虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

自由庵へ、ようこそ! 【ごあいさつ】

 俵津のみなさん、こんにちは。宇都宮氏康です。

 暖冬が続いて後の初春、わが野福峠の桜木は開花に向けて心悸亢進しております。みかんの芽吹きもことのほか早くなっております。

 自由庵へ、ようこそ!

 今日より「ブログ」を始めます!

 わたしは、「青年団」の頃(1960年代末~70年代はじめ頃)、自宅の木造倉庫二階のきたない部屋を「自由庵」(じゆうあん)と名付けておりました。「自由」に別に深い意味はありません。そこらにあるお茶やコーヒー、自由にのんでいいよ。ウイスキーサントリーレッドやブラックニッカでした)も自由に飲(や)ってくれ。レコード(CDなんかまだありません)も自由にかけていいぜ。自由に好きなこと話していってくれ・・・と言うようなことでつけた名でした。「庵」というのがいかにも古臭いですが、青年というのは、そういう呼称をときにカッコイイと思ったりするものです。それはともかく、大勢の仲間たちが訪れてくれて、とても楽しい空間(居場所)にしていただきました。

 その後、新田奥に砂防ダムができて、セット事業の宮崎川改修工事で立ち退きを求められて、その部屋(いえ)は今はもうありません。が、最近ふと、その「自由庵」をもう一度、しかも「ネット」の世界で始めたら!と思ったのです。

 わたしは71歳。現役の(!)みかん農家です。地区の「老人クラブ」にも入会している知らぬ間に年寄カテゴリーに入ってしまっている身ですが、どうもまだ、“楽隠居”はできそうにありませぬ。

 みなさん!もう一度、集まりませんか!あの頃のように、たくさんたくさん話をしませんか!!

 わたしはカラオケ大好き人間ですが(演歌だけしか歌えませんが)、大好きな鳥羽一郎が、今歌っている人気曲に「男の庵(いおり)」(作詞/いではく、作曲/弦哲也)があります。

春まだ遠い 如月は

北風 襟立て 裏通り

なまじ器用に 生きてはゆけぬ

そんな奴らの 吹きだまり

夢の入り口

ここは隠れ家 男の庵

 味わい深いいい歌です。こんな「庵」もいいですね。俵津にもこんなスナックや居酒屋が欲しいですなあ。でも、ちょっと暗いかな。もっと明るくて、若々しくて、枯れてなくて、バウンドする喜怒哀楽があって・・と言うまあ匂い的には「軒」のほうがふさわしいのかもしれないそんな居場所にしたいですね。そういえば、昔、平賀源内を主人公にしたNHKドラマがあって、確かそこに「自由軒」というのが出てきたようなおぼえが・・・。

 それはそうと、若い頃には、俵津の未来は真夏の太陽のように輝いて見えていました。綾小路きみまろではありませんが「ああ、あれから40年!」--なんとなんとわが俵津、今まさに太陽が沈みかけたようなイメージの町になってしまいました。

 人口減少、少子高齢化、後継者不足、・・・。農協マーケットもなくなって、買い物難民も出始めて・・・。海に魚がいなくなって、みかん山も荒廃園が増えて・・・。みんなの大切な「公民館」がなくなる(!)話もあります(「自治センター」化)。

 でも、こんな時だからこそ、ここに残ったみんながいっぱい・いっぱい話をしなくちゃ、と思うのです。

 老人クラブの役員のみんなもがんばっております。

 「俵津スマイルーーいいまちづくり隊」のみんなも頑張っております。

 「野福峠桜保存会」のみんなも頑張っております。

 若い人たちも、頑張っております。

 それぞれがそれぞれの足取りで。心拍数で。

 みんなで「俵津のイメージ」を膨らませながら、「ネット自由庵」の空間を広げていきましょう。

 実は、わたしは、web上の「俵津ホームページ」に、「俵ランド物語(たわらんどものがたり)」と題して、自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)の筆名で、「コラム」を書いておりました。「俵ランド」というのは、「俵津」+「ネバーランド」(「ピーターパン」のあの国です!)で、わたしのつくった合成語です。俵津の現在・過去・未来に思いを馳せ、いろいろなことを47回にわたって書いてきました。

 その「俵津ホームページ」が、予算等諸事情で一年ほど前から「告知のみ」の状態になりましたので、いろいろ考えた末に、まだまだ書くことがありそうだと思えてきて、自分のブログでも作ろうか、と思うようになったのでした。

 「俵津ホームページ」あるいは「tawarazu.net」で検索していただければ、そこでわたしのコラムはまだ何篇かは読めます。お暇な方は、ぜひご覧ください。ご覧いただければ、わたしの目指している方向がおのずと分かっていただけるものと思います(よろしくお願いします)。

 このブログのタイトルは、『虹の里から』ということにしました。はじめは『自由庵へ、ようこそ!』としようと思っていたのですが、やはり自分の部屋を出て「俵津」のことを問題にしたいので、こうしました。

 「虹の里」については、こんなイメージを持っております。わたしたちは今、俵津が愛媛に、そして全国に誇る景勝地=野福峠に立っている、と思ってください。桜花が爛漫のその地から、ふもとの里を見下ろしたとき、大浦から脇そして新田にかけて、大きなあざやかな虹がかかっております!まさに「桃源郷」(いや桜源郷!?)です。なんという美しいかがやき・パラダイスでしょう!そのユートピアとしての俵津から発信するブログ、と言う意味です。

 現実の俵津は、先ほどすこし述べたように、「ユートピア」からは程遠いのですが、でも、わたしたちの心は自由で無限大の広がりをもって、ユートピアを作り出す事が出来ます。いくつになっても、おいぼれても・・・。

 わたしは、十年ほど前の還暦時、記念に、『虹の里へ』と題した本を自費出版したことがありました(筆名は、うつみしこう)。その時の「虹の里」は、“ユートピアとしての明浜町”でした。俵津、狩江、高山、宮野浦、田之浜の明浜町のみんなで“虹の里へ”向かって行こう!と呼びかけたのでした。

 でも、その「明浜町」は、もう、ありません。思えば、わたしが生まれたのは「俵津村」でした。それから「豊海村(とよみむら)」になり、「明浜町」になり、そして今は「西予市」です。変転きわまりないこの国の制度ですが、どんなに制度が変わっても、結局は最後に残る「俵津」を中心にものを考えるほかない、と思えるようになりました。他の地区の人たちも同じだと思います。明浜町に限っても、いまみんな「狩江」や「高山」や「宮野浦」や「田之浜」に帰って、足元からものを考え始めております。自分たちがアイデンティティーを持てるのは、結局そこしかないのだと思います。それでいいのでしょう。それしかないのでしょう。そして、それが必要な時代なのでしょう。

 希望を言えば、このブログ、もうすこし、欲張ってもいいかもしれません。全国に展開している俵津出身のひとたちや、このわたしたちの俵津のことを気にかけて下さっているひとたちも仲間になっていただいたら、ほんとうに・ほんとうに、いいでしょうね!

 みなさん!ぜひ、ご意見をお寄せください!!

 それでは!「虹の里から」、あなたへ!

 よろしくお願いいたします。

                            (2020.3.11)