虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

無茶々の山を築いた男たち女たちが語り始めた―

ーなぜ、縁もゆかりもない明浜へ?

 まず惹かれたのは明浜の景色ですね。浜に向かって山が拓いていて、海も空も青くて、単純にきれいだなと。それに、無茶々園の活動そのものにも衝撃を受けました。仕事と生活が表裏一体な農家の生業、暮らしぶりがあって、全国各地からいわゆる“ダメな人”、“変わり者”、“いい加減”な人から超インテリまで本当にいろんな人が集まっていました。

 ぼくがここを選んだ基準は、一つではありません。「風景がいい」とか「農業がやりたいから」とか、何か一つではなくて、地域とのつながりだったり、風景のすばらしさだったり、農業や地域の可能性だったり、いろんな価値があったから選びました。価値を見出したのが一つだったら、それが折れたときに終わっちゃうんですよ。

 10代から20代初めの頃、得体のしれない不安や寂しさ、焦りを抱えていました。ぼくが来たとき、地域の人がおもしろがって話しかけてくれて、どこの馬の骨ともわからないぼくにいろんな話をしてくれました。安心感のある人と人とのつながりみたいなのがベースにあるっていい暮らしだなあ、と思いました。

                      (村上尚樹くんの言葉)

 右の「リンク」より「無茶々園」に入ってみてください。そこに、〈暮らす働く〉「無茶々園をぼくらが、いま、えんえん語る」があります。

 「無茶々園」という“山”を築き上げてきた男たち・女たちが、満を持して、語り始めた記録です。昨年8月1日から今日まで、実に11人が登場。ハタノエリという取材者(プロのインタビュアーでしょうか、編集者でしょうか)を得て、各人がまことに魅力的なことばを自由にのびのびと紡ぎ出しています。とても読みごたえがあります。心がさわぎます。大きな共感がやってきます。とても素晴らしいページです。みなさんもぜひ読んでみてください。

 わたしは、ずっと前から、彼らが語りだしてくれるのを待っていました。それがやっと、実現したのです。

 冒頭に掲げたのは、第1回目の村上尚樹くんの言葉です。彼の言葉はじつに味わい深い。宝石箱の中からでてきたもののようです。さらにいくつかあげてみましょうか。

・無茶々園に就職(就農)するまでの2年間、九州から長野まで複数の農家や農業法人を、研修という形でめぐりました。いろんな人といろいろな話をしていく中で、農業というものさしではなく、自分がこの先どういう生き方をしたいかを考えるようになりました。無茶々園がほかと確実にちがったのは、主体が会社や個人ではなく地域というところでした。24歳のとき、無茶々園のある明浜で豊かに楽しく生きていけたらと移住してきました。

・ぼくは一人じゃなくて、みんなでやりたい。てんぽ印でも、それぞれ農場とか作目とか持ち場があって、一人一人が主役で、ときには脇役になって、群像劇みたいな働き方をしたいのです。

・(てんぽ印の)彼らが彼らにとって「いい仕事、いい暮らし」をして、次に都会から来る子たちに「かっこいいな、いいな」と思われるようになればいい。こういう生き方もいいよな、と思われる“生き方モデル”を示せる人間になってほしいし、ぼく自身もそう思われたい。そう思われて、そこに共感した仲間を増やしていきたいですね。「影キャ」が熱量持ったらおもしろいよってことを証明したいのかもしれませんね。

・農業は“いい仕事”です。自分の成長が感じられること、だれかの役に立っていることを実感できるから。この2つの実感があればいい仕事だと思っています。

・現実的にリアルに農業していて感じる不安は、高齢化と人口減少と異常気象なんですよ。気候は10年前と全然違うし、高齢化によってまちが少しづつエネルギーを失っているのを感じています。田舎はどんどん人が減っていく。すごく恐怖を感じます。人を増やさなければならないんです。

・いろいろこじらせていた20代、思ったんです。地域も社会も国も地球も、ほんとはどうでもいいのだって。自分の幸せのことだけ考えたらいい。そして、本気で自分の幸せを突き詰めていけばいいと。するとおのずと、隣にいる人が目に入る。その人がつらそうだと、自分が幸せになれないのだと気づいたのです。

