虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

「人生の楽園」を夢見つづけて― 西村仁さんのこと。

1。

 わたしが西村仁さんの顔をはじめて見たのは、仁さんが二年間の「派米研修」を終えて俵津へ帰った頃、同級生の坂本甚松さんが音頭を取って開いた「西村仁・派米研修報告会」の席だった。

 そこには、変わった“顔”があった。変わった、と言ってもへんな意味ではない(?!)。わたしたち通常人以上の軒昂たる外へ向かう顔、枠を超える顔とでも言ったらいいのか、何かをやりたくてウズウズしている顔があった。

 堀江謙一が「太平洋ひとりぼっち」のヨットでの冒険をし、小田実が「なんでも見てやろう」の冒険世界旅行をしていた時代ではあったが、この町にはまだ世界に向かう目も心も育ってはいなかった。仁さんはこの町の先駆けをなした人だった。

2。

 早速、仁さんは「青年団」で活動をはじめた。

 当時の明浜町青年団は、活動が下火になっており、かつてあった愛媛県連合青年団(県連青)下の明浜町連合青年団も解散されていて、俵津・狩江・高山・田之浜がバラバラで活動をしていた。

 仁さんは、俵津青年団の団長となり、盆踊りの復活や各地区青年団との交流会など積極的に動いた。その中で、明浜町青年団を再び統一しようという機運が盛り上がり、仁さんはみんなに推されて「統一実行委員会」の委員長となった。全団員への「アンケート調査」などを実施し、“統一”への意思が大半を占めることを知って後は、みんなをまとめ上げ、一気呵成の大奮闘を示した。

 (その時の仲間は、いまも結束が固い。)

3。

 狩江公民館で行われたある日の交流会。ダンスパーティーの夜だった。参加者のなかにひときわ目立つ艶やかな女性がいた。なんと、仁さんはその女性に“ひとめぼれ”したのである。行動が速かった、鮮やかだった。あれよあれよという間に、婚約し、結婚した(その女性こそ初美さんである)。そして、三人の子供をもうけた。その命名がいい。拓生(たくお)、歩(あゆみ)、路子(みちこ)。なんだか彼の人生観・人柄を見るようではないか。 

4。

 アメリカでの広大な大地で営まれる農業を体験した仁さんは、農業の面でも積極的だった。南郡津島に5ヘクタールの山林を買い、開墾し、みかんを植えた(後にはキウイも植えた)。

 俵津や明浜でそういうことを考え、やろうとする農家は全くいなかった。その発想と行動にみんなは驚いた。大勢の仲間が協力し津島もうでをした。仁さんの人柄の魅力がそうさせたのだろう。

5。

 西村仁さんの特筆すべき事績は、「明浜町青年海外派遣協会」の会長としての仕事だろう。

 「アメリカ体験」をした仁さんは、俵津で派米研修に行くものはいないか、一人でも多くの若者に海外を見せてやりたい、と常日頃から言っていた。その仕組みを創ったのだった。資金集めの活動は大変だった。田之浜の端から俵津の端まで、有志を口説いて回った。「明浜の発展のためには、青年の教育が大切なんじゃ。人材をつくらなならんのじゃ!」、決して流暢ではないがその情熱的な話しぶりは若者から年寄りまでを動かした。

6。

 「段取り仁」。それが仁さんの異名、敬愛を込めてのあだ名だった。企画力と行動力は、抜群だった。仁さんが「これをやろうではないか」と声をかけるとき、NONを言うものはいなかった。話はすぐにまとまった。

7。

 「旅行」が好きな人だった。

 同級生との旅行。派米仲間との旅行。家族・夫婦での旅行などなど。わたしとは、愛媛新聞社が企画した中国旅行に応募して、参加したことがあった。

 晩年は、軽トラをキャンピングカーに仕立て、夫婦で旅する夢もみていた。

8。

 ミカンやその他の果物、野菜などの新品種の導入に関心があり意欲があった。中でも、タラの芽の栽培には積極的だった。軌道に乗せて「どんぶり館」出荷にこぎつけた。同時にそこの明浜理事までやった。また、それまでどんぶり館はミカンの販売はしていなかったが、それを認めさせたのは仁さんの功績である。

 全ミカン農家が注目している新品種・「愛媛果試48号(紅プリンセス)」には、特別の思い入れをしていた。「老人会で苗木をたてて、俵津の農家に配布し、産地化をはかろうではないか!」と言っていた。岡崎憲一郎くんから提供してもらった穂木を、今年の春接いで、その時に備えようとしていた。(岡崎くんは、自園で初なりした紅プリンセスを、弔問時に枕元に供えていた。)

