虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

こんなこと、あんなこと・・・。

1、

 わが家の近くを流れる宮崎川のほとりに、源氏蛍を大きくあしらった「ほたる」の幟(のぼり)がたてられました。狩渡橋から畑岡橋までの間に三本。ほたる保存会と俵津スマイルの製作によるものです。いよいよほたるのシーズン。この時点ではまだほんの数匹ですが、川底には蛍のエサとなるカワニナがいっぱいですので、やがて湧くようにホタルが飛び交うようになることでしょう。子供連れの家族がいきかいにぎわうことでしょう。

 このホタル、わたしたちの子供の頃には顔にぶちあたるくらいいて、素手でもつかまえられるくらいだったのですが、まったく見られなくなって久しかった。それをかつての新田こせがれ会の佐藤勇くん(故人)が中心になって、佐藤深志さん(故人)の指導の下長年の増殖活動を続け、ここまでにしたのでした。この町の水面下で、強いこの町への「おもい」を抱いた者たちの営みがありつづけたことに、あらためて深い感慨をもよおします。

 〈佐藤深志〉さんは、惜しくも昨年亡くなられましたが(享年95歳)、実に「村宝(むらだから)」の人でした。俵津の偉人の一人・井上和(いのうえかのう)氏を師と仰いだ農民画家でした。わたしたちがやった「新田ふるさとまつり」の芝居の背景の絵なども描いていただきました(器用な人で、時代劇のカツラや牛鬼の面までも作っていただきました!)。最高傑作は、旧塩風呂の階段の踊り場に掲げられた畳一畳分はあった大作の“河童”の絵でしたでしょう。子供が「コワイッ」と言って怯えたほどの鬼気迫るすばらしい作品でした(こどもがあまりに怖がるので撤去され、今は歴史資料館に眠っていますが)。

 また佐藤さんは非常な物知りでした。ホタルの育て方はもちろんのことですが、村の伝統・歴史からなにからその該博な知識は地域に貢献すること大でした(たくさんの人が教えを請いに日参したものです)。自由に生きたおおきな存在が、また一人いなくなったことは本当に残念です。

2、

 このところずっと取り上げている件(くだん)の「アンケート」のことですが、漏れ聞くところによると回収率が70パーセントを超えているそうです。驚くべき数字です。それだけ俵津住民の関心が高いということでしょう。それに火をつけた公民館や検討委員会の功績も大きいと言えるでしょう。

 何人かの友人が言っておりましたが、「あのアンケート、おらが書こうと思っていたら、早やかあちゃんが書いて出してしもうちょったわい!」。こころをざわつかせるワクワクを感じさせます!

 俵津のひとたちがどのような「危機感」を抱いているのか、どのような「まちづくり」への具体策を持っているのか、「まちづくり」をテーマにこのブログを書きつづけて来た者としてとても興味深いことです。一日も早い“公開”が待たれます。

3、

 俵津の「人口増加対策」。ほんとうに大変でしょうが、あまり大上段に振りかぶったことを考えなくてもいいのではないか、と考えます。なによりムリですから。そうでなく、たとえば、3人以上の家族の移住者をとりあえず10組だけ増やそう!と志向して努力してみる、というようなことが大事なのではないでしょうか。それを、この2~3年で達成するという目標をもってやる!

 達成できれば、俵津はずいぶんと目に見えて変わるような気がします。

4、

 玉井葵さんの『ぐうたら通信』(No.260/2022.06.01)を読んでいたら、こんな記事がありました。引用させていただきます。

「三瓶分校(宇和高校)が来年度、生徒募集を行わないと決定した。24年度で廃校になる。それだけのことだが、地域から学校が消えることの意味は深刻だ。

 三崎高校が出来たばかりの頃、入学志願者が少ないと廃校になるというので、地域が盛り上がって、入学願書を出したのだそうだ。子供だけでなく、その親も。試験は受けに行かないから、入学者は増えないけれど、廃校は免れた。そんな話を、高村さんという先輩が話してくれた。

 そんなことが今も通るかどうか知らないが、地域に熱気がなくなったのだろう。

 受験生が減ったから募集を停止する。数年後には廃校になる。理屈はその通りだが、その衰退に対して、何も手を打たないでいて良いものだろうか。」

5、

 右の「リンク」欄にある「田舎暮らしを楽しもう」HPの月一の「田舎便り」エッセイがおもしろいです!

  その筆者は、この俵津で生き暮らしてきた過去を振り返りつつ、その意味するものへの深い考察を繰り広げ続けています。

 「振り返ればこの数十年でなくなったもの失ったものは、数限りなくある。里山・里海のたたずまい。昆虫たちの生命をはぐくんできた、自然環境。

 善人同士手をたずさえて大地とともに歩んできた暮らし向きも、金融資本主義の前には道端に転がる石ころのようなものなのかもしれない。

 それらは田舎暮らしにおいて安心安全それに利便性の追求の代償であると言えばそうなのであろうが、過疎の大波に人はさらわれ、ゆく手を阻まれた善人たちの未来は、もしかすると昆虫たちのたどった道であるのかもしれない。」

 この筆者のような「営み」が今とても大切なのだとおもいます。歴史の表面にはあらわれないかもしれないこのような思い・記録・考察が、わたしたちの人生を豊かにしてくれます。俵津を薄っぺらな町でなく深い魅力的な町へと導いてくれます。

6、

 同じ「リンク」欄の「西田孝志・私の映画案内」の筆者も、新しい試みを始めました!曰く、「獺祭の徒然なるままに」。

 彼の沸騰して横溢する映画だけにとどまらないさまざまの熱いテーマたちへの想念が満を持したのでしょう。カワウソが、とらえた魚を河の中の平たい大きな石の上に並べて神に供える祭事のようにして、彼の脳内を高速で行き交う各テーマに対して分析・考察する。それが激しい怒りであれば、該博なアーカイブから極めて説得的な引用を試みて持論を展開する。めくるめく彼の新しい世界にわたしたちはただ立ち尽くしてながめるばかり。

 

 おたがいに「老い」をかかえて生きてはおりますが、知人・友人たちのさまざまな試行や発言に日々勇気や生きる力をもらっているわたしです。いつか、コロナが去りし日、まだ見ぬあこがれの焼酎・“獺祭”に舌鼓をうちつつ語り合える日がおとづれることを。

                        (2022・6・6)