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新聞の切り抜きをしていたものに、こんなのがありました(朝日新聞一面下コラム「天声人語」2019・2・21)。
「甘くトロリとした味でパンケーキなどを引き立てるメープルシロップ。本場カナダ産が有名だが、埼玉県秩父地方の林業者たちも生産に力を注ぐ。地元のカエデやモミジの幹から樹液を採取する作業がいま最盛期を迎えている▶「カラカラ天気のこの冬は樹液が減らないかと気をもみました。何とか例年並みの量に届きそうです」。秩父樹液生産協同組合の黒沢保夫・副理事長(69)は話す。7年前から樹液を採り、「和メープル」の商標で出荷してきた▶組合がめざすのは「伐(き)らない林業」だ。いたずらに木々を傷めることはしない。採るのは樹齢20年以上のみ。ドリルで開ける幹の穴は1本に一つ。深さは2センチ以内。将来を見すえて苗木を植え続ける▶黒沢さんと採取林をめぐった。透明な管を伝ってカエデの幹から樹液がタンクに流れ込む。管からしたたり落ちるしずくを両手で受け、味を見させてもらう。煮詰める前の生の液はサラサラで無色透明。ほんのりと甘い▶秩父に限らず、日本の林業は長く、スギやヒノキなど針葉樹を植え続けた。外国産の安価な木材に押され、山林経営は低迷。山々は荒れた。林業地帯を立て直すには、カエデやモミジに限らず樹種を増やし、それを産業につなげる努力が欠かせないだろう▶脚光を浴びることの乏しかった樹液に着目し、商品開発につなげた秩父の取り組みには学ぶところが多い。ほかに山形や栃木、山梨でも地場産メープルシロップが作られていると聞き、大いに勇気づけられる。」
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「伐らない林業」なんて初めて聞きました!、まったくの驚きです!。世界は広い!
俵津でも、こんな林業ができないでしょうか?俵津の山は、あまりスギやヒノキの良い材がとれる適地ではありません。こういう発想に切り替えて、新しい道を探ってみたら可能性が開けるかもしれない、と思いました。上記のカエデやモミジ、例に挙げられた所がいずれも北国なので、はたしてここでどうか、という懸念が浮かびますが、森林組合とか林業試験場に聞けば、さまざまな樹種やその他の新しい林業形態の情報があるのではないでしょうか。樹齢が20年とか経るのを待つのは問題点ですが、さまざまの補助金を上手く利用しながら、また西予の森林組合や林業の盛んな地方の個人林家へ研修がてらアルバイトに行ったりして糊口をしのぎながらして、何人かの夢ある若者が、それでそこそこ暮らしていければ、と思うことです。次のようなこともやりながら(楽しみながら)やれれば、とてもおもしろい俵津が出現するのではないかと。(俵津のみなさん、まちづくりの思考訓練としても、お互い考え合ってみませんか)。
・峠の茶屋
・桜守(さくらもり)
・ハンググライダー・パラグライダーの基地の建設
・遊歩道・トレッキングコースの建設・設置
・森の公園づくり
・ソーラーパネル発電
・林間学校
・おいしい地下水が湧出する汲み取り口の設置
・果樹、キノコ等の栽培
・便利屋
・(狩猟)
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わたしは思うのです。財産区や個人の山林所有者や荒廃園を持つ農家などが、無償でその林園地を貸し与えるようなしくみをつくれないものかと。もちろん、植えてあるスギやヒノキを勝手に伐って売るなどということは許されることではありませんが、雑木林や空き林地を使用させるのです。そこで、わたしたちには思いもよらない自由な林業を営んでもらうのです。
里の空き家もそうですが、山林も手入れをする人は皆無に近くなりました。親が死ねば隣地との境界もわからない者がほとんどです。使いたいという者が出れば無償で使わせるというように、おもいきって発想を変えていかなければならない時代になりました。どんな形であれ財産を有効活用する方法を模索しないと、俵津は荒れる一方です。「社会的共通資本」という考え方を導入する必要があると思うのです。
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いつかはわかりませんが、(たぶん世界的林業大資本がアマゾンの森林を伐り尽した後でしょう)、きっとまた「林業の時代」が来る、とわたしは思います。
俵津にも林業の栄光の時代がありました。今の若い人は知らないかもしれませんが、財産区(有林)の木で、中学校や公民館を建てた時代がかつてあったのです。中学校は技術家庭科棟が充実していて、県下ではつとに有名で視察が絶えませんでした。公民館も充実していました。両方の建物をつかいきって、俵津の豊かな学校・社会教育が行われたのでした。わたしたちの青春の頃でした。
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もうずいぶん前のことになりますが、わたしはミカンの収穫が終わった後の春までの農閑期の幾日かを、請われて新田の幾人かと林仕事に出かけていた時期があります。菅豊彦さん(福岡在住)の山です。チェーンソーを使っての間伐作業、下刈り、枝打ち、スギ・ヒノキ苗の植栽・・・。密生していて大きなシダの群生地にあたったときには往生しましたが、林業の作業はとても楽しいものでした。
山には、いろいろな発見があります。珍しい植物を見つけたり、イノシシの寝床を発見したり、大きな欅の木に驚いたり(そこはケヤキ谷という地名がつけられていました)・・・。時には諺文(オンモン)で書かれた、韓国が北朝鮮に向けて上げたとみられる(想像ですが)風船の付いた紙片なども落ちていたりしたこともありました。対馬海峡か日本海か東シナ海かを越えて、はるばる俵津まで飛んで来たんですね、感慨ひとしおです。
沢に降りて、土瓶にお茶を沸かしてから食べる弁当は格別でした。仲間、というより山仕事の技に優れた先輩たちの面白い話を聞くのはとても勉強になりました。
リーダーは、菅家の俵津のもろもろを管理をしていた西森定義さんでした。西森さんは素晴らしいみかんつくりでしたが、林業のことも熟知している人でした。健脚の持ち主でした。すでに故人となられておりますが、こういう人の存在は地域に厚みをもたらします。豊かさをもたらします。
残念ながら、伐り出しや製材の仕事の体験はできませんでしたが、「林業は楽しい!」と、実感した思い出の日々でした。
(2020・10・28)