 彼の山には、他にも彼が心を尽くしたビワやモモや梅など多様な品種が植わっている。

9。

 「人生の楽園」というテレビ番組が、ことのほか好きだった。最初から全部をビデオにおさめ、繰り返し見ていたという。ああいう世界を夢見ていたのであろう。

 いつだったかわたしに、「野福の県道沿いの畑に小屋を建て、みんなが集まれる場所をつくりたい」と言っていたのを思い出す。

 (テレビ番組では他に、「世界遺産」や「旅行もの」、それに「映画」(クリント・イーストウッドの大ファンだった)などを好んでみていた)。

10。

 おもしろい、奇抜な話やアイディアを出すのが得意な人だった。「俵津湾でクジラを飼ったらどうや」「松下幸之助を俵津に呼ぼう」etc.・・なんでも面白がる人だった。

11。

 有為転変があった。

 田中恒利選挙運動における受難。自宅新築。出稼ぎ(マツダ等)。伯方塩業勤務。病気。・・・次第に体が疲れるようになっていった・・・。

 ※ 伯方塩業では、その調整力を買われて、俵津の従業員のまとめ役・世話役を果たしていた。工場長とは昵懇の間柄になっていて、よく一緒に飲んでいた。

 

12。

 三か月ほど前だった。「農地を誰かに託したいのだが、誰がいいか?」とわたしのところへやって来た。そこまでわるいんだろうか?と、ちょっとショックだったが、わたしはすぐに二人の名前をあげた。後日、そのうちの一人が引き受けてくれたと報告があった。農地のバトンを渡し終えて、心から安心した様子が見て取れた。(よかった。)

13。

 人が好き。集まるのが好き。話が好き。企画を立てるのが好き。構想やアイディアを練るのが好き。

 俵津や西予市に物申す「言うちゃろ会」をつくろうではないか、とわたしに言っていたこともあった。

 みんなが集まる「家」はできなかったが、西村仁さんの存在自体がその「家」だったのではないか、とわたしはおもっている。私利私欲のない彼のもとにはみんなが集まった。

14。

 西村仁さんの言葉から。

・「出されたものは毒でも食え」。わたしたちは、この町のさまざまな人たちの家へよく出かけて行った(来訪を喜ばない人もいただろう)。そこで出されたものは喜んでしかも旨そうに食べよ。嫌いなもの、まずそうなものでも嬉しがれ。そうすれば人の心を溶かすことができる。われわれの言うことを聞いてくれるようになる。ということだろうか。

・「知恵を出せ。知恵のないものはカネを出せ。カネのないものはからだを出せ。」。そうしてこそ、組織は、社会は生き生きと活き活きと動き出す、ということか。

 

 自由に奔放に人生を面白がって生きた稀有のひとが、逝ってしまった。

                  (2021・12・27)

 

 

 

 

西村仁さん追悼文集  1

    西村仁さん追悼文寄稿。

                 三好幹二 (前西予市長)

 

 何か行動を起こすと、新たな出会いや縁が出来るものです。

私と仁さんとはそのようなものでした。

 5町合併で西予市が誕生すると同時に市長選挙があり、私もその出馬決意せざるを得なくなりました。行政で私を育てていただいた宇和町長の故宇都宮象一氏の強い推挙があってのことです。4町対1町の選挙構図ができてしまい、厳しい船出でした。

 明浜の事務所を俵津に置くに当たり、中心となって支援いただいたのが仁さんでした。故宇都宮象一と派米農業研修組織で強い絆に結ばれた先輩後輩です。なんの縁のない私に象一の「助けてやってくれ」の一言で行動を起こしていただいたものです。おかげで、初代の西予市長に当選させていただきました。それからは折に触れご支援、指導をいただきました。

 ズバッと真髄を直言する言葉とその中に宿る温かみのある内容で「すっと来て、ズバリ直言し、すっと帰っていく」そのような印象の御仁でした。

 出会いの基底にある縁、私の人生に仁さんと出会った縁は、偶然の必然たる出会い「邂逅」であったと思っています。

 少々早い旅立ちですが、仁さんらしい人生をやり切った旅立ちだったのでしょう。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌

                    (2021・12・25)

 

   

 

 

 

西村仁さんに贈る追悼のことばを!

              みなさまに!おねがい!

 

わたしのブログに、ひとっちゃん(西村仁さん)の追悼文をお寄せください!

 

 西村仁さんが、12月17日午後7時18分、亡くなりました・・・。享年75歳。突然の、あまりに早い旅立ちに愕然・呆然・・としております。残念です。無念です。遣る瀬無いです・・・。それでも、・・自由に奔放ににこやかに生きた仁さんに心からの哀悼の意を表します。ご冥福をお祈りいたします。

 衝撃にこころ穏やかにならないこの時に、誠にぶしつけですが、この天地で人生を共に歩み、われわれの人生をも面白くしてくれ、輝かしてくれた我らが「ひとっちゃん」に、追悼のお文章をお寄せくださいませんか。

 内容は、何でも構いません。交遊録、一代記、エピソード、心に残った言葉、思い出、アメリカ(派米研修)記・・などなど何でもお書きください。

 なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

                          2021・12・20

                          宇都宮氏康 拝

・字数は、自由です。400字でも5000字でも・・。

・原稿用紙でもチラシの裏でも何でも可。書きあがったら電話してください。取りに行きます!

