虹の里から

地域の人たちと、「まちづくり」について意見を述べ合う、交流ブログです!

「ベンチ」を置こうよ!

 「“じじばば”、早くやりたいね。」

 みかん畑で摘果をしていると、道行く人がわたしに声をかけてくれます。“じじばば”というのは、「じじばばスーパー演芸会」のことで、俵津老人クラブが5月にやろうとして、コロナ禍でやむなく延期になったあの大会のことです。「コロナ」とは無縁だった俵津でも、自粛・自粛の生活を余儀なくされて、みんなストレスを抱えて、「人に会いたい」「会って話がしたい」「何かやりたい」・・そんな気持ちが溢れそうになっているのを感じます。

「そうやねえ」。話が弾みます。梅雨の晴れ間の午後のことです。 

 

 「新しい生活様式」「ソーシャル・ディスタンス」「三密回避」、そんな言葉が乱舞する中、今回の話題はどうかと思いますが、「思い立ったが吉日」「善は急げ」「鉄は熱いうちに打て」・・とか。

 俵津のみなさん、こんにちは。morino-shimafukurouです。

 また、提案です!俵津の“あちこち”に、「ベンチ」を置きませんか!

 ベンチというのは象徴というか、ことばの代表で、椅子(腰かけ)・机(テーブル)、緑陰(こかげ)をつくる樹木など、要するにひとが安楽に気持ちよく暮らしていけるツールのことです。

 ●公民館・保育所・たんぽぽ診療所の周辺

 ●スマイル公園

 ●湾岸道路工事でできた船着き場の広場

 ●俵津夏祭り会場になる旧魚市場公園広場

 ●坂村真民碑のあたり

 ●大山神社天満神社周辺

 ●野福峠・ボラ小屋

 ●宮崎川・桜並木のほとり

 ●農場(みかん畑)の中

 ●俵津住民の行き交う道のそば

 ●みんなが「ここにあったらいいな」と言う所。

 

 俵津をこんな町にするためです。

➊老若男女、住民が「交流」する町

➋年寄りが、暮らしやすい町、気軽に出歩ける町。

➌よそからの来訪者に開かれた町

➍ゆっくりと時間の流れる町

 

 宇都宮末夫商店には、イスが置いてあります。年寄りが買い物のついでに、そこに腰かけて話している姿がよく見られます。とてもいい光景です。

 湾岸道路の両側にはそれなりにちゃんとしたものを置いて欲しいですが、あとは財産区(有林)の間伐材をつかって、大工さんに作ってもらったり、日曜大工が趣味の人に作ってもらってはどうでしょうか。もちろん家庭でいらなくなったものを提供していただいたのでもかまいません。

 

 城川町には、「茶堂」というのがあります。それも半端じゃない。60ほどもあるそうです(ネットで検索して見て下さい)。あれ、とてもいいですね。農家が田畑の仕事の合間に休憩する、弁当をつかう、昼寝をする。住民同士が散歩の途中に話してゆく。地区の集会所にもなる。飲み会の場にもなる。旅人が、休んだり、泊まったりすることもできる。外に向かって開かれていて、誰でもが自由に使うことができる。

 風景としても、素晴らしい!

 

 そんなことを考えている時、こんな文章を見つけました。

 「以前に三重県の海岸近くの道を歩いていると、その町にはベンチが多いことに気づいたことがあった。外玄関の脇などに点々と木のベンチがある。一緒にいた地元の人によると、それが昔からのこの町の習慣なのだという。道を歩く人に休む場所を提供する。これなら高齢者も安心して出かけられる。」

 日本は広いというのか、狭いというのか、ちゃんとそんな町が実際にあるんですね。本を読んでいて、こんな箇所にめぐり合うと、ホンとに嬉しくなります!