 村上くんは、無茶々園創業者の片山元治がその昔「農土地所有のビッグバンが来る。無茶々園も大農場を持たなければならない」として、南郡や松山に開いた農場の経営を軌道に乗せ、「有限会社てんぽ印」を立ち上げ、社長として活躍しています。

 こうやって、一人一人を紹介していたら、大変なこと(!)になりそうです。あとはみなさんで、見ていただけたらありがたいです。

 もう一人だけ、平野拓也くんのことに触れておきます。

 平野くんは、わたしたち無茶々園の生産者にとって衝撃的存在として現れました。もう大昔の話になりますが、片山から理事会で「東大生が無茶々に就職したい、と言ってきている」という話を聞いたとき、みんなは本当におどろきました。そんなことがホントにあるのか!?。わたしたちの衝撃は、時代が変わったことを実感したこと、無茶々園というものの価値を実感したこと、の二点にありました。

 平野くんは、まことに確固とした自分を持っていて先駆的な生き方をしている。霞が関に就職した若い人たちが、愚かな政治家たちからつまらぬ仕事を押し付けられ過労死寸前まで働かされて、ドンドンやめて行っているというような報道に接すると、余計にそう思うのです。彼らに言いたくなります。地方に来いよ!日本を本当に創るのはこっちからじゃないのかい?!

 余談になりますが、田中恒利さんが現役の衆院議員時代にこんなことを言っていたのを思い出しました。「国会質問の前の晩なんか、彼らがまとわりついて離れんのじゃ。放っておいたらいつまででもいる。答弁書を作るために、質問内容を聞きに来ているんじゃ。しまいにゃかわいそうになって教えてやったが、彼らが哀れでならんかったわい。」

 エネルギーに満ち溢れた(今でも!)片山がいて、その偉大なる奥方・恵子さんがいて、両斎藤がいて、賢人三長老(宇都宮利治・山下佐賢・沖村梅男のお三方)がいて、それから大津清次くんがいて、宇都宮広くんがいて、平野くんたちがいて・・・無茶々の「山」ができた。わたしたち生産者も(夫婦で)がんばったよね。

 わたしは、いま、「語ること」のたいせつさを強く感じています。無茶々園だけではありません。農協や役場の面々。各組織のひとたち、個人・・・。しみじみと、しずかに、せつせつと、あつく、ゆるやかに、はげしく、のびのびと、じゆうに・・・。

 おわりに、「11人」の名前とそれぞれが見つめる「あした」をメモふうに記しておきます。

①村上尚樹(掲載時年齢39歳)

 ・(出身地)石川県・有限会社てんぽ印代表取締役社長

②西原和俊(43)

 ・福岡県久留米市・株式会社地域法人無茶々園業務管理部部長

 ・「管理職になった自分として、後輩たちを育てていく時なのかなと感じています。それぞれがやりたいことをストレスなくやれるように、何かできることをやりたい。この組織のために、地域のために、裏方としての仕事をまっとうしていきたいです。」

③平野拓也(44)

 ・京都・株式会社地域法人無茶々園専務

 ・「無茶々園としての栽培マニュアルをまとめていきたい。きっちりした栽培技術を生産者団体として打ち立てることで、生産者の経営や栽培リスクが改善され“不利”な産地でも産地として生き続けることができる根拠のようなものになると思うのです。産地と一緒に歩んでいく企業だからこそ、やるべきこと、やるべき転換を模索していきたいですね。」「柑橘の栽培もやっていきたいです。近所に空いた畑ができたタイミングでレモン畑から始めました。」

④高瀬英明(42)

 ・鬼北町・株式会社地域法人無茶々園事業部部長

 ・「青果はもう少し高く設定し、加工品にも付加価値をつけられるような構造にしていく必要があります。時代と実情に見合った“ものさし”を持たなければいけません。」「(デザインとは)駐車場のラインのような“整理整頓”できるツールだと考えています。プロダクトのデザインだけではなく、作業や、仕事の流れ、産業自体とかを整理するためのツールがデザインだと考えます。」「そして、田舎とか都会とかの二元論もできるだけ排除したいと思っています。全部のバイアスを取り除いたうえで、売れるものを作る。その要素としてもデザインが必要だと考えます。」