・ワードで書いて、添付してメールで送ってくださればありがたいです。

・〆切はなし。

・わたしのブログへの掲載は、届いた順番に随時やります!

・わたしのブログ・URLは、

 「虹の里から」   https://nizinosato.hatenablog.com

 

                                              (メールアドレス) 

                                              (電話番号)                                         

 

                                以上。

 

※ 葬儀は、今日午後2時より、宇和町皆田「セレモニーホール西予」にてとり行われました。

※ ひとっちゃんは、わたしのブログを、スマホタブレットに登録し、熱心に見てくれていました。天国でも見てくれているかもしれません。

                    (2021・12・20)

 

 

無茶々園に、三つの提案。

それぞれのフィールドを耕して、百姓を目指そう。

 農業をする人は溝堀り、大工、森づくり、漁師、何でもするから百姓。どんな仕事でも根も枝も広げれば百姓になれる。

      (加藤登紀子の「ひらり一言」。朝日新聞2021・12・5)

 この歳になって、あらためてこの町(明浜町)を眺めた時、無茶々園の存在は奇跡のように思えるときがあります。人それぞれですから毀誉褒貶はあるでしょうが、それでも一つの大切な芯、大きな核、いくつもある(だろう)楕円の重要な中心、であるのは間違いのないことだと思います。明浜のまちづくりにとって、無茶々園の果たす役割はきわめてというか、ますますというか、重要になってきているのを感じます。

 そこで、思いついたことを少し、提案させていただいたらと僭越ながら思って記します。

1、こども大使

 これは妻の発想です。「こども大使」を派遣することを考えてみてはいかがでしょうか。もちろん、全国の消費者のもとへです。都市の子供たちのもとへです。

 無茶々園のこどもたち(明浜のこどもたち)が、無茶々園のこと、明浜のこと、みかんのこと、農業のこと、田舎の生活のこと、学校のこと、ジオパークのこと、SDGsのこと、世の中のことなどなどを都会の子に伝える・意見を述べる。そして交流する。その中で、無茶々のこどもたち(明浜のこどもたち)は大きな成長をするでしょう。

 都会の子供たちにとっても同じことが起こるはずです。そして、彼らが、無茶々園へ行ってみたい、みかんつくりを体験してみたい、と言い出したら(きっと言い出すでしょう)この事業は大きな展開を見せます。将来、農業を志す子供が生まれるかもしれません。明浜へ移住する子供が出るかもしれません。そうでなくても、明日のわたしたちの支援者・消費者になってくれることは間違いないでしょう。

 この事業が軌道に乗りだしたら、夏休みに都会の子供たちを呼び込んで、狩江笑学校で合宿勉強会を開いても面白いでしょう。

 サッカーJリーグでは、発足時から入場式の折、選手たちはひとり一人こどもたちと手をつないで行進するスタイルを堅持してきました。サポーターを増やし、将来の選手を育てるためにあれはいい方法だと思います。わたしたちも意識してそうしなければならない時代に来ているのだと思います。

2、YouTube に進出

 「ユーチューブ」をやりませんか。「ユーチューブ」はいいと思います。YouTubeを使って今以上に無茶々園を(明浜を、西予を)広く世の中に伝える活動が必要な時代になった!という認識をわたしはしています。

 無茶々園は、伝えるものをいっぱい持っています。狩江には、「ジオパーク」もあります。そのメッカラ石の段々畑・古い価値ある建築などは本当にすばらしいものです。豊かな人材もあります。狩江のお年寄りなんかみんな絵になる人ばかりです。動画ドラマの構成・脚本の題材には困らないはずです。

 全国の支援者の方たち、ベトナム農場のなかまたちにも出ていただいたら、広やかなユニークなサイトを創れるんじゃないでしょうか。新たな仕事分野もつくれるし、きっと面白いことが待っていそうな気がします。

  今の子供たちの「なりたい職業」ナンバーワンは、「ユーチューバー」だそうです!だったら、無茶々園の子供たちも参加させましょう!! 

3、片山元治くんの本の出版

 片山元治くんから、次の膨大な資料を添付した「メール」が届けられました。

① 「国際連帯と海外事業計画」

② 「国際田道間守工房学校構想」

③ アメリカ型資本主義・大陸型独裁資本主義から「和を持って尊しとす」市民資本主義へ!市民資本主義と地域経済・家族企業体。「市民資本主義を!食料・農業・農村問題から考える」。ミレニアム世代・Z世代につなげる団塊プレミアム世代の千日行。

④ ボケは天国への通行手形・天国に一番近い村「猛創コンドル村構想」

⑤ 「無茶々園第2世代のエポックメイキング」

⑥ 「新無茶々園の村つくりとグローカルビジネス」

⑦ 「片山元治の健康管理台帳」

 いやあ、なんともスゴイ論考の山に圧倒されました!ミカンの収穫で身も心もつかれている今の時期にじっくり読むことはかないませんが、ざっと流して見ただけで、ここにはわたしたちが日々悩んでいる問題の「解決策」が見事に描かれていると感じました!

