虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

「戦後」はどうしたら終わるのだろうか?―八月十五日に思う。(シン・二ホンへ!③)

 まず!〈朗報〉からです!西田孝志くんが「ブログ」を開設しました!その名もズバリ、「私の映画案内」。「俵津ホームページ」から、わたしのブログ「虹の里から」へと書き継いでくれたあの大好評エッセイが、自身の手で再開、書き続けられます!なんだかワクワクしてきました!右の「リンク」の欄に貼っておきました。そこから入ってぜひお読みください。読者諸兄には何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 今日はお盆。わたしの8月15日は、わが家のお墓参りから始まります。予期せぬ梅雨がぶり返したかのように降り続く雨が、束の間止んだのを見計らって行ってきました。(お墓掃除は昨日済ませました)。わが家の墓所には、歴代塔の他に、先の大戦で戦死した叔父二人(亡父の兄と弟)の遺骨のないお墓もあります。二人とも太平洋の海の底です。わだつみです。

 その後は、狩浜(お伊勢山)にある戦没者「慰霊塔」へのお参りです。ここには明浜町戦没者462人の御霊が祀られております(俵津130人、狩江119人、高山91人、宮野浦60人、田之浜62人)。父が足腰立たなくなってから以後ずっとわたしが続けています。ここも年々訪れるひとが減っているとのこと。淋しい限りです。かく言うわたしもいつまで行けるやら。

 ところで、今年は「戦後76年」。

 最近、ふと、思うのです。この「戦後何年」という言い方(呼び方)、一体いつまでなされるのだろう?と・・。あの言語を絶する悲惨な戦争を忘れないようにするためには、ずっとこう言い続けたほうがいいのかもしれません。この国を「戦前」や「戦中」にしないためには、こう言い続けるしかないのかもしれません。でも、(なんとなくですが)、「戦後」をどうにかして終わらせた方がいいのではないのか、などという思念が頭の隅をよぎることがあるようになりました。どうしてかの説明はできません。「戦後」という言葉の説明(定義)もわたしにはできません。でも「シン・二ホンへ!」行くためには、この通過点を越えなくては、との思いが漠然とですが、浮かんでくるのです。

 「戦後何年」という言い方をしている国は日本以外にもあるのでしょうか。アメリカ、第一次世界大戦以来今日まで間断なく戦争をし続けているアメリカに、そんな言い方があるようには思えません。かつて日本と三国同盟を結んでいた敗戦国ドイツやイタリアはどうでしょう。アジアの国々はどうでしょうか。

 視点を変えて、じゃあどうしたら「戦後」は終わるのだろう?ということを考えてみました。「戦後の定義」が出来ないのにそんなことができるのか、とも思いますが、とにかく思いつくことを書き出してみることにしました。そこから、何かが始まるかもしれません。別の地平へ、行けるかもしれません・・。

➊戦争体験者、あるいは戦前生まれの人たちが死に絶える。

➋その子供である戦後生まれのわたしたちが死に絶える。

天皇陛下が、戦地への「慰霊の旅」を終えられた時。

北方領土問題が解決する。

➎日本全土から米軍基地がなくなる。

➏「日米安保条約」「日米地位協定」を解消し、アメリカと対等な関係を築いた時。日本がアメリカの従属国ではなく、真の独立国となった時。

➐現「日本国憲法」を、「国民投票」にかけ、日本国民がそれを改めて選び取った時。

自民党の「憲法改正草案」が、「国民投票」にかけられ、それが日本国民に選び取られた時。

➒例えば千鳥ヶ淵戦没者墓苑が拡大され、アメリカのアーリントン墓地のような新たな国立墓地が作られた時。(戦没者の御霊が靖国神社からそこへ移された時)。

朝鮮戦争が真に終わり(現在は休戦中)、南北朝鮮が統一を果たした時。

⓫日本政府の首相が、かつての侵略国へ赴き、詫びることを果たし終えた時(かつてのあのドイツの首相のように)。

⓬「戦前」を引きずり続ける「自民党政権」が真に終わった時。

⓭野党連合政権が誕生し、それが少なくとも二期8年続いた時。

⓮日本が、「グローバル資本主義」「新自由主義」を卒業し、「定常化社会」のもとで生きることを決意し、歩み出した時。

⓯海外で戦死した240万人の兵士たちの内、収集されず祖国へ帰れない遺骨112万柱(内30万柱は海没遺骨)が帰った時。

⓰懸念される米中戦争が回避された時(米中が世界覇権を望まなくなった時)。

⓱「国連」中心の世界が真に実現した時。

⓲「国連憲章」の「敵国条項」から「日本国」の名が削除された時。

⓳「核兵器を持ちたい」という見果てぬ夢を、政権を担い続けてきた人たちが捨て、原発をすべて廃棄した時。

 

 わたしが考えられるのは、残念ながらこのくらいですが、一日も早く、多くの人が思い煩うことのない世の中になってほしいと思います。ぜひ、あなたのお考えを聞かせて下さい。

                     (2021・8・15)

 今日の朝日新聞に、歌手の加藤登紀子さんがこんなことを書いておりました(「加藤登紀子のひらり一言」)。

 

戦争という歴史は修復できない傷痕。

 何千年も残る。

 国境線の意味が、憎悪と対立から、融和と尊敬に変わらなければ・・・・・・。

 その時やっと平和が始まる。」

 

 だとしたら、「戦後」が終わるのは、まだまだはるかな先か・・・。