虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

海に、鉄を!

 みかん取りに忙しくしています。早生が終わり、中生(なかて)の南柑20号も最終盤にさしかかりました。今年のこの時期としてはまことに珍しく天気のいい日が続きますので、仕事がどんどんはかどります。

 今年は、8月の猛暑・旱魃で糖濃縮がおこり、近年にない最高の味のおいしいみかんが出来ております。ただ梅雨が長く7月いっぱいもつづいたせいで生理落果がひどく、量的には少ないです(春の花は確かにしっかりとたくさん着いておりました)。「帯に短し、たすきに長し」「彼方立てれば此方が立たぬ」??充分な満足を自然は人間に与えてはくれません。でも、かの「コロナ」以外は台風もなく豪雨もなかった穏やかな一年に感謝しながら、家族で収穫できるよろこびをかみしめながら勤しんでおります。

 20号が終われば、伊予柑・ポンカン・・・が待っていて、来春まで収穫の季節がつづいていきます。

1、

 今日は、俵津(明浜町)の皆さんに「ご相談」です。

 わたしは、「俵津(明浜町)のまちおこし」にとってこれからは、「海」が勝負・決め手になる!と思っています。魚介類がいなくなった(あるいは少なくなった)この海(宇和海)に、もう一度それらを呼び戻すことが出来たら、この町は大きく展望が開けてきます。漁業者に希望が生まれます。後継者もふえるでしょう。わたしたちにも、ニイナほりやヒジキとりなどくらしの楽しみ喜びがもどります。「メガトレンド」の流れに乗って地方移住を考えている都会の人たちが、移住先に俵津(明浜町)を選ぶ決め手を作り出すことにもつながります。そうなると「漁業権」の見直しなどの問題が発生してくるかもしれませんが、「コモン」(共有地・共有物)としての海が新たに立ち上がってくることは確かでしょう!―小春日和の陽光に輝く海を見ながら、みかん摘みをしていてそんなことを思うのです。

 でも、わたしはみかん農家で海のことはあまり知りません。どうしても皆さんのお知恵をお借りしなければなりません!どうしてこの豊かの海から魚介類が消えたのか?今この海はどういう状態になっているのか?どうすれば、この海はよみがえるのか?―それらのことを教えていただきたいのです。一緒に考えていただきたいのです。

2、

 かつてこの海は、「宇和海銀座」と呼ばれたような賑わいを見せていた時代がありました。1970年代ころまででしょうか。イカ釣り船の灯りが海面を埋め尽くしていて、まるで日本一の繁華街・東京銀座のようだということでこの名がついておりました。一夜にして巨大な街が出現したようなその光景は、青年団活動の帰りに野福峠から見下ろすわたしたちに歓喜と希望をもたらしました。その街の真っ只中にはさらなる興奮の叫喚があったことでしょう。

 また、俵津には「魚市場」もありました!今思えば、スゴイ時代だったのですね。

3、

 今はもうなくなったあの塩風呂・「はま湯」によく浸かっていたころのことです。わたしがカピバラのように首までつかっていると、風呂仲間の浜田優くん(新田の宇都宮重郎くんの弟で、高山へ養子に行ったあのまさるくんです)がやってきて、「魚がおらん。今日も午前中のひと網で終わり。これでは従業員の給料も出せん」と言いながら、その巨躯をアルキメデスのようにざぶりーんと豪快に沈めていたのを思い出します。漁師の彼が言うのですから、この宇和海に魚がいないのは間違いないことなのでしょう。彼にもその原因はよくはわからないそうです。(と言っても、取り過ぎ・乱獲がおおきな要因であることは彼にもじゅうぶん分かっている顔はしておりましたが)。

 また、こんなこともありました。無茶々園で飲んでいた時のことです。つまみにでていたジャミ(ちりめん)を見て、たまたま研修に来ていたイギリス人が言ったのです。「こんな小さな魚をとってはいけません。海の生物のシステムが崩れます」。みんなボーゼン・・・。ちりめんは明浜の名物・特産品。それで暮らしを立てている漁業者も多いのですから、何をかいわんやですが、グサリと刺さる一言ではありました。

4、

 さて、実はわたしは「俵津ホームページ」でコラムを書いていた時に、この海の問題を取り上げたことがありました(俵ランド物語vol.22「宮崎川ふるさと計画」2016年3月9日。http://tawarazuuranet.p2.weblife.me/pg650.html)。同じことの繰り返しになる部分がありますので、できましたらまず、そちらをお読みいただければとても嬉しくおもいます。