 いま地方の町や村は、「限界集落化」の段階を超えて「破滅化」段階にあります。よほどのことをしない限り、それを食い止めることはできないでしょう。人口を増やすとしても、たとえば俵津のことを考えても、千人を切って6割近くが65歳以上である俵津だったら50代以下の人たちを年10%以上増やさないと追いつかないような状態。それでも、みんなが自覚的に本腰を入れて「何かに」取り組まなくてはいけない時期に来ているのは確かです。

 片山元治くんの論策(と実践記録)は、その「何か」を明らかにしてくれる革命的といってもいいものでしょう。難しいものですが、「本」という形にして、みんなが茶の間において、読めるようにしていただきたいと思います。

 B5版(週刊誌の大きさ)の大版にして、しかもビジュアルなものにしていただければ有難いです。これはわたしたちの地域だけではなく、全国の町や村の人たちにとっても意義のあるものだと思います。

 ぜひ、お願いします!!

 そして、これを機に、無茶々園も出版業にチャレンジ!というのも、考えてみるに値するのではないでしょうか?!!

                  (20021・12・18)

  

なんかシャン・かんかシャン

 「なんかシャン・かんかシャン」というのは狩江弁です。俵津弁だと「なんか・かんか」「なんや・かんや」「あれや・これや」というところになるんでしょうか。これに関しては狩江弁のほうが面白いのでタイトルこれにしました。でも不思議ですね、山一つ越えただけで言葉が変わっていくなんて。

 わたしの日常の中の「あれや・これや」を綴っていきます。

 西村仁さんが、独身者の誰彼なくをつかまえて、「嫁をもらえよ」と言っております。「のう、〇〇くん(ちゃん)よ。嫁をもらえよお。病気や事故やなんかあったとき、一人じゃ、どげもこげもならんぞ。この世に嫁さんほどありがたいもんはないぞお」。

 西村さんは、やはり名前の通り「仁」の人です。こんなこと誰まりが言ったら、反発を買うでしょう。言われた者が神妙に聞いているのは、彼の人徳以外のものではないでしょう。面白いのは年齢に関係なくこの言葉が発せられることです。75歳の同級生や70前後の者に対しても発せられるのです!「えっ?!」と思いますが、そこが西村さんの面目躍如としているところです。

 わたしなども、女房殿がいないとすぐに路頭に迷う人間なので、彼の言うことはとてもよくわかります。

 老後不安は厳然としてあります。コロナ危機も続いています。自然災害の心配もあります。何があるかわからない時代、何があってもおかしくない時代。・・・さまざまな危機と不安の中でのこれからのわたしたちのくらし。最大の安全保障は、良きパートナーの存在です。「一人では暮らせないが、二人ならやっていける」という言葉もあります。

 「家庭(家族)」と、そして「地域共同体」、この二つがこれからますます大事になってくることは論を待たないでしょう。

 ところで、奥さん連中、女性たちは、いかが思っているのでしょうか?!

 この間、我が家の床の間の壁が剥がれたので、酒井工務店さんにお願いして、左官さんを世話していただきました。来ていただいたのは三間の方でわたしより一つ下の人でした。10時休みにお茶を飲みながら話をしていたら、業界の現状に触れてくれました。

 もう、左官絶滅危惧種になっているとか。土壁を塗る際の竹を張る工事をする人もいなくなっているということでした。理由は、そういう人たちの高齢化だけでなく、いま家を建てる人がそういうものを使わない建築様式を採用していることにある、といいます。これは驚きでした。そういえば、西洋風の建物が多くなりました。

 時代はいろいろのところで変わって行っていますが、こういうのは必ずしもいいことではないような気がします。高温多湿の夏を抱える風土の日本では、やはり木や紙や土を使ったエコロジカルな建築が一番適しているように思います。「温暖化問題」を解決する手段としてもエアコンを使わなくていいような(維持コストのかからないような)構造をもつ家の開発は必要なことなのでは、と私などはおもいます。日本建築を支える人たちの暮らしを支えるためにも、地方の自立のためにもまた。

 日本の農家の平均年齢も70歳とか。農業も農家も絶滅危惧種?!

