虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

君はUFOを見たか?―俵津不思議会議を!

 「UFOはほんとうにいるのでしょうか?」

 こんな質問に、「います。僕、見たから。」と単刀直入にあっけらかんと明快に答えるのは、われらが内田樹さんです!(内田さんは、1950年生まれ。合気道道場「凱風舘」主宰の武道家神戸女学院大学名誉教授、フランス文学者、思想家)。気持ちいいですねえ。だから好きなんです、この人!人生相談本『悩める人、いらっしゃい 内田樹生存戦略』(自由国民社)上の名解答です。

 答えの続きです。

これはそれしかないんですよ、答えは。「いない」って言うことはできますけど、いないことを証明するのはまず不可能です。もちろん「見た」という人に対して、「お前が見たのは幻想だ」という反論がありうるかもしれない。でも、その場合は、僕が幻想を見たことを証明してもらわないといけない。過去にさかのぼって、それを証明することはまず不可能です。

 僕は見ましたからね、東京・尾山台上空に浮かんでいました。夏の夕方の6時ぐらいでした。青空の真ん中に、白とオレンジの光でピカピカ光る、スピルバーグの映画『未知との遭遇』のマザーシップみたいなものがどおーんと浮いておりました。そういう飛行物体を見たのははじめてでしたから、ほんとうに驚きました。

 そのうちに動き出した。僕のすぐ上空にいたのが、いきなり尾山台駅上空に移動した。不思議な移動の仕方でした。加速度運動じゃないから。いきなり「ぴゅん」と移動して、また「ぴゅん」と戻ってきた。ああ、これは僕が知っている地上のいかなる物体とも違う原理で作動しているなということはわかりました。

 ちょうどそのとき、僕の前からひとりのおばさんが歩いてきました。僕は空を指さして「あれ、なんでしょう?」という問いを無言で(驚きのあまり息を吞んで・・・)向けてみました。

 でも、そのときおばさんは、自分の足下をじっと見つめて、僕からはるか遠い道ばたをいくかのように、すたすたと歩き過ぎていったのです。なるほど、人はこうやって「見たくないものを見ないで済ませる」のだなということをそのとき僕は学びました。

 次の日、新聞を隅から隅まで読みましたけれど、「世田谷区尾山台上空に謎の飛行物体」というような記事はありませんでした。あれを見たのは僕ひとりだったのか、それとも見た人はいるんだけれど、「見たけど見てない」ことにして忘れようとしているのか、それとも何人かが「変なものを見ました」と新聞社に通報したけど、相手にされなかったのか・・・。

 他人がその真偽についてどう判断しようと、この経験は僕にとっては決定的なものとなりました。いわゆる「科学主義」的な思考は僕の中では完全に失効しました。「UFOなんてあるわけないじゃないか」というような人がいったいどうしてそんな素朴にそう信じられるのか、そちらの方が僕にとっては超常現象です。この天地の間には人間の知性の及びもつかぬことがある。もちろん、それは知識としては分かっていました。でも、この夏の夕方に腹の底から実感できた。この広い宇宙の中には、人間の知性や想像力の及びもつかない領域がいくらでもあるんだなということは確信されました。だったら、きっと「気」もあるし、「霊」もあるし、「千里眼」も「未来予知」も「空中浮揚」もなんでもあるんだということがほんとうにすとんと腑に落ちたのです(そして、どうすればそのような経験とお近づきになれるのか、その実践的プログラムについて考え始めることになりました)。

 この経験が僕の合気道と哲学に与えた影響は計り知れません。あれを見ていなければ、それからあとの人生はまったく別のものになっていたかもしれない。

 世の中には、現実よりも現実的な「よくわからないもの」というのがあるんです。

                     (同書170~176頁)

 

♥■◆▲●❓❢

 いやあ、なんともオモシロイですねえ!

 こんなこと言っていいんですね。発表していいんですね。目から鱗が落ちました。安心しました。だから、わたしも言います?!実は、わたしも見たんです、UFO!

 いまから60年も前の、わたしが中学1年の冬・1月の終わりごろでした。暗くなった夕方でした。古城(ふるじょう)の上空に、内田さんが言うのと同じような白とオレンジ(いや金色といったほうがいいか)に光るものが浮いて止まっていました。当時はまだUFOという言葉はありませんでしたので、これは「空飛ぶ円盤」に違いない、とわたしはとっさに思いました。かなり長い間、それはそこにとどまっていました。やがてそれはものすごいスピードで回転を始め、俵津上空を数回旋回した後、宇和海の方角に飛び去って行きました。轟音はありません、まったくの無音でそれは動いていたのです。

 わたしが何でこんなことを覚えているかというと、学研の「中1コース」という月刊雑誌があって、その新年号に分厚い日記帳が付録として付いていて、それを几帳面にわたしは元旦からつけていたのです。日記帳自体は、わが家の改築の際に処分してしまったので今はありませんが、それがあったがために、このことを記録したのだけは覚えているのです。それがあればみなさんにもっと詳しい報告が出来たと思いますが、驚きの記憶だけは今も消えません。

 翌日、学校に行ったわたしは、誰かがこのことをいつ言うかいつ言うかと思ってじりじりしていましたが、誰もこの大発見に言い及ぶものはおりませんでした。もちろん新聞にも載ってはいませんでした。内気だったわたしは「これは言ってはいけないことなんだ」と思って、今日まで深く胸にしまってきたのでした。

 UFO見た人、わたしだけじゃないと思います。UFOだけじゃありません。さまざまな不思議現象を見た人は、この俵津にも多いと思います。『遠野物語』(柳田国男角川ソフィア文庫)や『山怪』(田中康弘、山と渓谷社)の世界は、全国にあると思います。日本の民話(昔話)も、かぐや姫や浦島太郎の物語をはじめ、さまざまな不思議な話を伝えています。野福峠やあちこちの山で、狸や狐に化かされたことのある人は、まだ生きているかもしれません。

 現代でも心霊治療家と言うんでしょうか「おがむ人」もいます。内子の施法寺の住職さん、名前は忘れましたが仁土の方。わたしのパートナーの祖父もまさしくその「おがむ人」でした。科学万能の時代でも人間の心の闇は、計り知れないほど深い。これらの方たちは、人間のさまざまな不可思議な行為と心的現象を数限りなく見てきたことでしょう。わたしがお世話になっている整体師の河野さんは「気功」をやりますが、手をかざしてもらっていると体が確実に熱くなって反応します。「気」は確実にあると思います(内田さんの言う「気」はもっとちがう広がりをもったものでしょうが)。そういう人たちは地域にとってものすごく大切な人たちだと思います。

 わたしたちの宇宙は、学校で習うような物理学の原理で動いているかもしれませんが、それとは違う法則で動く別の宇宙があってもいいのではないかとわたしは思っています。

 どうでしょう。いろんな体験をされた方が集まって、「俵津不思議会議」とでもいうようなものを開いてみては。もちろんNETを通じてでもかまいません。「俵津遠野物語」ができるかもしれません。柳田国男が展げた世界は、単に民俗学の世界にとどまりません。哲学や思想、文学や宗教、社会学歴史学などに無限の豊穣をもたらしました。

 俵津の人たちが自信と誇りを持てるようになるかもしれません。主体性をとりもどせるかもしれません。わたしは、どうしたって、狐や狸に人間が化かされていた時代の方が、人間の暮らしは豊かだったと思うのです。UFOと遭遇できる町の方が格段に面白いと思うのです。

                       (2021・5・21)