虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

雑感。なんやかんや。

  あの人 この人 あの顔 この顔

  みんなどうして いるんだろう

  酒とタバコと 遊びに暮れた

  やんちゃ時代の 仲間たち

  元気でいるか 変わりはないか

  遠き 昭和の まぶしい時代

  (『遠き昭和の・・・』。作詞/高田ひろお、作曲/杉本眞人。歌/小林旭 2010、カバー/五木ひろし 2020。YouTubeで聞けます。)

 

1、

 カリブ海のハリケーン・レベル4級だといわれた台風10号が、過ぎ去りました。俵津ではそれほど被害がなくてほっとしております。九州も心配されたほどではなかったようです。ひとまず安心といったところ。でも、TVの気象情報が示す異常すぎる海水温度の濃いオレンジ色が不気味。これから発生する台風も超大型化するでしょう。まだまだ予断を許さない状況がつづきます。

2、

 それにしても。この夏の暑さは、どうしたことでしょうか。連日連夜、すさまじい(と言っていいと思います)猛暑がつづいております。これほど気温が高く熱い夏をわたしは知りません。

 わたし去年までは寝る時にクーラーを使うなどということは、ありませんでした。もともとクーラーの冷気が嫌いだったせいもありますが、北窓を開けていれば実に気持ちのいい風が入り、明け方には差し込むほどの冷気が入り込んでおりました。今年はそういうわけには全くいきません。クーラーなしでは、自分のからだがどうにも維持できません。寄る年波のせいでしょうか。

 ちょっと(どころではないか)これは異常すぎます。地球がどうにかなったのではないでしょうか。何かのタガがはずれたか、臨界点を越えたか。この間の「サンデーモーニング」でコメンテーターが言っておりました。

 「大気中の温室効果ガスは、全部が上空に登って幕をつくるのではなく、その3割は海水が吸収し、これが海水温を上げ、その水蒸気熱が陸地に押し寄せる。特に今年はインド洋で高温となり、その熱はヒマラヤ山脈を越えて日本にまで押し寄せているというのがこの異常高温の原因だ。」

 「コロナ」といい、「この熱さ」といい、天とか神とか自然とか地球とかが怒っている、警鐘を乱打しているのではないか、そんな気がしております。人間よ、悔い改めよ、と。「国連気候アクション・サミット2019」で怒りの演説をした16歳(当時)のグレタ・トゥ―ンベリさんなどまだ少女といえるような人たちが登場し出したということは、何かを表しているような気がしてなりません。(ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの登場も、何か意味のある事のように思えてなりません)。ちなみに、あのオルレアンの少女・ジャンヌ・ダルクもたしか19歳だったとおもいます。 

 わたしたちは、(おおげさでなく)、「人類」という立場で、ものを考えなくてはならない時代に遭遇しているのでは、と思わされます。

3、

 「このままでは、俵津の共同体(の絆)が壊れる。」と、心配の声をあげる者が出て来始めました。「コロナ」でなにもできないことに対してです。たとえば、町民運動会もやった方がいいのではないか(中止が決定しておりますが)。「じじばば(スーパー演芸会)」も、(老人会主催だと問題があるので)、有志がやるということで実行すべきではないか。そんなふうに彼は言います。よくわかります。

 でも、わたしは、この1年間は、みんながじっと耐えて、あれやこれや・なんやかんやを、じっくりと考えてみるのもいいのではないか、と思います。少人数の会合なら持てるので、仲間内でとことん「俵津のこと」を話し合ってみたらいいと思います。別に神秘主義者になったわけではありませんが、なんかそんな時間が必要な気がしてならないのです。半分以上が年寄りの俵津では、確かに1年という時間は、貴重でもったいないものです。人たちの気力・体力の衰えは目に見えます。亡くなられる方もおります。・・・それでも、まさしく、「共同体」のことを考えてみる「時」は、有意味だと思うのです。

4、

 「ボラ小屋開発、みたいなことはやめたほうがいいのではないか。ああいうことをやると、これからの維持管理がとても大変になる。少子高齢化・人口減少の中で、、それをやりつづけられる人材の確保は、できないのではないか。」そんな意見を聞きました。確かに。これも、よくわかります。

 でも、この考えは、ちょっと寂しいのです。わたしは、「俵津のまちづくり」の大きな柱の一つは、美しい(景観の)町をつくることに置かなくては、と考えているのです。全国レベルでも誇っていい「野福峠」を持つ俵津は、その麓の町中も美しくなくては、です。新しい移住者の皆さんと一緒に、この俵津をつくっていこうではありませんか。(東京や大阪や福岡などの俵津会の人たちにも、「事業」として、定期的に俵津に帰っていただいて、一緒に植樹や草刈りなどやっていただいたらどうでしょうか!俵津まちづくりに、新しい展開が生まれると思います!)

 また、先の人はこうも言ってくれます。「むしろ俵津は、長崎東海さんのことに真剣に取り組むべきではないか。長崎東海事業を手上げ型審査で認可しない西予市のレベルは低い。こういうことこそ本当に大切な “まちづくり” なのに。」。この意見、わたしは諸手を挙げて、同意します。まったくそのとうりです!先に書いた東海の話3回分は、わたしの密かな怒りの反論なのです。

5、

 安倍晋三首相が、辞任の意向を表明しました。7年8か月、長かったです。この間、わたしは、日本が音立てて壊れていったように感じています。いろいろありますが一番は、日本人から「倫理」(たとえば、嘘をついてはいけないとか・・・)がこわれていったこと。人の上に立つ人は、いつの時代でも、『論語』とか『貞観政要』とか、しっかり読んで身にしみこませて、己を律して欲しいものですね。でないと、近畿財務局の赤木俊夫さんのような人は、救うことができません。

 いま、優秀な国家公務員がどんどん辞めていっているという話も聞きます。当然でしょうね。賢明な選択だと思います。スカーっと、気持ちよく、創造的な仕事がしたいですものね。

6、

 年上のともだち・浜田房芳さんが7月1日亡くなりました。享年87歳でした。新田奥にみかん畑を持っていて、この間まで元気に通っていました。途中、新井出の瓢柑畑にいるわたしに、よく声をかけてもらいました。出稼ぎ仲間でした。大阪・神戸・広島、いろんなところで一緒に働きました。好奇心旺盛な人で、さまざまなことの知識を持っていました。(大浦には知識人が多いです。すでに鬼籍に入られておりますが、綿木志郎さん・篠川筆一さんもそんな方たちでした。お二人も同じ出稼ぎ仲間でした。)

 浜さん(わたしはそう呼んでおりました)は、トヨタランドクルーザーを手に入れる夢を抱きつづけ、実現するや、意気揚々と四国中を駆け巡っておりました。最後は、その車に乗ったまま、心臓を悪くして道端にそろりと停車した状態において、でした。「ちょい悪老人」というのではなく、いつまでも少年のこころを持った魅力ある老年をおくった人でした。こんな優しいいいひとが、俵津からいなくなるのは、さびしいかぎりです。心からご冥福をお祈りします。

 7、

 わたしの、まことに拙いブログを、読んでくださっているみなさん。ほんとうにありがとうございます。できましたら、下の「コメント」欄に、感想などお書きいただいたらと願っております。どうかよろしくお願い申し上げます。

 まだまだ暑い(熱い)日はつづくと思いますが、お互いなんとか乗り切っていきましょう。お体大切に。ご自愛ください。

                         (2020・9・7)