 最近、俵津を軽トラで走っていたら、ところどころでみかん畑の荒廃園が、草を刈られ、雑木を伐り倒され、開かれているのを目にするようになりました。若い農家のひとたちも多くなっているように感じます。

 俵津の農地が、若い人たちや現役をリタイアした人たちに利用されて(新しい視線で開発されて)、末永く維持されていくようになったらいいなと思います。うれしい発見をしている今日この頃です。

 11月18日、「あけはまーれ」で、無茶々園第一世代の仲間たちが3年ぶりに集まって一杯やりました。集まったのは6人。門田喜与嗣さん・西野知さん・斎藤達文さん・中山源綱くん・片山元治くん・わたし。高山・田之浜・狩江・俵津、明浜全域にわたる無茶々園の最初期に苦楽を共にした仲間たちです。何でも話せる気持ちのいい仲間たちです。話が弾みました。コロナの感染者が激減している第六波前(!)の束の間を利用しての飲み会でした。

 席上、「ムラ作りの運動家」・片山元治くんが静かに気炎をあげました。「われわれの故郷が永遠であるように、最後の人生を、老害をまき散らしながら、コンドルクラブを立ち上げ、自分の考えを実践していきたい!」。ベトナムでの15年を切り上げて、帰ってきた元治くん。無茶々園を立ち上げた頃とちっとも変っていない。ほんとうにスゴイなあ、と思います。

 11月19日。俵津老人クラブの役員会がありました。

 この会合の席で、またまた、アイディア・ウーマン=春ちゃんこと片岡春江さんの素敵な提案がありました!仮装大会というか、みんなで面白い仮装をして行列をしよう、というのです!俵津版ハロウィン?だれかが言うと、会場がドッとわきます。春ちゃんの構想では、4~5人がグループになって一つのテーマの仮装をしあって、公民館周りを練り歩こうというのです。

 突拍子もないことを考える人です!永山会長が応援します。「ほんと楽しいこと、やろうじゃないか。おら思うんじゃけんど、むかし八千代座の桟敷の席で、弁当持ちこんで、飲んだり食うたりしながら、芝居を観たのう。あんなふうにやっちみたいもんじゃのう」。

 いいですねえ。賛成です!わたしは「じじばば」の時にそれやろ!と提案しましたが、別に大げさに考える必要はないなと後で思いました。役員会の飲み会の席でも、忘年会・新年会の席でも、そういうふうに面白くやったらいいのですよね。俵津公民館には、カラオケ・音響機器もありますしね。ホールも、広い和室もあります。使い切りましょうよ。

 ああ、そうです。4月3日の「花見」を復活させて、その日に、車庫前から公民館前までの俵津メインストリートを練り歩くようにしたらいいかもしれません。そして、片岡聖也くんや高岡健司君たち若いもんにも加わっていただいたら、素敵な新しい「俵津まつり」が誕生するかもしれません。

 11月25日。長崎東海研究会。久しぶりの会合です。

 冨永さんの年毎の日誌解読が続けられています。この日は、大正2年がまとめられました。氏の大変なご尽力のおかげで、東海日誌が誰にも分るものに変貌を遂げています。本当にありがたいことだと思います。

 冨永さんは、この日、ご自身とお仲間たちが取り組んでおられる「前進座公演(山本周五郎原作・「ひとごろし 喜劇一幕」)」の宇和文化会館公演の話もされました。来年3月13日にやるからヨロシクとのこと。皆さんもぜひ見に行ってください。

 昔のわたしたちがやった「わらび座公演」のことを思い出しました。俵津小学校のPTAの仲間が体育館でやったあれです(演目は「ブナがくれた贈りもの」)。冨永さんの話を聞きながら、俵津のような小さなところでよくもやれたものだなあ、と感慨ひとしおです。当時のPTAの仲間たち、本当に熱かった!!

                      (2021・12・1)

 

「天声人語」に物申す!

 ミカンの収穫に忙しくしています。我が家では早生温州が終わり、中生(なかて)の南柑20号に取り掛かっているところです。毎年生産にかかわるなんらかの事象が発生しますが、今年はカメムシの異常大発生が特筆されるでしょう。夏場から宇和の稲に大発生したものが、稲刈りが終わった後、山を越えて襲来したものでしょうか。とにかくひどいものでした。それでも、なんとか美味しいみかんが出来上がっております。みかんには、ストレス軽減、抗酸化作用、免疫力向上等の機能性成分がたくさん含まれているので、みなさんにはおおいに食べていただきたいものだと思っています。

 歴史的に大きな意味を持っていた「総選挙」が、そう意識されることもなく通常通りに行われてからもう大分過つ様な気がしております。選挙なんかホントにあったの?という感じ。

 でも、細々とは選挙の総括みたいなことがメディアやネットで時々とりあげられています。その中で、わたしが怒りを通りこしてあきれ果てた記事がありました。朝日新聞一面コラム・「天声人語」です(2021・11・13の)。まず、それを読んでいただきましょう。(太字はわたし)。

 

