虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

俵津に「パン屋」一軒が成り立つだろうか?

   何もない 小さな町

   海と山にはさまれた帯状の

   自然の中にとり残されたような

   何もない 小さな町

   それでも

   人と人とが 出会い

   人と人とが 考え合い

   人と人とが 汗を流し

   夢を 組み立て始めた時

   何も無かったことの幸せを

   しみじみと感じるかも知れない

                 (原田義徳さんの詩)

 

1、

 藤山浩さんの論考のつづきです。

 「人口を取り戻すときに必ずセットで考えなければいけないのが、所得です。単純に地元の人口が1%増えれば、必要な所得も1%増えるわけなので、所得を毎年1%取り戻していく戦略を同時に立てていく必要があります。」

 「たとえば、邑南町のある地域で食料品目別の支出額を見てみると、いまやパンのほうが米類の2倍近くも消費されています。パンは、田舎でも年間で1人1万円分ほど買っていますから、1世帯平均で3万円、1000人の村だと1000万円です。それを外から買ってしまうからよくないわけで、1000人の村でも、みんなが地元からパンを買うようにしていけば、域内からお金をいっさい外へ出すことなく、パン屋1軒が定住して経営していくことができるわけです。こうやって暮らしに必要なものを自分たちで自給し、生業をつくっていくことがとても大事なのです。」

 「数字だけを見ると1000人の村で1軒パン屋を成立させることが可能だということは説明してきたとおりですが、それはあくまで数字上のことであって、実際に田舎でパン屋1本で暮らしていこうとすると、なかなか厳しいものがあります。人口500人とか1000人というところでは、なかなか一つの仕事だけを生業とするのは難しいものです。それはパン屋だけでなく、たとえばガソリンスタンドもそうだし、JAの窓口だって同じでしょう。人が1日そこに座ってその役割だけを果たしても、その人の人件費1.0人分が出ないから、潰れてしまうのです。そうではなくて、いろいろな仕事を、0.5と0.3と0.2というふうに足していって、合計で1.0人分にするような、生業の足し算ともいえる働き方が必要になってきます。農業だけではなく冬場は林業もするという働き方を基準とした事業組織をつくるべきだと思います。

 そしてその拠点として私が提案しているのが『郷の駅』であり、今の政策用語で言えば『小さな拠点』です。いわゆる行政、JA、市場、介護施設といった、生活のあらゆるものがそこに行けばあるという、暮らしを結びつける機能を持つ拠点です。」 

 

2、

 内田樹さん(思想家・武道家)の本からの引用もしておきましょう。内田さんの合気道道場『凱風舘』を建てたのは、岐阜県中津川市加子母にある中島工務店だということです。その加子母は、伊勢神宮遷宮に備えて植林した森を守っている町で、人口3000人、そこに27軒の飲食店が営業しているそうです。これは「ありえない」数字です、と内田さんは書きます。

 「計算すると1軒あたり100人少しの顧客しかいないんですから。そんな人数しかいないところで飲食店が成り立つはずがない。人口3000人の村で利益を出そうとしたら出店できるのはせいぜい2,3軒でしょう。ですから、加子母にはもちろんファーストフードの店も全国チェーンのコンビニもありません。スーパーは地元のものが1軒あるだけです。それほど小さな市場でありながら、これだけの数の飲食店が共存できるのは、村の人々がすべての店の経営が成り立つように、外食するときに行く店が『ばらける』ように工夫しているからです。みんなが少しずつ違う店に通えば、どこもそれほど儲かるわけではないけれど、生活できる程度の商いならできる。僕はそれを聞いたときに、これが定常経済のひとつのモデルではないかと思いました。

 でも、どうして加子母ではそういう『棲み分け』が可能だったのか。理屈では『やろうと思えばやれる』ことでも、実行することは困難です。どこで外食するかなんか、人に決められたくないですから。

 加子母でそれができたのは、ここでは集団として生きてゆくための知恵が集団的に共有されたからだと思います。この村には木曽檜という守るべき資源があり、植林、製材と木造建築の技術が伝承されていた。森と技術を村の次世代に伝えなければならない。その使命感が集団的に共有されていた。ですから、この地域共同体では、相互扶助、相互支援のマインドが『受肉』していた。

 定常経済が成り立つためには、そういう特別な条件が要るということです。『成長はもういい』という膨満感だけでは経済モデルは回せない。資源がたいせつだという気分だけでは足りない。『どんなことがあっても次世代に残さなければならないもの』をわれわれは先人たちから託されているという使命の自覚が必要になります。

 自分たちの集団を構成しているのは、いまここにいる人たちだけではなく、死者たちもそこに含まれるし、これから生まれてくる子どもたちもそこに含まれる。『私の集団』のメンバーとして、もう死んだ人たちも、まだ生まれていない人たちも含むことができるような想像力が息づいているところではじめて定常経済は可能になる。僕はそのように考えています。」

 (『ローカリズム宣言  「成長」から「定常」へ』deco、2018。66-67頁)

 

3、

 もう一つ、内田さんの本から。

 「商店街が成り立つ条件はシンプルです。お店をやっている人は、要るものは、よそより割高でも、同じ商店街の中の店で買う。食品でも、衣料品でも、薬品でも、文房具でも、商店街の隣の店で買う。

 同じ商店街の中で同じお金がただぐるぐる回っているだけなんですけれど、そのおかげで商店街の店がどれも閉めずに済む。そして、閉めずに営業していると、そこに『通りすがりの人』が来るチャンスがある。商店街に利益をもたらすのは、この『通りすがりの人』たちなんです。そのためには、商店街のお店が全部『なんとかやっていけている』のでないといけない。

 日本の商店街が潰れ始めたのは、商店街の人たちが隣近所で買い物をしなくなったからです。スーパーの方が品ぞろえがいいし、安いんですから、『消費者マインド』で考えたら、隣の店から買うよりは、スーパーで買う方が賢明です。でも、その短期的な『賢さ』が自分たちの生活基盤そのものを掘り崩していることに気がつかないなら、それはぜんぜん『賢く』ないです。」

(娘の内田るんさんとの往復書簡集『街場の親子論』中公新書ラクレ、2020。185-186頁)

 

4、

 今回は、藤山さんと内田さんの本からの引用だけになってしまいました。お二人の文章は心に深く染み入って、考えさせられます。俵津のような田舎の田舎が成り立つためのヒントも与えてくれます。

 俵津を、パン屋さんだけでなく、居酒屋1軒、カフェ1軒、若者のためのカラオケの店1軒くらいが成り立つようなところにしたいですね。

 農協や役場など土地を持っているところは、空き地などを無償で志ある若者(でなくともいいですが)に提供していただきたいですね。

                       (2020・8・7)