よのなか、ひとつのおおきな流れができつつあるように思います。早速それを伝える、わたしが畏敬してやまない内田樹さんのこの上ない報告を読みましょう(『常識的で何か問題でも?―反文学的時代のマインドセット』朝日新書・2018)。
■肌で実感する「潮目の変化」
農村の過疎化が深刻な韓国で農村人口がV字回復している。
若い人たちの地方移住が増えているのである。
この20年で50万人が都市から農村部に移住した。移住の主因は都市部における雇用環境の劣化とされているが、それだけではあるまい。
激しい競争を勝ち抜いて世俗的成功を求める若者たちがいる一方、競争から立ち去り、落ちついた、穏やかな田園での暮らしを求める若者たちが出現してきたのである。当然の流れだと思う。
日本でも、政府が2014年に実施した世論調査によると、農村などへの定住願望が「ある/どちらかと言えばある」と回答した者は都市住民の31・6%に達した。これは2005年の調査に比べて11ポイントの増。20~29歳の男性では47・3%に達した。
私が聞いた限りでも、地方移住を支援するある団体では、問い合わせ件数が過去5年で10倍に増えたという。
ただし、これはあくまで「願望」や「問い合わせ」であって、地方移住の「実態」とは違う。地方移住者の実数についてはまだ確定的なデータがない。2015年に毎日新聞が明治大学などとの共同調査結果を発表して、移住者は1万1735人、5年間で4倍以上に増えたことを明らかにしたが、アンケートは網羅的なものではなく、行政の支援を申請せず、自力で地方移住した人たちはそこにカウントされていなかった。
人口統計だけを見れば、むしろ東京への若者たちの流入増加が続いている。
私の周囲に限って言えば、ここ数年、あきらかに地方移住者が増えている。地方移住者たちの集まりに呼ばれることも多い。「潮目の変化」が来ていることが肌で実感される。韓国のように、100万人規模の地方移住がこのあと実現する可能性はかなり高いと私は思う。
今国会では財界の要請に応えて、「高度プロフェッショナル制度」を含む法案が採択される見通しである。これによって労働者の雇用環境はさらに劣化する。
過労死寸前まで追いつめられた若者たちの中から、賃労働以外の生き方を模索する人たちが出てくるのは自明のことである。
いずれ、この「働き方改革法案」が「今思えば、あれが地方移住の決定打だった」と回顧される日が来るだろう。(2018年6月18日)
(同書、71~73頁)
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ポスト・コロナ―コロナ禍の後の世界で、わたしはこの傾向はさらに加速されると思います。それを西予市は積極的につかまえることができるか、正念場です。俵津も考え時なのではないでしょうか。
かつて三大都市圏に向けて、農村人口が大移動をした時期がありました。その頃地方の政治家たちは「農村が過疎化するのは働き口がないからだ」と言って、企業誘致に躍起となっておりました。それが今、逆の流れが出てくるようになったのです。地方移住者は、自分から求めて移り住むというマインドになっています。彼らが限界集落の再生や祭りの復活や有機農業などに取り組む姿は、ときどきテレビなどでも紹介されるのでご存じのことと思います。潮目が変わったのだと認識することが、今わたしたちに必要だと思います。
内田樹さんは同書の別のところでこんなことも言っております。
「いま地方に移り住む人々の脳裏を領しているのは「金の話」ではなく、「どうすればもっと人間らしく生きられるか」という別のレベルの問題である」(24頁)
「地方回帰する人々は日本がもう経済成長しないことを直感している。だが、現代日本の指導層の人々は誰一人「成長しない社会」を生き延びる術を教えてくれない(考えたことがないのだから当然だが)。ならば、自力でこれからの「長い冬」を生き延びるしかない。その手だてを地方移住者たちは日本の豊かな山河に求めた。その直感を侮るべきではない。」(25頁)
わたしたちにいま必要なのは、移住者たちと日本を語り、世界を語り、共に“まち”と“人生”をつくっていく「体力」を養うことではないでしょうか。
(2020・11・3)