 衆院選おきゅうをすえられたのは、与党ではなく、共闘した野党だったのかもしれない。選挙後に実施された本紙の世論調査を見て、そんなふうに思った。質問は「来年の参院選で野党による候補者の一本化を進めるべきだと思うか」▶「進めるべきだ」の27%に対して「そうは思わない」が51%に達した。先の衆院選を特徴づけた野党共闘への視線が、ここまで冷ややかとは。自民党過半数を大きく超えた理由も「野党に期待できないから」が65%にのぼった▶消費税引き下げなどの政策に現実味が感じられなかったか。安全保障をめぐる立憲民主党共産党との違いが気になったか。立憲は枝野幸男代表がきのう辞任し、代表選が事実上始まった。議席減となった原因、そして出直し策について大いに議論してほしい▶枝野氏が「私の力不足だ」と言うのは敗軍の将の決まり文句だが、実際、「私」すなわち枝野氏に党全体が寄りかかりすぎていたのではないか。政策作りもトップダウンだと指摘されていた▶話は変わるが、プロ野球では低迷する日本ハムの監督に新庄剛志氏が就いた。就任会見での「優勝なんか一切目指しません」という言葉に驚かされた。続けて言うには「一日一日地味な練習を積み重ねて、9月ぐらいになって優勝争いしていたら……」▶日々何をするかが大切なのは政党も同じ。人々の話を聞き、政策を鍛える。地方議員を一人また一人と増やす。与野党伯仲も政権交代も、その先にしかありえない。

 

 ここには、わたしが前回書いたことと真逆なことが書かれている、と思いました。

 わたしは別に朝日新聞がいい新聞だとは思っていませんが、これを読んだ時には本当に情けなくなりました。これが長い間の現場の記者生活を経てこの有名なコラム欄を担当するまでになった者が書くことだろうか。社会の木鐸と言われる新聞人の矜持もなければ、知性の輝きもない。

 具体的に、順次見ていきましょう。

1、今回の選挙は、「おきゅう」を据えるとか据えないとかという程度のそんな次元の選挙だったとでも、いうのでしょうか。この書き出しからし天声人語子のものとは到底思えません。これだけ政権が腐敗し、これだけ経済や社会が停滞し、これだけ格差や貧困が蔓延し・・・という状況の中での政権選択選挙というかこの国の未来を創る選挙なのに、まるで他人事みたいな筆致です。

2、朝日新聞社がしたような「世論調査」、愚にもつかない調査だと思いませんか。そのことの自覚がないようではどうにもなりません。「来年の参院選での野党の一本化」など問うのも愚かなほどの当然事ではないでしょうか。政権交代は民主制にとって不可欠のことだという認識があるならば、それに向かう大きな前進だった今回の選挙をメディアは率先して国民に評価させるような前向きな報道こそすべきなのではないでしょうか。

3、「自民党過半数を大きく超えた理由」は、違います。有権者の半数が投票に行かなかったからです。それを促進した(!)新聞やテレビこそ責任を問われてしかるべきです。そこに頬かむりして「野党に期待できないから」などとは、どこまで卑劣なのでしょう。期待できる野党を、十分に取り上げて報道する、国民と一緒に考える番組やページを増やして「熱狂」(健全な)を作り上げる、それこそメディアの仕事ではありませんか。

4、「政策に現実味が感じられなかったか」、などと言ってはいけません。消費税のことが云々されていますが、デフレの時は増税してはいけないというのはもう現代ではみんなが共有しなければいけない“常識”です。柔軟に税率を上げ下げするのは当たり前のことだと思います。それは、国民への現金給付などよりはるかに実効性のある施策です。それをメディアまでが財務省の言うなりになったような言説をまき散らして、現実味がないなどと決めつけてはなりません。

5、「立憲民主党共産党の違いが気になったか」、などと自公がいうようなことを吹聴してはいけないとおもいます。前回書いたようにやっと今回の選挙で自公政権に対抗できる軸ができたのです。国民がちゃんと選択できる構図が固まったのです。これを推し進める報道なくして、どうして日本は未来へ行けるのでしょうか。少しは、この国の将来というものを真剣に考えていただきたい。

6、枝野氏の評価についてですが、「力不足」などでは決してありません。山本太郎氏のような魅力には欠けますが、よくぞ立憲民主党を立ち上げここまでもってきた、というべきなのではないでしょうか。

7、新庄氏を引き合いに出すのはちょっとなあ、とわたしは首をかしげます。

8、そして最後の御託宣。よくもまあ、こんなことが書けるものだなあ、とあきれます。「与野党伯仲」がなぜ意味があるのか、「政権交代」はなぜ必要なのか。本当に分かっているのでしょうか。メディアの責任は本当に重大ですよ。朝日新聞は投票日の一週間ほど前に、もうすでに自公政権の続行は決定したみたいな大文字の見出しを一面トップに掲げていましたが、ジャーナリストの片隅にもおけないようなこんな小細工をして、国民にとって重大な結果を招き寄せることをなんとも思わないのでしょうか。

 日本のメディアの劣化は本当に目を覆うばかりです。ほんとうにイヤな時代になりました。

                     (2021・11・22)

 

 