⑤細島 毅(50)

 ・埼玉県・株式会社地域法人無茶々園専務

 ・「新たに“ベトナム事業”を任せられました。今は、ベトナムで栽培したコショウとカカオ豆を輸入して販売しています。ベトナムで海外に通用するような加工品まで作れるようになれば、ベトナムに落ちるお金が多くなります。彼らが作ったものを安定した価格で買って、日本で販売する仕組みを整えていくことで事業を発展させていきたいですね。いま、このベトナム事業にとてもやりがいを感じています。」

⑥宇都宮広(62)

 ・吉田町・株式会社地域法人無茶々園常務、国際コラボ事業協同組合管理責任者

 ・海外から技能実習生を受け入れ、産地へ派遣するというミッションをしている彼は、「今の受け入れ規模を10倍以上に広げていく必要がある」と言う。「無茶々園の働き方の一つの提案として、たとえば、金土日は無茶々園の仕事を休みにする代わり、畑の仕事をする。そうすれば、耕作放棄地への対策にもなりますよね。」「この会社だったら自由になんでもできるじゃないか」という彼は「ここで働いて良かったと思うのはな、お百姓さんと一緒に酒を飲めることやね。」とインタビューを結んだという。いいね、また一緒に飲みたいね。

⑦宇都宮幸博(46)

 ・俵津・地域協同組合無茶々園理事長、農事組合法人無茶々園代表理事

 ・とびきり明るくて、とびきりエネルギッシュな彼。いるだけでそこに希望の渦が動き出す。「ここの子たちが“故郷に戻りたい”と思ったとき、迷わず戻れるように「ここで生きていけるよ」というのを伝えたい。」「自然とともにある暮らしが、ここで生きていく一番の特権。この楽しさ、豊かさをたくさんの人に知ってほしい。消費者をはじめ積極的に交流していきたい。空き家をリフォームして都会の人を呼び込んで、産地体験したり、無茶々園の職員にはダイビングのインストラクターの免許をとってもらって、海と山の体験ができるようにしたり。そうやって明浜のファンをつくっていきたいですね。」

⑧川越瑛介(31)

 ・狩浜・株式会社地域法人無茶々園業務管理部

 ・選果場の責任者の彼は野村町の畜産農家の女性と結婚し、週の半分を畜産農家として働いている半農半Xのリアルな実践者。体が心配だが、じつにユニークな生き方をしている。「ぼくみたいな働き方が増えるとおもしろいですよね。」と平然と言い放っている。とんでもない若者が出て来た!

⑨大津清次(57)

 ・狩浜・株式会社地域法人無茶々園代表取締役

 ・大津くんのことは一言で言えない。「大津は40年間、創始者の想いと構想をひたむきに泥臭く実現してきた。」と取材者のハタノ氏は書いているが、その通りだ。大津くんがいなければ今の無茶々園はない。組織者としても人間としても、彼の存在はじつに大きい。ここに書ききれないので、ぜひページを開いて読んでください。

⑩藤森美佳(44)

 ・岩手県一関市・株式会社地域法人無茶々園

 ・藤森さんは、無茶々園で、狩江で、じつに楽しそうに働いている。暮らしている。それだけで、無茶々園という職場が、究極の職場像を作り上げていることが理解できる。読んでいて、こちらまでほのぼのしてくる。広い奥行きを感じさせる語り口はとても魅力的。ぜひ彼女の語りを、楽しんでください。

⑪宇都宮司(33)

 ・狩浜・農事組合法人無茶々園副理事長

 ・「どんなリーダーをめざしていますか?」という取材者の問いに「ちょっと突き抜けた人になりたいですよね。」と答える彼には驚かされる。まさに突き抜けている。幸博君の後は彼が担うのだろう。

 無茶々園の「あした」が楽しみになってきました。彼らが拓く「未来」にワクワクです!

 さて、次に登場するのは、誰でしょうか!

                      (2022・9・6)