6月25日、城川町の西予支所二階会議室で「長崎東海研究会」がありました。「コロナ」でしばらく休んでいましたが、久しぶりの集まりです。今回は特別バージョンで、「城川史談会」の皆さんの会合に、わたしたちも入れていただくという形で行われました。古文書研究学芸員の別宮博明さんの粋な計らいです。会は、東海が、郡会議員として同僚たちと「道路予定線」(「惣川希望線」・「遊子川希望線」。この名前がいいですね。)の城川視察行を記した明治四十二年六月十四日~二十日分の「日誌」を読むという内容。別宮さんが、モニター画面の地図を示しながら、懇切丁寧に解説。素敵な二時間でした。
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ところで、みなさん。早速ですが、「俵津ホームページ」を開いて見て下さい。http://tawarazu.sun.bindcloud.jp/pg38.html。そこには、「俵津スマイルーいいまちづくり隊」のまったく新しい俵津開発構想が載っております。
「2020年5月14日手上げ型地域づくり交付金事業提案。根崎地区(通称ボラ小屋)の『桜保存ならびに環境保全』及び『憩いの場』整備事業」。
事業内容は、
1、『憩いの場』整備
① 散策道整備
②海岸に降りる道を復活させる
③広場の造成(屋外シアター空間づくり)
2、『桜の保存並びに植樹』
3、『ゴミ回収』
4、『交流会』
詳しいことは、写真も地図も載っておりますので、同ホームページを見て下さい。これを、「俵津に隣接する狩江地区及び他地域と連携して『ライン地域おこし』を図る足掛かりとして」行う、と言うのです。素晴らしいです。俵津全体を「デザイン化」する視点がでてきたのです。
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根崎は、狩江と俵津を分ける長大な海岸段丘の先っぽにあります。「この海岸段丘は、まるで絵にかいたような典型的なもので、美しい」と、かつてわたしたちの中学時代、理科の鹿島愛彦先生(後の愛大教授。地学。故人)が野外授業で言っておりましたのを思い出します。
国道378号線の渡江トンネルができる以前は、「掘り切り」をつくって渡江と結んでおりました。その掘り切りのすぐ横が根崎。その山上では、かつて田中恒利さん(故人。元衆院議員)や中村吉平さん(93歳。元明浜農協組合長)、宇都宮彪さん(95歳。元明浜町議会議員)たちが若き日、声を張り上げて演説の練習をしていたということです。
わたしはここを「恋人岬」とかってに名ずけておりました。青年団の頃、こんな唄を知ったからです。
〈渡江街道は恋の道〉
ここで別れちゃ 未練が残る
せめて渡江の堀切までも
送りましょうか 送られましょうか
渡江街道は 恋の道
ブンガチャッチャ ブンガチャッチャ
どうです、いいでしょ!ムネキュンとなりませんか?!これを作ったのは、まことにユニークな人物でした・豊田守明さん(故人)。わたしたちは「守ちゃん」と呼んでおりました。
その守ちゃんは、当時公民館主事をしておりました。事務所の部屋は、青年団・婦人会・老人会の面々でいつも賑やかでした。その守ちゃんは(酒豪でした)、個人的にも「豊田学校」という飲み会やら何やら訳の分からない会(?!)を毎夜のようにやっておりました。大勢の生徒たち(!)と飲みながら、人生論・恋愛論・政治論・まちづくり論などを語り合ったのでした。生徒の中に、「あの娘を呼んで欲しい」というものがあると、気軽に要望に応え、会終了後はその生徒が渡江の堀切りを越えて、狩江・高山へとうら若き女性を送って行く、その情景をおもしろく唄にしたのでした。生徒たちの中にはだから狩江や高山の女性と結婚したひとが結構あったんですね。
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守ちゃんは、また、こんな唄も作っております。(役場へ入る前は、渡江トンネル手前=ボラ小屋への入口付近にあった「村田真珠」で働いていたそうです)。
〈村田真珠〉
村田真珠の煙突に
恋はするなと 書いてある
それを守ちゃん 恋をして
村田真珠の 恥となる
ブンガチャッチャ ブンガチャッチャ
また、
〈白波寄せる幸崎〉
白波寄せる 幸崎(こうさき)の
沖にゃ 白帆が二つ三つ
恋に破れた 守ちゃんに
情けかけるは 可愛いい娘
ああ 切なきわが心
ブンガチャッチャ ブンガチャッチャ
飲み会の席で歌うんですから、なんでも「ブンガチャッチャ」が入るのです。これで盛り上がるんです。ちなみに、幸崎(わたしは「ハピネス岬」と名ずけました)とは、根崎の海を隔てた反対側にある岬です(小大崎鼻が正式)。俵津湾はだから、この二つの岬の腕に包まれた豊湾なんですね。
わたしは、準々々くらいの生徒でしたので、あまりは参加しなかったのですが、今思えばとてもいい役割を持った、稀有な会でしたね。
また再び、「根崎」が“恋人岬”になるといいですね。昼間は、こどもと老人の遊び場・憩いの場、夜は恋人たちの・・・。
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「公園」となった根崎の丘の上からは、きっとあの素敵な水小島(みずこじま)灯台がまじかに見えることでしょう。(わたしは水小島を「プリンス・パール島」と名ずけました)。
野福峠から見る島もとても美しい。特に夏がいい。これは、売りになる。絵になる。わたしたちはもっとこの島を取り上げていいと思います。
夜の灯台の光が宇和海を照らす光景もいいですね。これについては、昔見た映画『旅の重さ』が思い出されます(高橋洋子主演、斎藤耕一監督。1972年。原作は素九鬼子の同名小説)。まさに映画のロケ地が俵津だったのです。現在の伯方の塩の跡地にあった廃屋でした。そこから映し出された夜の灯台の光景は、今でも覚えております。
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俵津が記憶や思い出をこれからもつないでいく、新しい場所ができる。荒れたボラ小屋が蘇る。子供の頃、花見や海水浴やヤマモモ取りをしたあのボラ小屋が復活する。年寄りが心弾ませてウオーキングできるロードができる。とても、楽しみです。
これも、「希望」です。
(2020・6・30)