 たまたまその時、テレビか新聞で見た、宮城の気仙沼湾でカキ養殖をしている畠山重篤さんたちの活動に感動して、畠山さんの著書『鉄で海がよみがえる』(文春文庫)を求めて読んだことを書いたのでした。

 それによれば、現在の海はとにかく「鉄不足」だと言うのです。従って、海に鉄を供給する「森―里山―川―海」のシステムを一体として捉え、回復させることが必要だということでした。

 今回は、畠山さんの師匠筋の北大水産学部教授(当時)・松永勝彦氏の著書『森が消えれば海も死ぬ 陸と海を結ぶ生態学』(講談社ブルーバックス、1996)のお力をお借りします。なぜ鉄か?をもう一度おさらいします。

・「生物が生きるためには、水銀以外のすべての元素が必要であるが、鉄以外はすべてイオンで簡単に生体内に取り込まれる。ここで、イオンとは水に完全に溶けたことを意味している。」

・「海水中では植物プランクトンや海藻を増やさなければ、それに続く貝、魚は増えることができない。」

・「藻類(植物プランクトン)や海藻が(生合成するのに不可欠な成分である海水中の)硝酸塩を体内に取り込むには、先に鉄を取り込まなければならない。なぜなら、体内に硝酸塩を取り込むと、これを還元しなければならず、その還元には硝酸還元酵素が必要であり、鉄はこの酵素に大きく関与しているからである。」

・しかし、「鉄は(海の食物連鎖の元にある)藻類、海藻に不可欠な元素でありながら、大部分これらの細胞膜を通過できない大きな粒子なのだ。」

 それを通過できるイオンに変えるのが、森の腐植土中のフミン酸・フルボ酸ということでした。(しかも「フルボ酸鉄は一度結合してしまうと極めて安定しており、離れることはまずありえない」)。

5、

 今回は、自然のシステムの中にある鉄ではなく、人間が作り出した鉄製品をつかって、それを海中に投与することによって海に鉄イオンを供給できないか、という話です。畠山さんの著書で疑問だったのは、「大きい粒子」の鉄が、はたして「イオン」になるのだろうか、ということでした。その疑問が松永氏の著書で解けました。

・「鉄は海水中の酸素によって酸化されると鉄イオン(Fe2+)が溶け出す。少しむずかしくなるが、この鉄イオンは先に述べた鉄イオンより電子が一つ多い。しかし、この鉄イオンの方が細胞膜を通過しやすい。Fe2+イオンはいずれ海水中の酸素で酸化され粒状鉄に変わる。この鉄イオンの安定性は水温によって異なるが、おおむね一時間は安定している。この鉄イオンがどの程度の範囲に拡散するかを実測したが、少なくとも数十メートルの範囲に広がっているのである。」

 ということで氏は、「海の砂漠地帯に鉄を供給するために鋼鉄製の増殖礁を一九八九年から沈めている。」

6、

 そして、ここまで来て、いよいよわたしの提案です!

 向寒の季節、「ホッカイロ」(使い捨てカイロ)の活躍する季節です。みんなが使うこのカイロ(あれは中身は鉄粉)を集めて宇和海に投げ入れよう!!

 てんぷら油の廃油を市が回収していますが、同様に市の事業としてこれを回収して宇和海に入れてやるようにしたらいかがでしょうか!

 もちろん、これをやるには宇和海を取巻く全市町村、そして大分・宮崎の協力が必要です。国の「特区制度」なども利用できるなら利用しましょう。協力してくれる水産高校・水産大学・県の水産課等々のお力添えも得ましょう。

 壮大な実験海域として世界中の英知も呼び込みましょう!

※ ミカン園のモノレールや支柱などの廃物も投入しても、かまわないかもしれませんね。

7、

 最後になりましたが、松永氏は「森と海をよみがえらすには」としていくつかの事例を挙げられています。

・(前述の)鋼鉄製漁礁の投入

・「鋼鉄の枠の中に自然石をつめた護岸」にする

・「水が滞留するような砂防ダムではなく普段は自然の河川と変わらない状態で災害時だけ機能するダム建設」

・海藻繁茂用に潜堤(海面下の構築物)を造る

・地中に雨水が浸透する舗装道路に改修する

・落葉広葉樹を大規模に植林する

 いずれにしても、最早海は、ひとり漁業者だけのものではなくなりました。俵津(明浜町)の行く末を左右する大事な大事なわたしたちの資産になっているのです。

                           (2020・12・1)