「総選挙」の結果から・・・

 第49回だそうな「総選挙」が終わりました。

 わたしが望んだ「政権交代」も「与野党伯仲」も、起こりませんでした。切なく願った「投票率」アップも、起きませんでした。いつも選挙に行く人が、いつものように今回も選挙に行って、いつも入れる候補者と政党に入れただけ、そんな感じの総選挙だったように思います。大山鳴動もなかったし、ネズミさえ(!)出なかった・・・。

 備忘のために「党派別当選者の内訳」を記しておきます(定数465)。

 自民党261(公示前276)、立憲96(109)、維新41(11)、公明32(29)、国民11(8)、共産10(12)、れいわ3(1)、社民1(1)、N党0(1)、諸派0(0)、無所属10(12)

 以下、わたしの感想を。

1、

 ガッカリ😞の結果ではありましたが、嬉しいこともありました!

 「山本太郎」さんが当選したことです。しかも、「れいわ新選組」が3議席も獲得し、参議院の2人と合わせて政党要件を満たす5人になったことです。あの山本太郎が国会に帰ってくるのです。爆風を吹かせてほしい。澱み切った国会の換気をしてほしい。新時代の“薩長同盟”を実現して、新政権を樹立してほしい。わたしは山本太郎は現代の“坂本龍馬”だと思っているのです!

 テレビで各党党首の選挙演説を聞きましたが、山本太郎氏の話が、わたしには一番胸にジーンときました。山本太郎は熱い!燃えている!心から弱者のために働こうとしている!心の底から政権を取ろうとしている!私利私欲からではなく、この国を真に変えるために!

2,

 「投票率」が、上がりませんでした。わずかに3%ほどは上がりましたが(55.93%、戦後3番目に低い投票率だそうです)それでも有権者全体の半分ちょっとの情況は変わりません。

 わたしは選挙に行かない人を責める気はまったくありません。それこそが今のこの国の情況の構造だと思うからです。そうだと思う一方で、もう少し投票率が上がるだけで、この国は変わる、という確信のようなものを持てる結果を出した選挙区もありました(それは希望でした)。東京8区です。ここの投票率は61%でした。それだけで、難攻不落・10回連続当選をしてきた自民党の大物・石原伸晃氏を落とすことができたのです。

 マスコミの「選挙報道」の重大な責任を感じます。マスコミは、自民党の「総裁選挙」は連日、ニュース番組やワイドショー等でやかましいくらい取り上げ続けましたが、一転、総選挙になると蝉時雨がパタッと止んだように(わたしの印象です)なりをひそめました。小栗旬さんや二階堂ふみさんなど俳優のみなさんが「選挙に行こう!キャンペーン」をはったのに、本当にひどいものでした。

 選挙を面白くする。投票率を上げる。そのためにマスコミができることは無限にあるように思います。とくに公共放送のNHK などは一体どうしてしまったのでしょうか?「選挙」こそ、最大の視聴率を稼げるスーパー・ネタではありませんか。

3、

 現在の「選挙制度」が、日本の未来を永遠(わたしの感想です)に閉ざしている、そのことを強く感じます。

・わたしは、完全比例代表制をのぞみます。それが民意をいちばん正確に表す制度だと思います。死票がなくなります。

比例区は、ブロックで分けるのではなく、全国を一つにすべきです。

・せめて中選挙区連記制にしてほしい。

小選挙区で落選した候補者を救う比例区での重複立候補制をやめるべきです。国民は小選挙区の直接投票で審判を下したのですから。これでは何のための選挙やらまったくわからないことになります。

・被選挙権も衆参とも20歳からにしてほしい。議員数も男女同数にしてほしい。

・投票所を減らしてはいけません。とくに期日前投票できるところを減らしてはいけないと思います。いつのころからか俵津公民館で期日前投票ができなくなったのには、本当に嫌な感じがしていました。これおかしいですよね。どれだけ人員やお金がかかっても、国民の一番の権利である選挙権を奪うような変更はしてはいけません。

・投票時間を切り上げることも、重大な過ちです。

・在外投票を面倒にするようなことも、やってはいけないことです。

 選挙管理委員会に頼まれたアルバイターみたいなことを書き連ねてはずかしい気もしますが、政権側の“悪意”のようなものを感じますので、やはり書いておかないとと思う次第です。横綱相撲を、というのも変ですが、堂々と公正な選挙でいこうではありませんか。国民全体でこの国の運命を選んでいこうではありませんか。デジタル投票も視野に入れる時代も来たと思います。

4、

 「野党共闘」のことです。

 選挙後、「野党共闘は失敗だった」とか「無駄だった」とか「共産党を入れたのがいけなかった」とかさまざまな批判が、政権側から、あるいはマスコミ界からも沸き起こっております。ふつう、そういうことを言う時って、心理的に「これはヤバイことになったぞ。これはしっかりここで叩いておかないと」と思う時になされることではないでしょうか。

