現在の問題として捉らえなおす事が必要なのかも知れない、と私は思う。

 以下に私が見て欲しいと思う韓国映画を2本揚げる。ぜひ見て欲しい。

 一本目はファンタジー、コメディで「四人のゴースト」。コメディだがラストで私は泣いた。人間の深い愛情を感じさせる映画。

 二本目は「殺人の追憶」。実際に韓国で起きた連続殺人事件を題材にしたサスペンス映画、ラストシーンは特に世界的に有名で、映画と言う非日常の世界からいきなり見る者自身の日常に切り変わる恐ろしさを感じて下さい。

 それではこの辺でゴキゲンヨウ・・・。

                           (2020・10・24)