 わたしの大好きな哲学者・内山節(うちやま・たかし)さんの『内山節と読む世界と日本の古典50冊』(農文協、2019)。その中の『日本の民家』(今和次郎著。大正11年・1922年刊。現在は、岩波文庫で読めるそうです。)の紹介ページの書き出しにあります(290頁)。

 「かつての家屋には、外の人に開放されている場所があった」と、内山さんは続けます。「縁側」「玄関の上り口のところ」・・。個人の家屋の他にも、「集落の脇にある観音堂阿弥陀堂もそういう役割をあわせもっていた」。うんうん、確かに。

 

 せっかくですから、その『日本の民家』のあらましも。この本は、各地の民家の構造を記述した本ということです。

 「たとえば農家の代表的なつくりは、田の字構造になっていた。田の字の真ん中に大黒柱があり、四つの空間からできている。一つの空間は玄関を兼ねた土間。」もう一つは「囲炉裏の間」。「残りの二つの空間は居間で、そこは寝室を兼ねる生活の場。奥の部屋は客を泊めるために用いられた」。「かつての民家には生活空間、仕事空間、接客空間があったということである」。そんなことが詳しく書かれている本らしい。いわば大正時代までの「家屋の考現学」。

 そう言へば、俵津でも1960年代までは、そんな家がたくさんあったような気がします。

 

 この本は、内山さんに、「家屋のあり方から社会を考えていくという新しい視点をもたらした」といいます。

①「戦後の高度成長以降の家になると、基本的には接客空間が用意されていない」「家屋は外部に対して閉じられた空間になった。さらに家のなかから仕事空間がなくなった」。

②「現在の家は、賄い付きワンルームマンションのようになっている」。

③「(村落は)家屋だけですべてが展開しているわけではなく、共同体として共有空間がそれぞれの家屋を包み込んでいたのである」。「だから、家を包んでいる共同体のありようもふくめて家屋は論じられる必要がある」。

➃「私は農の営みとは、この営みをとおして作物が生産され、農とのかかわりのなかに生活があり、さらに農をとおして交流が生まれていくことのなかにあると考えている」。

➄「社会のあり方が日々の私たちの暮らし方を変え、家屋の構造も変えていった。だから社会のあり方やいまの暮らし方に疑問をもつ人が現れると、家屋のあり方を変えようとする動きも起こってくる」。それが例えば、「古民家ブーム」、たとえば「シェアハウス」。

⑥「また、家はこれまでのままでも、外に共同の場をつくろうという動きも活発になってきている。いわば自分たちの集まる場をつくるということであり、それがコミュニティ・カフェやコミュニティ・レストランなどを生みだしている。自分の家だけを家として考えるのではなく、共同空間をもちながら、その全体を暮らしの場にしていく試みである」。

⑦「いまではこの社会のほころびが感じられるようになってきて、そこから新しい暮らしの空間の模索がはじまっている」。

 

 「これからの社会はどうあったらよいのか。この問いに対して私は『地域から』と答える」。

 「私は今日の地域づくりには、『地域をどう維持していくのか』という問題意識とともに、『地域を軸にして社会全体をつくりなおす』というもう一つの問題意識が必要になっていると考えている。中央集権的な政治と経済によって、矛盾ばかりが顕在化する時代に今日の私たちは立っている。このような思いをもちながら、私は『古典を読む』ことにした」。(同書15-16頁)

 内山さんの思索は、実に深い。

 

 現在、俵津の家は、ほとんどが建て替わって新しくなっております。そのすべてが、冷暖房完備の気密性の高い家になっていて、その分外に対しては閉じられた家、人を寄せ付けない家になっているような気がします。

 次に、俵津の家々が建て替わるのは、いつでしょうか。30年後でしょうか。50年後でしょうか。わたしは、その時には、もう一度、『日本の民家』にあるような、開かれた家。村落共同体の仲間や外からやってくる人たちと交流できる家を、つくったほうがいいような気がします。

 そして、兼好法師が『徒然草』で、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。云々」(第55段)と述べているように、エアコンを入れなくても暮らしていけるようなエコロジカルな家にしたほうがいいと思います。そういう住宅デザイナーが俵津から出ることを期待します。

 話が、「ベンチ」から、未来の住宅デザインにまで飛んでしまいました。呵々大笑。

 

                           (2020・7・8)