 わたしは、野党共闘・「よかった、よくやった」と思っています。

 先ほど東京8区の例をあげましたが、当選した自民党候補者側から見れば、その2割はやっと勝った、辛くも勝ったという感じなのですね。小選挙区のかなりの部分が、接戦というか「伯仲」していたと言っていいんではないでしょうか。「投票率」さえ上がれば、「政権交代」は確実に起こる、という情況が生まれつつあるということです。

 もう一つは、これでやっと自公政権との「対決軸」「対立軸」「対抗軸」ができた、と思うのです。1990年代初頭の冷戦終結後はじめて日本の政治が、国民に対して、方向(未来)を示すかたちを作れた、と思うのです。これは画期的なことです。政治の歴史的段階が煮詰まってきたと言っていいかもしれません。維新と国民民主は自公よりですから、「自・公・維新・国民民主 VS れいわ新選組日本共産党社民党立憲民主党」、これからはこれでいかなくてはいけないと思います。間違っても野党共闘を破棄などしてはいけません。野党共闘を守り育て強化しないといけない、強くそう思います。

 野党共闘の核になるのは、リョーマ山本太郎海援隊・れいわ新選組です。

 それから、「連合」が頼りにならない、いらない、ということがハッキリしたのもいいことです。これで、立憲民主党は、キッパリと心置きなく「連合」を切れると思います。野党共闘・野党連合は、働く人の4割を占める非正規労働者と選挙に行かない5割の無党派層に向き合うべきです。日本でも必ずオキュパイ運動は起きる時代になります。

 このように今度の選挙はいろいろなことを鮮明にしました。とてもいいことです!

5、

 野党共闘の一つの大きな問題は、「共産党」です。

 今回、共産党は、「政権交代が実現したら、共産党は閣外協力をする」といっておりましたが、愚かな態度だと思います。そうではなくて政権を担う政党の一部として、完全に内的存在にならなくてはいけないと思います。そのためにはtosakkoさんがいつかの「コメント欄」で言っていたように、「党名」を変更するような驚天動地の身を切る改革をしなければならないと思います。人や団体に名前を変えよ、などということは絶対言ってはいけないことですが(かつて日本が朝鮮のひとたちに創氏改名を強制したのを思い浮かべます)、新政権によって「憲法改正(改悪)」が行われるかもしれない現実が露出してきたのを見るとき、ついお願いしたくなるわたしです。中国共産党のふるまいなどをみると、これはもうあまりにもイメージが悪すぎです。

 自民党政権は、今回の選挙中盛んに「立憲・共産党」などと言って、共産党にまつわるある悪いイメージをまき散らせていました。汚くはありますが、選挙というのは戦国時代なら戦争、食うか食われるか・生きるか死ぬかの戦いですから(その必死さはやはり自公のほうが格段に上ですね)、当然と言えば当然です。

 共産党は戦う前から負けている、戦う前から自らにハンデをつけて(清いといえば清いのでしょうが)状況を不利にしてしまっている。

 わたしは、時代は、共産主義社会主義も資本主義もグローバル資本主義新自由主義もいらない時代になっていると認識しています。

 共産党のひとたちは、正義感が強いですし、勉強もよくしています。でも、なんか足りない。いつもワンクッションおかなければ向かい合えない。すっと、他の党のように政治状況に切り込んでいけるフラットでオープンな党になっていただきたい。

6、

 「憲法改正」のことです。

 維新が、「来年7月の参議院選挙の時に、憲法改正国民投票も同時にやったらいい」などと言っていましたね。この9年間、安倍晋三氏がやろうとしてやれなかった憲法改正ですが、とうとうその時がやってきたな、とわたしは感じています。この問題も煮詰まってきた、と感じます。こういうことは、安倍氏のようなウルトラ・ライトウィングの人物よりも、意外と岸田文雄現首相のようななよなよした一見中道派みたいな人の方が、やり遂げるのではないか、そんな気がしています。

 来年の参議院選挙は、日本の、日本国民の、正念場になると思います。

 大阪の友人がこんなメールをくれました。

「友よ、私は悲しい、死にたいほど悲しい。立憲の議席減、自民の過半数維持は自分に見る目が無かったと、理解できます。だが、維新の躍進は理解できません。なぜだーーー大阪人はあほの坂田か!!

 維新が大阪に何をした!新たな地場産業を地道に育てることもせず、インバウンド目当てに街をテーマパークのようにして 文化も風情もない手っ取り早く稼げるドラッグストアだらけの街に作り変えた。万博やカジノを導入し、大阪経済を一過性のイベント頼み経済にしてしまった。そのことはコロナでインバウンドが見込めなくなった途端に南の地価が過去最高に下落したことで証明されている。

 あほ面でもテレビに出れば人気で投票するのか!

 私はもうこんな街には住みたくない。いっそのことフィリピンでも移住しようかな。」

                    (2021・11・7)