虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

森のシマフクロウ

 みかんの花が俵津に満ちております。今年は豊作のようです。

 みかん農家の今頃の仕事に、苗木の花もぎ(摘蕾・摘花)があります。みかんは苗木を植え付けて4年目から実を生らしはじめますが、それまでの三年間は花を取り除いてやらないと、養分を花に奪われて木の成長を阻害するので必須の作業なのです。畑の草を刈って、株元の草の根も取り除いてから、腰かけて作業に入ります。除草後の畑に餌を見つけたのでしょうかイソヒヨドリが飛んできました。空高くにはひばりも鳴いています。「大きくなれよ、大きくなれよ」と苗木に語り掛けながら次々ともいでいきます。木にも耳はあるのです。感応力があるのです(本当はモーツァルトでも聞かせたほうが、木にとっては迷惑にならないかもしれないのですが)。時の経つのも忘れます。

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 ところで、わたしのブログのID(identificationの略で識別子のことだそうです。ニックネームとも)は「morinoshimafukurou」(森のシマフクロウ)です。これにした理由(わけ)を書いておきましょう。

 わたしの家の近くに小さな森があります。そこには昔、近所の子供たちの「秘密基地」がありました。格好の“防空壕”があったのです。下級生のわたしは見張り役で、壕の上にある木に登ってあたりをヘイゲイしておりました。その時、向かいの大木の枝にとまっている大きなフクロウを見つけたのです。フクロウは眠っておりましたが、いやただ目をつむって何かを深く考えているようでもありました。そのなんともいえない魅力的な佇まいに、わたしは長い間うっとりと見とれていました。やがて、はっと気ずいたわたしは「これは隊長に報告しなければ」と思い、木を降りたのでした。仲間とそのフクロウをしばし見上げている時、隊長の上級生が言いました。「このフクロウは、おらたちの守り神じゃ。誰にも言うたらいけんぞ。おらたちだけの秘密にするんじゃ。」

 もう今ではみんなは忘れてしまっているでしょうが、なぜかわたしの胸の中にはそのフクロウがいまでも住み続けているのです。それを今回IDに使うことにしたのです。わたしはフクロウといえばシマフクロウしか思い浮かびませんでしたので「森のシマフクロウ」としたのですが、あらためて小学館の子供図鑑で調べてみると、あれはシマフクロウではなくただの“ふくろう”として載っております(亜種として「きゅうしゅうふくろう」や「えぞふくろう」が描かれております)。わたしが森で見たあのフクロウは、わたしの心の中でだけ飼っておくことにしましょう。

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 後で知ったことですが、アイヌの人たちは梟(シマフクロウ、コタンコロカムイ)を守り神として大切にしているそうです。

 ヨーロッパでは、梟は知恵の象徴とされているそうです。「ミネルヴァの梟」という言葉があるそうです。ミネルヴァというのは、ローマ神話の知恵・技術・職人(医学、製織、商業工芸)を司る女神で、その聖なる動物が梟でした。

 哲学者のヘーゲルさんが「ミネルヴァの梟は迫りくる黄昏に飛び立つ」という言葉を残しているそうです。「ひとつの時代が終わる時、古い知恵が黄昏を迎える時、梟が飛び立つのです。時代に固執しすぎれば、教条的になっていく恐れもあります。梟は活動時間のはじまりである黄昏に飛び立つように、時代の束縛から解き放たれ、新しい知恵を求めるためだ、という解釈もあります。」とweb上でTerra Incognita(地球のつぶやき)さんという人がエッセイで述べておりました。

 もろもろそういうことだとすると、「おらたちの守り神にしよう」と言った上級生の隊長は、なかなかのモンでした。

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 ついでですから、子供の頃のほかの動物の話もしましょう。

 その小さな森の下には宮崎川が流れております。春にはシラウオが遡上してきました。スイデや不用になった蚊帳をすけてよく取ったものでした。母親につくってもらった海のアオサを入れた白魚汁は極上の味でした。

 アユやハヤ、ドンコもいました。ウナギやツンガネ(ツガニ)も取り切れないくらいおりました。

 ウナギはジゴクと呼んでいた竹で編んだ筒にミミズを入れて川に沈めておくとよく入っていたものです。ツンガネは、今のようなコンクリート護岸ではなかったので、石垣の穴の中には必ずと言っていい程おりました。それを手をつっこんで取るのです。時にはカニにはさまれて、涙が出るくらい痛いのをがまんしているとやがてカニはじわーっとハサミを離す。その瞬間にさっと胴体をつかんで引き出すのです。これが何とも言えないヤッター感があって快感でした。大浦や脇の人たちからは「シンデ(新田)のガネ喰い」と言って皮肉られたものですが、それほどよく食べました。

 「夜川(よがわ)」と言って夜も川狩りに行ったのです。懐中電灯・バケツ・スイデなどの七つ道具をもって大人も子供も夢中になって生き物を漁るのです。上記のような生き物のほかにハッチョウエビのような夜しか出ない獲物も多く取れました。

 ホタル。これはもう半端じゃなかったです。顔にぶち当たるくらい乱舞していました。餌のカワニナもびっしりと水底の石にはりついていた。

 月光が川面を照らす夜。キツネも山からおりてきました。ふさふさとした立毛が銀色に光っていたのを思い出します。キツネが鋭い目を向けている先を見るとなんとそこには、今では絶滅したと言われているあの二ホンカワウソが、川の真ん中の平たい石の上にいたのには驚きました。

 美しい鮮やかな瑠璃色をしたカワセミゴイサギもおりました。

 川はまことに生命に溢れておりました。(フクロウの森にももちろんメジロ・ウグイス・ヤマバト・シジュウカラなどそれはもうたくさんいました。)

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 むかしの川は、俵津の人たちのくらしと切っても切れない一体の場所でした。子供たちはもちろんそこで泳ぎもしましたが、川が干上がっている時期には、大きな邪魔になる石を取り除けて平らにし、そこでソフトボールまでして遊んでおりました。

 いまの川は、まことに貧弱です。ただの排水路・通水路のようになっております。一昨年の「7月豪雨」では確かにわたしたちの命を守ってくれたのかもしれませんが、生命層は確実に薄くなっています。

 それは、あるいは俵津から田んぼが消えたせいかもしれません。宇根豊さんの「農と自然の研究所」の研究では、田んぼには5868種の生きものがいることが明らかになったそうです(前回の内田さんの共著『農業を株式会社化するという無理ーーこれからの農業論』所収「農本主義が再発見されたワケ」)。

 わたしは過去を懐かしんで、昔に帰ろうと言っているのではありません。ただそうした多くの生命と共にある暮らしの方が、しあわせだったのかもしれないな、とふと思っただけのことです。あるいはまた、仮に俵津へのUターン・Iターン者がいてくれるとして、彼ら・彼女らはそうした世界への回帰を望むことがあるかもしれないな、と思うだけです。「懐かしい未来」というのも、あるやもしれません。

 

                             (2020・5・3)