虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

おっ!これは(なんだろう)!?

  とにかくまあ、次の文章を読んでください!

 

 「私のまわりでは、今年は過去産業革命が起きたように大きな転換期が予想されています。このような節目には停滞がつきもので、ウィルス蔓延によって経済がストップしてしまっているのは、その現れだと感じています。

 人によっては、ウィルスの影響以外でも生活にストップがかかり、強制リセットが起こっている方がいるのではないでしょうか。停滞の陰には必ず継続があります。この機会に今までの歩みをポジティブに受け入れ、新しい時代への幕開けにパラダイムシフトしていきましょう。

 私は、新たにやりたいことがあるため、一つの壁を乗り越えるよう自己犠牲してきた歩みに償いをしています。」

 

 この文章を読んであなたは何を感じるだろうか?わたしは、おっ、これは、と思った。

 ここには非常に感度のいい精神と身体がある。それが何かの重大な予兆、たとえば天変地異とか経済恐慌とか戦争とか時代の潮目の変化とか・・を感じ取っている。もちろんこれは、現在起こっているコロナウイルスの蔓延という事態に反応した表現には違いないのだが、それ以上のものをわたしは感じるのだ。

 この文章を書いたのは、わたしが腰痛になったときに行く“行きつけ”の「うわ整骨院」の30代の若い院長・宇都宮道祐くんだ。彼が発行している「うわ(UWA)整骨院便り」3月号にある。「便り」の内容は健康情報や体にいい料理レシピや豆知識といったもので構成されているが、これは珍しい前書あいさつ文だ。彼は、鍼灸はもちろん整体もやる。そして「気功」ができる。気功をやる人というのは、何かをもっている。彼の体自体がしなやかなセンサーなのだ。それが自然や人事の異変に感応するのに違いない。

 さらにわたしが注目するのは、彼の「まわり」にもそのように感応する者たちがある“かたまり”としているらしいこと。点ではなく面とか層としてあること。そこでわたしが類推するのは、いま大都会の30代以下の若者たちが「農業」や「地方」に回帰しているというムーブメントがあるという情報だ。彼らもまた何かの危機の予兆を感じ取っているのかもしれない。それが大きなエクソダスを起こしているのかもしれない。現代の若者たちは、時空を超えて波動が共振・共鳴しあっているのかもしれない。

 確かに今の若い人たちは、戦後の高度成長期に育ったわたしたちとは違う。物欲がない。お金にも淡白だ。そしてクールだ。「失われた30年」という言葉が象徴するように物心ついた時から経済も社会も“停滞”していたのだから、そうなるのかもしれない。その分、透徹した浮つかない目とこころも備わっているのかもしれない。

 人を惑わす「予言」には与しないわたしだが、この「便り」の文章には注目していいことがあるように思えたので、こうして書き留めておく。日常の何気ない事に目を凝らそう。耳を澄まそう。太古の人たちが持っていた能力を取り戻すことも、地方に生きるわたしたちの生存戦略になるかもしれない。

 

                            (2020・3・31)