虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

生れてはじめて「日本国憲法」の全文を読みました。

 この歳になって、初めて日本国憲法の全文を読みました(何ということでしょう)。天気がよくて、風が薫って、ヒマだし、今日は憲法記念日でもあるし、・・ということで手に取る気になったのです。

 2001年版の『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の“付録”にあったものを、捨てずに本棚の隅に置いていたのです。開いてみると字が大きいし、すべての漢字にフリガナがついているし、難しい語句には説明もあるので、それに何よりウスいので、これならわたしでも読めるかなと思ったのです。

 でも、いまケンポ―はなんだか触れるのが“タブー”みたいになっていて、ちょっとコワイ感じもします。

◆なーんだ、憲法って、日本国民の「しあわせのつくりかた」を書いたモンだったんだ

 一読したわたしの感想は、それです。しあわせとは何かを書いた幸福論でもあるような気がするし、どうしたら幸福になれるのかの答えを高らかに告げたものでもあるような気がします。国のリーダーたち(政治家や官僚たちや)が、顔をどこに向けるべきか、どこに向いて仕事をすべきか・勤めを果たすべきかも書いている、そんなある種日本国民の“バイブル”のようなものであるな、とも思いました。

 もう天皇陛下のために死ななくていいんだよ。戦争に行かなくてもいいんだよ。戦争に行ってよその人たちを殺したり殺されたりしなくていいんだよ。徴兵制度もなくしたし、安心して自由に生きていいんだよ。青春期に死を見つめて暗く悩むこともいらないよ。

 人間には、侵すことのできない基本的人権があって、永久の権利として与えるよ、保証するよ。すべて国民は、個人として尊重され、生命・自由および幸福追求の権利が保障されるよ。そのために、三権分立地方自治などの国の制度をちゃんと作るよ。

 そんなことをしっかりと書きつけた日本国民が幸福になるための大元の基本法、それが「日本国憲法」なんだと、すんなり腑に落ちたのでした。なーんだ、このとうりにやれば、日本国民は幸せになれるじゃないか・・・。

 「前文」もいいですね。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 しびれます!

◆今大事なのは、99条

 今回、憲法を読んで、わたしが一番注目したのは、99条です。

第九十九条◎〔天皇・摂政・公務員の憲法尊重擁護義務〕

  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重  し擁護する義務を負ふ。

 ここに、憲法とは何か、が書かれていると思ったからです。憲法とは、権力を縛るもの、国民が権力に向かって命令するもの、です。権力の暴走を阻止するためのもの、です。憲法の最後の方になってやっと出て来ました。これは、最初に書いて欲しい!いや、日本の場合絶対1条に書くべきだ。しかももっと確かで強い言葉で。と、思いました。

 わたしたちは、どこかで憲法は法律の親玉で国民が守るべきものだと思っているような節があります。学校でも、この一番肝心なことを教えていないような気がします。今の政治を見ていると、総理大臣をはじめ政治家たちや官僚たちもまるで憲法が分かっていないような気がしてなりません。街角に貼ってある共産党のポスターにも、「憲法を守ろう」などとあります。国民に向けた街頭ポスターにこれはないと思うのですが。

 新憲法日本国憲法の歴史的成立過程を考えれば、第一章・天皇制の民主化(象徴天皇)、第二章・戦争放棄を書き込まざるを得ないことはよくわかりますが、0条にでも、前文にでも書いておいていただきたい、ぜひ、と思ったのです。

 これは、わたしの個人的感想ですが、今、「日本国憲法」を強く意志して守ろうとしているのは天皇だけのような気がしてなりません。とくに平成の天皇上皇)は、そのことに全身全霊をかけていたと思います。

◆いま憲法は、満身創痍・・・

 いま、日本国憲法は、キズだらけになっているような気がしてなりません。日本は、法治国家(民主主義の国)じゃないみたいな事態になっているような気がしてなりません。

 憲法学者までもが違憲だと言う安保法制がつくられ、共謀罪法までがつくられています。日本学術会議の6名の任命が拒否されつづけているように学問の自由は踏みにじられ、表現の自由も奪われようとしています。政権への忖度が度を越してはびこり、本来なら国民の幸福をつくることに献身・邁進しなければならない行政がゆがめられています。マスコミも委縮しきって、言論の自由など言い出す勇気さえない。自治体も憲法集会などもってのほかと、会場さえ貸さないところが増えている。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有」しているのに、生活保護を受けるのさえオドオドして卑屈にならなければならない。選択的夫婦別姓制度など、いとも簡単につくれるはずなのに、やれない。政府は、「公共の福祉」のために存在するのに、“森友・加計・桜”のように私利私欲のための政治が蔓延している。・・・

 挙句の果てには、憲法を守らなければならない政府が、憲法改正まで目論んでいます。「緊急事態条項」を書き込めば、政権の恣意によっていつでも「憲法」が停止されるようになります。9条に「自衛隊」が書き込まれれば、隊員が戦死する可能性が極度に増してくるでしょう(台湾海峡がきな臭くなっています)。憲法改正のために自分たちが有利になる国民投票法の改正まで、このコロナ禍で大変な時にやろうとしているのです。

 これでは日本と日本人は「未来」へ行けない。行けるのは、いつか来た道の「過去」だけです。

「公共の福祉」の言葉説明がとてもいいので書き写しておきます。

 「社会に暮らすすべての人々が公平に受け、それゆえに皆のはたらきや配慮で大きさを増していくべき全体の幸福」

◆一つ、気になることが・・・

憲法の表紙の下に、気になる文言を見つけました。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

 えっ、これだと欽定憲法じゃない?主権者の国民がつくった憲法にはならないんじゃない?と思ったのです。わたしの言うことがおかしくないとしたら、日本国民は、この憲法で、選びなおしと言うか、一回国民投票をやらなくてはいけないんじゃないでしょうか。??!!

 

 それはさておき、76年前、この憲法が国民の前に示された時、俵津の人たちはどのような反応を示したのでしょうか。受け止めたのでしょうか。尽きない興味をそそられます。でも、それを今のわたしたちに語ってくれるひとは、もう、いないでしょうね。残念です。

                       (2021・5・3)