虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

農の巨星★山下惣一さん逝く

 先日、新聞の一面下コラムで山下惣一さんが亡くなったことを知った(朝日、「天声人語」、2022・7・15)。ネットで調べてみると、7月10日午後6時50分肺がんのため死去、享年86歳、とある。合掌。

 「コラム」の全文を掲げる。

 

 農作業を終え、家族が寝静まった後、太宰治ドストエフスキーを読み、村と農に思いをめぐらせる。きのう葬儀が営まれた農民作家山下惣一さんはそんな時間を愛した▶「普通の言葉であれだけ深いことを語る百姓はいませんでした」。山下さんと半世紀にわたって農を論じ合ってきた「農と自然の研究所」代表、宇根豊さん(72)は話す。山下さんは佐賀県唐津市出身。中学卒業後、父に反発し、2回も家出を試みる。それでも農家を継ぎ、村の近代化を夢見た。減反政策に応じ、ミカン栽培に乗り出すが、生産過剰で暴落する。「国の政策を信じた自分が愚かだった。百姓失格」と記した。▶「農の問題は近代化では解決しない、近代化されないものだけが未来に残ると山下さんは気づいた」。そう宇根さんは話す。日本農業の成長産業化が叫ばれる昨今だが、「日本農業などというものはない」というのが山下さんの持論だった。あるのは目の前の田畑、山、家族、村。そこには近代化や市場経済と本質的になじまない価値がある、と。▶直木賞候補とされた小説『減反神社』は政策に翻弄される農家を描く。「あちこちの村に一筋縄ではいかない、したたかで理屈っぽい百姓を繁殖させるのが僕の夢」(『北の農民、南の農民』)とも記した▶取材した場所は福岡県糸島市にある宇根さんの田んぼのあぜ。青々とした水田をトンボが舞い、道端ではカナヘビがじっと動かない。「田んぼの思想家」をめぐる思い出話は、尽きなかった。

 

 山下さん、ほんとうにエライ人だったなあ。

 山下さんは、日本中を駆け巡った。講演した。百姓や消費者と語り合った。農政をはじめさまざまなことに喜怒哀楽をあらわした。そして、書いた。書いて書いて書き抜いた。

 俵津にも二度「講演」に来てもらった。一度目は、山下さんと親しくされていた当時宇和青果組合長だった幸渕文雄さんに交渉をお願いして快諾を得て新田集会所で。わたしたち新田こせがれ会が中心になって招いたのだ。(松山空港まで山下さんを迎えに行ったのは宇都宮凡平くんだったな。)。二度目は明浜農協が招聘して共選場で。

 山下さんは、世界60カ国以上の国々の「農業」を見て回った。(すごいことだ。なんという行動力だろう)。世界を見て、日本農業の行く末、あるべき姿をさぐるためだ。

 もちろん、ロシアの「ダーチャ」も見に行っている。こんな感想を書かれている。「もし、ダーチャと出会わなかったらロシアを知らないまま、誤解したままで私は人生を終えるところだった。農業蔑視のこの国で生涯一百姓として生きて来た人間として、私はダーチャを知ったことで目からウロコが落ちたよ。」「へえー。私は唸ったね。こんな暮らしなら永遠に続く。まさしくパーマカルチャーだ。自然界の生命力、生産力をうまく活用して、その恵みによって命をつないでいく。うーむ。これがダーチャか!」「ロシアは軍拡競争ではアメリカに後れをとったかもしれないが、食料競争においては先を行っているのだ。」「私も小農として生きる自信が深まった。ありがとうダーチャ!」(『農の明日へ』創森社、2021)。 

 山下さんはまた、悪逆非道な(主権国家・独立国家にあるまじき)日本の「農政」にも激しい怒りをぶつけた。

 1980年代のバブルの頃、洪水のごとくに工業製品を輸出した日本に対してクレームつけたアメリカ政府を慮って激しい「農業バッシング」をはじめた日本政府を相手取って闘って書いた「前川リポート」批判・『いま、米について』(講談社文庫)は痛快だった。見事だった。わたしは唸った。これは歴史に残る(残すべき)記念碑的作品だ。

 山下さんは、わたしたち農民の真の代弁者だったと思う。

 わたしたちの嘆きや悲しみ怒り、くらしの喜び、農の楽しさ・生きがい、などなどすべてを書きつくしていただいた。物言う百姓のまさしくチャンピオンだった。ありがとう!山下惣一さん!

 晩年の山下さんは、農民作家の域を超えて思想家・文明論者になっていたと思う。その最初の到達点が『身土不二の探求』(創森社、1998)だろう。

 「(時代は)文明の大転換期を迎えている。先が見えないときは原点回帰である。元に戻って一から考え直すことだ。そのときに、人類の歴史とともに続き、なおこれからも続くであろう自然と農業の不易の関係に学ぶことがたいせつである。」

 「未来を切り拓くヒントは、未来にあるのではなく、過去数千年にわたる人類の歴史の中にこそあるのではないだろうか。振り返れば未来である。」

                     (2022・8・13)