虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

悩み方を変えたらどうだろうか?!—シン・二ホンへ!②

 tosakkoさんから、わたしの「公民館に集まろう」に対して、次のようなメールをいただきました。

 「公民館変わり始めましたか。

 気軽に立ち寄れる空間。コーヒーメーカーに近所のおばさんたちの手作りのオヤツでも常時あれば気軽に女子会、男子会ができる?

 そこに行けば、何か面白い新しい情報がある、まずは宇都宮君と貴君のブログをプリントアウトして置く。公民館情報より面白い!

 図書館。読み終わりの本、家に置く代わり図書館に置けば少しずつ充実、ブックオフで買い叩かれるよりはまし?呼びかければ集まる、という私も本の処理に困っています。

 公民館、ちょっと古くて堅いイメージを払拭出来れば良いね。」

 春ならそよ風。夏の今なら、緑陰の涼風。自由人のtosakkoさんらしい。ありがとうございました。

 「俵津の人口が、1000人をきったゾ!」

 同級生の東新三くんが、感に堪えたように言い放ちました。高山での「東宇和農協・年金友の会・明浜支部」(伊勢富雄会長、1078人会員)の役員会からの帰りの車の中でです。彼は毎月の「公民館便り」に載っている俵津の人口統計をよく記憶していて、その月の死亡者を減じて実数を常に把握しているそうです。その日(8月3日)がちょうどそうだったそうです。

 それにしても、少子高齢化・人口減少。あるいは過疎。わたしたち、というか首都圏や大阪・名古屋などの自治体を除く全国の・全地方の、県や市町村が悩み、苦慮し続けてきている現在進行形の悩みです。問題です。

 そうした地方は、一所懸命に知恵の限りを尽くして対策を立て、努力を重ねてきておりますが、ほとんどの所は成果を上げえていない。ばかりか、事態は一層深刻化しているというのが実情だと思います。

 ある時、わたしは、思ったのです。

 これは、地方の問題ではない。国の(政府の)問題だ。各々の地方自治体が解決に向けて努力することはもちろん大切であるが、それだけではどうしても限界がある。これは政府が「この国のかたち」を変えるほどの政策変更を必要とする課題である。と、私は思ったのです。

 わたしたちは、だから、「悩み方」を変えなければならない。

 まず、この問題で悩んでいる自治体は、その総力を挙げて新しい「この国のかたち」案を創る必要があります(国がやらないのだから、そうするしかないのです)。その上で、全国知事会や全国市町村長会で、それを政府に迫る・要求しなければなりません。もちろん国民も彼らに圧倒的支持を与えなければなりません。

 上意下達の風が隅々まで染みこんだ日本ではありますが、何々族、何々村というようにさまざまな利権でがんじがらめになった日本ではありますが、それを解体しなければもうこの国は未来に行けないような気がします。

 1億2700万人もいる日本。みんながこの国土に分散して住んで、楽しくやって行けばいいじゃありませんか。「なーんだ」と思うかもしれません。そう「なーんだ」なんです。

 日本は、すでに2014年あたりから人口はピークをつけ、減少局面に入っていますから人口減少はどうにもならないでしょう。少子化と高齢化もここ30年~40年くらいは進行し続けるでしょう。それでも、この国土を最大限有効に使って「後退戦」(内田樹)を、楽しく戦っていくようにすべきなんじゃないでしょうか。

 日本に、経済成長の伸びしろはほとんどありません。平成がまるごと「失われた30年」と言われたことがそれを表しています。このままでは、「失われた40年」「50年」になるのは否定しがたいのではないでしょうか。経済成長率ゼロ、利子率ゼロ・・日本はほとんど定常経済状態に入っています。なのに、成長戦略が、「オリンピック」「万博」「カジノ」「原発再稼働」「TPP」・・などしかないのは、行止まりということでしょう。

 内田樹さんがこんな「希望」を語っております。

(前略)過疎化がさらに進行すれば、これから先消滅する市町村も次々出て来るでしょう。でも、日本の国民資源のストックそのものは豊かなんです。そう簡単に底をつくほど浅いものじゃない。温帯モンスーンの温順な気候、きれいな大気、肥沃な土地、豊かな水資源、多様性のある動物相・植物相、国民の知的水準や遵法精神や治安の良さ、社会的なインフラの安定性・・・・・・どれをとっても素晴らしいアドバンテージがあるわけです。

 (中略)国民資源の本体が底をついたわけじゃなくて、それを管理し、制御する仕組みが破綻した。そのせいで、こんなことになった。だから、元に戻そうと思ったら戻せるはずなんです。

 いきなり一般化して「日本はもうダメだ」という悲観論を語るのも行き過ぎだし、逆に「日本はスゴイ、世界中が日本にあこがれている」と言うような無根拠な楽観を語るのも行き過ぎです。実体はその中間くらいにある。(『サル化する世界』)

 (また、わたしの尊敬する経済学者の宇沢弘文さん(1928~2014)は、日本の場合、農村人口を20~25%にすることが適切だと言っているそうです。内田さんは、いやもっと、こうなったら40%くらいいるのではないかと言っています。)

 そうです。内田さんがいうようなシステムを機能させることができない、再創造できないような政府であれば、これを変えればいいのです。ただそれだけのことです。

 そしてやはり、地方分権制度のより高度な構築ということも必要でしょう。憲法の「地方自治」の章・条文が不十分ならそれを変えることも必要になってくるでしょう。その意味ではわたしは憲法改正に賛成です。

 また、予算(税金)の分捕り合戦みたいなことにも矛盾を感じています。利権がらみでない、政権幹部や官僚との親疎の度合いによらない、もっと公平な・透明性のある予算分配方式を創れないものでしょうか。何らかの基準を作って年度当初に全自治体に配分するようにすれば、ムダな東京詣でなども必要なくなるでしょう。

 いずれにしても、「悩む方向」を変えなければなりません。それが「シン・二ホンへ!」行く夢のカタチです。

                       (2021・8・9)

 われらが佐賀の農民作家・あの山下惣一さん(84)が、こんなことを言っております!

「最高のコロナ対策は、過疎だ!」

 キョーレツ!何という皮肉!何という諧謔!何という洞察力!

 ちなみに、山下さん。断筆宣言しました!もう書かないそうです。わたしとしては、死ぬまで、床にはいつくばってでも、書いて欲しかった。近代史上最高の農民作家の声が聞けなくなるのは、何とも淋しい限りです。